第01話 新生活
「わぁ、おっきいですね!」
磯の香りを受けながら、シルフィンはキラキラとした目を大海に向けた。スカートを棚引かせ、彼女にしては珍しい笑顔を俺へと向ける。
オスーディア最大の港街、ニルス。俺たちは再びその街を訪れていた。
「前に来たときはあまり観光はしなかったからな。今日は日も高いし、少し見て回るか」
俺も久しぶりの海に胸が躍る。
仕事とはいえ、心機一転となるであろう今日という日に、少しばかり俺の心内も浮き足立っているようだ。
シルフィンと並びながら、海岸線を歩いていく。
「それにしても……大きな港ですね」
海岸に沿ってしばらく歩いていくと、桟橋へと行き着いた。
大小様々な船が碇泊している港の様子に、シルフィンが興味深げに辺りを見渡す。
「アキタリア含め、東方にある国の船はここに集まってくるからな。もちろんオスーディアの船もあるぞ。サキュバールも三隻ほど置いてある」
説明しながら、ほらと俺は碇泊している船の側面を指さした。
側面に取り付けられたプレートに、幾何学的にデフォルメされたドラゴンの紋様が描かれている。それを見たシルフィンが、得意げに声を出した。
「あ、わたし知ってます。アキタリア皇国の紋章です」
「ほぅ。よく外国の紋章なんて知っているな」
期待を込めた眼差しを向けられて、俺は乗ってやることにした。わざとらしく驚くと、シルフィンがむふーと鼻の穴を膨らませる。
「わたくしこう見えて、高等学校を卒業しておりますので」
ドヤぁと胸を張るシルフィンに適当な相づちを打ちながら、俺は桟橋に集う水夫に目を向けていく。
活気に満ちあふれた光景だ。桟橋では荷下ろしの真っ最中で、本当に色々な品物が船から運び出されている。
果実酒の酒樽に、布にくるまれている彫像。コンテナ大の木箱なんていくつあるか検討もつかない。
中には檻に入れられた見たこともない生き物もいて、思わず「おぉ」と声が出る。
「そういえば旦那さま、あの船は?」
シルフィンが海に向けて指を向けた。見れば、沖の方に巨大なガレオン船が碇泊している。桟橋に泊まっているものよりも数倍以上の大きさだ。
目を細め、彼女は遠くに見える船の帆を確認する。
「……アキタリア皇国の船ですよね?」
帆に描かれた紋章と傍らの船を見比べながら、シルフィンは首を傾げた。
「ああ、あそこまで巨大だとな。桟橋には着けられないんだよ。沖に碇泊して、小型船で連絡する。そこにある船は、荷下ろしのためにアキタリアがニルスに置いてある船ってわけだ」
「へぇ、なんか凄い話ですね」
感心したように頷いているシルフィンを見て、俺も同意だと頷く。ドラゴンだ精霊だとアキタリアを象徴するファンタジーはたくさんあるが、アキタリアを大国たらしめている理由のひとつが造船技術だ。
石とレンガの歴史を持つオスーディアと違い、木造を主としてきたアキタリアの造船技術は頭一つ抜けている。搭載量、速度ともにオスーディアのものよりも秀でているのだ。
その差をオスーディアは魔導機関で埋めようとしているらしいが、陸上の魔導鉄道とは違い、海の上での実用化には色々と難しい問題もあるらしい。
「……まぁ、あと十年もすれば、ああいう帆船は時代遅れになるかもしれんな。今の内に見ておくといい」
「そ、そうなんですか?」
驚いたようにシルフィンが振り返る。彼女からすれば、あんな荘厳なガレオン船が時代遅れになるなど想像もできないのだろう。事実、俺ですらがこうして実物を目の前にすると、ちょっと信じられない。
だが、確実にこの世界の文明は進化の一途を辿っている。
