第03話 グラスローズ
「ふむ、美味いな」
むしゃむしゃとステーキを咀嚼して、俺はごくりと飲み込んだ。
ヌーアと呼ばれる、牛に似た動物のステーキだ。庶民にも貴族にも親しまれている、スタンダードな家畜である。
しかし、目の前の皿の肉は庶民の口に入るものとは一線を画している。
霜降りな方向ではないが、赤身としてのしっかりとした旨味。柔らかく、それでいて肉らしい食べ応えもある。
焼き加減も絶妙だ。この世界でミディアムレアを提供するのは、品質に相当な自信がなければ出来ることではない。
「ほ、ほんとに美味しいですね」
対面に座るシルフィンも、びっくりしたように皿を見つめる。
いつかの青いドレスは似合っているが、彼女からすれば同じ動物の肉とは思えなかったのだろう、作っていた澄まし顔が崩れていた。
「当然だ。ロプス家のスポンサードを受けている店だぞ。しかもこの肉は、今年の品評会で金賞を取ったヌーアの一等部位らしい」
「な、なんか凄そうですね」
緊張している面もちを向けてくるシルフィンの前で、グラスの中身を口に含む。いい酒だ。熟成が利いていて、地球のワインに近い。
「でも、いいんですかね? お金、大変なことになってるんじゃ……」
「知らん。好きなだけ食っていいと言われたんだし、好きなだけ食わしてもらうだけだ。君も気になったものがあれば頼みたまえ」
代金はどうせロプス家のお嬢様持ちだ。遠慮することはないだろう。
適当にご自慢のコース料理を頂いているが、気になれば単品も頼みたい。
「とはいえ、腹には限りがあるからな。実際、割と膨れてきた」
調子に乗ってステーキを欲張りすぎた。大きくしてもらわずに、品数を食べるべきだったかと後悔する。
「で、なにかあるかね?」
一生懸命にナイフとフォークを使っているシルフィンに向かい、俺はメニューをぺらぺらとめくった。
慣れない食器に悪戦苦闘しながらも、シルフィンは「そうですねぇ」と思案する。
彼女にしては珍しく、おずおずと右手を小さく挙げた。
「で、デザートというものをですね。食べてみたくて」
「ほぅ。なるほど、デザートか」
デザート。言わずと知れた食後の甘味だが、コース料理が出始めたばかりのこの世界ではまだまだ一般的ではない。この店も、どうやらデザートを付けるかは別料金のようだ。
メニューを眺め、ふむと眉を寄せる。なにを隠そう、甘いものを俺は大好きだ。
どうせなら店員に聞くのが早いかと、俺は壁に立つギャルソンに声をかけた。
呼ばれ、男が恭しくやってくる。顔は牛の面をしているが、物腰の上品な男だ。
「君、ちょっと。人気のデザートはあるかな? 出来れば珍しいものがいいんだが」
先ほどまでなら肉が食いにくくて仕方がなかったところだが、俺はとりあえず男の顔面を見ないように質問した。
「デザートでしたら、こちらのグラスローズが人気です。季節が短く珍しいものですので、お客様のご要望に沿えるかと」
「ほぅ、聞いたことがないな。それじゃあ、それを二つ」
ぱっと聞いた感じでは、食べ物かどうかも分からない。けれど、どこかそそる響きに俺はグラスローズを注文した。
「シルフィンも、それでいいな?」
「あ、はいっ! わたしは別になんでもっ!」
慌てるシルフィンをくすりと見つめながら、俺はやんわりと感じる満腹感に目を細めるのだった。
◆ ◆ ◆
「ほぅ、これはなかなか」
テーブルの上の可憐な花に、俺は思わず声を出した。
「綺麗です……」
不思議そうに見つめているシルフィンの呟きを聞きながら、俺は目の前の花びらを指でつついた。
「硬いな。それでグラスローズか」
細長い花瓶に立てられて出てきた、透き通る青い薔薇。地球では青い薔薇はそれだけで珍しいが、この場合は花びらの色などどうでもいい。
ひょろりと伸びた茎の先の薔薇の花。触れてみた感触はまさにガラスだ。薔薇を模したガラスのグラスではなく、自然にこの硬さなのだろう。
「花を食べれば大惨事だな」
飴細工のように見えなくもないが、危険だろう。ガラスをかみ砕くようなものだ。
では、どこを食べるのか。答えは一目で分かる。
「ふむ、いい香りだ。ここら辺はちゃんと薔薇だな」
「そ、そうですね。いい香りです」
オウム返しをするだけのシルフィンは無視して、俺は花冠の中央に目を寄せた。
ガラスローズではない、グラスローズなのだ。
当然あるべき中身を見つけ、俺は頬を綻ばした。
「洒落てるじゃないか。気に入ったぞ」
花冠の中央は、グラスのようにぽかりと穴を空けている。花弁が中心を避けるように広がり、その中には黄金色の蜜が溜まっていた。
大きめの花びらからなる薔薇のグラスは、直径5cmはありそうだ。その中に蜜が溜まっているのだから、量もそれなりである。
「こ、これを入れて食べるんですよねっ」
薔薇に添えられている小さな容器をシルフィンが見つめる。乳白色の中身の入った容器を、俺も右手で持ち上げた。
「……ヨーグルトか。こっちでは初めて見るな」
このエルダニアは畜産都市である。チーズやミルクなどの生産はオスーディアでもずば抜けて優秀だ。俺も果実酒のお供のチーズはわざわざエルダニア産を買っているが、ヨーグルトをこちらの世界で見るのは初めてだった。
「土地感もしていいな。せっかくこっちに住むんだ、肉も乳も堪能させてもらおう」
ヨーグルトを薔薇の器に注いでいく。底に溜まった密がねとりとわき上がり、黄金色と乳白色が混ざっていく。
容器のヨーグルトを全て注げば、ちょうど良い感じに薔薇のグラスは満タンになった。量も完璧だ。
「わ、わたしもっ」
俺が注ぎ終わるのを見ていたシルフィンが、自分の薔薇にも注いでいく。慎重すぎて時間がかかりそうなシルフィンを見て、俺は用意されていた匙を手に取った。
長く細めの匙で、薔薇の中を混ぜていく。見た目はなんともお洒落だ。
「さて、問題は味だが……」
匙でヨーグルトをすくい、口に運ぶ。
含んだ瞬間、心地よい甘味と酸味が広がった。
「うん、美味いじゃないか」
頷き、もう一杯口に入れる。なんとも上品な味だ。
味は想像とそこまで離れていない。ヨーグルトに、蜂蜜を加えたもの。外れはない組み合わせだ。
けれど、少しだけ蜜の風味が面白い。
考えてみれば、グラスローズの蜜は花の蜜だ。蜂蜜の独特の風味がない代わりに、どこからか花の香りが漂ってくる。
凝縮された焼け付く甘さではなく、どこまでも優しい。美味いもんだなと、俺は次々に口に入れていった。
「お、美味しいでふ」
「そうか、よかった」
感動して震えているシルフィンに軽く相づちを打ちながら、俺はグラスローズの花弁をぴんと弾いた。
りぃぃんと清涼な音が微かに響き、くすりと笑みを浮かべる。
今回はテーブルの上の二本だけだが、本来薔薇は群生するものだ。
この世界のどこかには、グラスローズの溢れた光景も存在するのだろう。
そこでは、大きな熊が二匹、かちんと乾杯でもしているかもしれない。
「眠いな」
すっかり膨れきった腹をさすりながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
奢られる飯は確かに美味いが、今回ばかりは、ただそれだけでもなさそうだ。
・・・ ・・・ ・・・
グラスローズ
原産:オスーディア内陸部 水晶の洞窟
補足:まるでガラスのような花を付ける植物。透明で硬質な細胞を持つが、暦とした成長する植物である。花弁はグラスのように開いており、中には蜜が溜まっている。
生息地では群生しており、棘のついた茨が冒険者の行く手を阻む。数代前のオスーディア王妃が好み、水晶の洞窟は王家直轄の保護区に指定されている。
現在では栽培が行われ、真っ直ぐに育ったものだけが出荷される。店で提供される場合は、茎の棘の切断は手作業。




