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第02話 大きな部屋と豪奢なタンス


 緊張した指でタンスの引き出しを引いた。

 すっと滑らかに流れていく引き出しに、どきどきとしながら中を見つめる。


 当然ながら、中にはなにも入っていない。これから、私が入れるのだ。


「……すごい」


 呟き、部屋を見回す。

 大きさは、王都にある自宅と同じくらい。けれど、台所やトイレなども含めた自宅と違い、この場所はただ寝るための場所だ。


 石造りの壁の材質も、白く綺麗な質感。まるで白い砂浜を固めたかのようだ。石の名前など知りはしないが、高級な建材だろうことは想像できる。


 旦那さまのお屋敷も相当なものだったが、それに近い規模の屋敷だ。


 こんな物件に埃を被せているサキュバール家のことを一瞬だけ考えて、私はぶんぶんと首を振った。


 違う世界のことを考えていても詮がない。


「でも……くふふ」


 一時とはいえ、この空間が今日から私のものになる。胸が高鳴るのも仕方がなかった。


『君はこの部屋を使うといい。自由にしてくれて構わないから』


 雇い主の彼の言葉を思いだし、頬が緩む。自由にしていいということは、これはもう私の自由にしていいということだ。


 ちらりと見やった先のベッドに、私はごくりと唾を飲み込んだ。


「……いいよね? 一回くらいいいよね?」


 四つ脚のベッド。まるでお嬢様のようだ。

 なにより、その上に乗せられた布団。シーツも毛布も、少し触っただけで質が違う。


「い、いくぞぉ。いっちゃうぞぉ」


 飛び込みたい。ぽーんと、このベッドに身体を飛び込ませるのだ。

 そして柔らかな布団に受け止められたなら、どれだけ幸せなことだろう。


 じりじりとベッドとの間合いを計る。息づかいを荒くしながら、私はベッドの中心を睨みつけた。


「よーし! いっくぞぉ!」


 腰を落とし、私は足に力を入れた。跳躍の姿勢。目標を決め、私は跳ねる鼓動と共に両手を上げる。



 いま、念願のときーー!



「シルフィン、昼飯なんだが……」

「うっひぃいいいい!?」



 がちゃりと開けられたドアの音に、私の心臓は一瞬鼓動を停止した。

 今まさに飛ぼうとしていた身体がビタリと固まる。


「……なにをやってるのかね?」


 彼の眉が中央による。それもそのはず。見てみれば今の私は、両手を上げて足をがに股に広げている得体の知れない女だった。


 こほんと咳を払い、何事もなかったかのように姿勢を戻す。


「少々掃除のほうを。なにか御用でしょうか?」

「えっ、いや。あ、うん。昼飯をだな」


 首を傾げている彼を完璧な微笑みで出迎えながら、私はメイドとしての矜持を寸前のところで守り通した。



 ◆  ◆  ◆



「ところで旦那さま、今週のご予定はどうなさいますか?」


 昼飯のサンドイッチを頬張っていると、傍らのシルフィンが口を開いた。紅茶のお代わりを注いでくれる彼女に、俺は口の中のサンドイッチを飲み込んでいく。


 日程には余裕を持って現地入りした。いくつかこなさなければいけない用事もあるが、今週いっぱいは割と自由に動けるだろう。


「そうだな、エルダニアに行ってみるか。どうせ仕事では行くが、観光してみるのもいいだろう。色々と入り用だしな」


 俺の提案に、「畏まりました」とシルフィンが頷く。どこか彼女も嬉しさが滲んでいて、決まりだなと俺はカップに手をかける。


「居住区の商店街も中々らしいがな。さすがにエルダニアほどじゃない。必要なものがあれば遠慮せず言うといい」

「い、いえ、わたしは別にっ」


 シルフィンが慌てたように口を開いた。どうも彼女は遠慮に過ぎるきらいがある。


「お給金も特別に頂いていますし、あんな立派な部屋まで。これ以上は……」


 申し訳なさげにシルフィンは眉を下ろす。今回の仕事では、彼女に出張手当として多めに給料を出している。慣れない土地を連れ回すのだ。当然だと俺は思うが、彼女からすれば居心地が悪いらしい。


 この世界のメイドにしては殊勝な性格だ。普通なら、もっと寄越せとぐちぐち言ってくる。


「なら、メイドにではない。シルフィンというレディにプレゼントだ。これならいいかね?」

「ーーッ」


 こちらとしても、メイドが見窄らしい生活をしているのはいただけない。何処で誰に会うか分からないし、自分の従者を着飾らせるのは必要経費だ。


「だ、旦那さまに、お任せします」


 なぜか下を向くシルフィンに「よろしい」と微笑みながら、俺はエルダニアの街に思いを馳せる。


 とりあえず、美味い飯屋は確保しなくてはいけない。



 ◆  ◆  ◆



「うげぇ……」


 目の前で細められるひとつ目に、つい口から本音が出てしまった。


「あら、奇遇ですね。カツラギ様もお食事に?」


 かなり失礼なはずの俺の声を塵程度すら気にもかけずに、ロプス家のご当主様はにこりと笑みを浮かべた。


 王都ですら名前を聞いていた一流レストラン。そこに行ってみようと思い、意気揚々と足を運んだわけだが。どうやら予定は変更のようだ。


 店の前に立つシャロンの傍らを、ちらりと見つめる。ケンタウロスの馬車が送迎のために停車していて、予約主はシャロンだろう。こちらが歩きに対して、さすがは良いご身分だ。


「いえ、少しエルダニア観光を。シャロンさんは食べたところですか? 意外ですね、外食のイメージはなかったです」

「ふふ、こちらのお店には少しばかり出資していまして。今日はちょっとした視察ですの」


 軽く牽制したつもりが、さらりと金持ちぶりを自慢された。これだから金持ちは嫌いだ。悪気がない分たちが悪い。人間、こうはなりたくないものだな。


「あ、そうだ。お昼がまだでしたら、是非とも寄っていただきたいですわ。勿論、代金はわたくしが持たせていただきます」


 やはり、持つべき者は金持ちの知り合いだ。金持ち喧嘩せず。人柄の良さと余裕が滲み出ている。貧乏人ではこうはいかない。


「いえ、悪いですよっ。そういうわけには」


 言いながら、俺は店内へとさっさと足を踏み出すのだった。



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