もの寂しさもあるにはあるが、わくわくするじゃないか。時代のうねり、そういうものを目の当たりにするというのは。
「さて、そろそろ行くぞ。頼んでいた荷物も届いている頃合いだ」
慌ただしく荷を運ぶ水夫を横目に、俺は目的地へと足を向けた。シルフィンが眺めていた顔を向け、慌てたように駆け寄ってくる。
「新生活だからな。気合い入れて行こうじゃないか」
そう言って、俺はガレオン船に背を向けるのだった。
◆ ◆ ◆
「……凄い」
見上げているシルフィンを背に、俺は扉の鍵をガチャガチャと弄っていた。
立て付けが悪いのか鍵が古いのか、なかなか上手く開いてくれない。
貿易居留地。ニルスとエルダニアの中間に広がる、住宅街。その一角に建てられた屋敷の前に、俺とシルフィンは立っていた。
「おっ、開いた。あまり使ってなかったみたいだからな。喜べシルフィン、掃除しがいがあるぞ」
「が、頑張ります」
屋敷へと入っていく俺の後に、シルフィンが続く。
とはいうものの、少しはサキュバールの者が手入れをしてくれたようだ。頼んでいた荷物もきちんと玄関口に置かれていることを確認して、俺はどれどれと内装を見つめる。
王都の屋敷ほど大きくはないが、いい家だ。部屋を順に見ていきながら、俺はうんうんと頷く。
「多少手狭だが、十分だな」
ここでこれから半年は暮らさなくてはならない。新居の快適さにホッとしつつ、俺はリビングを覗き込んでいるシルフィンに目を向けた。
「家具や食器は自由に使ってくれとのことだ。君も遠慮せずに使いたまえ」
「承知しました」
ぺこりと頭を下げながら、シルフィンは台所へと向かっていく。彼女にとっては主戦場だ。竈のオーブンが付いているのを見て、シルフィンの顔がパッと華やいだ。
ロプス家との共同事業。エルダニアでの仕事が多くなる俺に対して、バートの奴に「お前、エルダニアに住め」と言われたのが一月ほど前。あれよあれよという間に手続きは完了し、こうして新居が与えられていたということだ。
「ニルスにもエルダニアにも、馬車で半日。いいところだな」
「そうですね。……というか、周りがお屋敷ばっかり」
少しばかり緊張している様子のシルフィンに、くすりと笑ってしまう。
ここ貿易居留地は、オスーディアの玄関口であるニルスのために区画された高級住宅街だ。
オスーディアの貴族は勿論、こちらに滞在する諸外国の貿易商などに向けて住宅を提供している。
「噂ではアキタリア皇室のお屋敷もあるらしいぞ。景気のいい話だな」
「こ、皇族の方のですかっ!?」
シルフィンが声をあげ、俺も窓の外に目をやった。当然、居留地の中でも一等地に構えられているはずだが、気にならないといえば嘘になる。
「区域の中に商店街もあるからな。君も買い出しなんかで、どこかのメイドと仲良くなるだろう。くれぐれも粗相のないようにな」
「き、気をつけます」
声が震えているシルフィンに苦笑しつつ、俺は上着を衣紋掛けに放り投げた。そろそろ季節も春を過ぎる。衣替えの頃合いだ。
「……そういえば、わたしの住まいはどちらになるのでしょうか?」
窓の鍵を確認していた俺に、きょとんとしたシルフィンの声が聞こえてきた。なにを言ってるんだと、俺はシルフィンに顔を向ける。
「この辺りはお家賃も高いでしょうし。周りの村から通えばいいですかね?」
どうしようと困り顔のシルフィンの顔を見て、俺は呆れたように声を出した。
「なにを言ってるんだ。君も一緒に屋敷に住むに決まっているだろう」
本当にこのメイドは人の話を聞いていないなと思いながら、そういえば言い忘れていたと思い出す。
珍しく目を見開いているシルフィンへ、俺はまぁいいかと告げるのだった。




