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£最終話 異形の街とメイドの微笑み

 このところ、旦那さまは嬉しそうです。


 つい先日まで、花瓶が置いてあった場所。花が枯れ、新しいものを買ってこなければと思っていた場所を見つめながら、私はゆっくりと眉を寄せた。


「うーん、やっぱり変ですかねぇ」


 きらきらと煌めいている蟹の甲羅を眺めて、目を細めて思案する。


 彼と行ったニルスの港町。そこで結局、持って帰ったジュエルクラブ。私の家にひとまず保管していたけれど、どうやって売ればいいかも分からずに置物になってしまっていたものだ。

 盗難も怖いし、どうせならと屋敷に持ってきてみたのだが、その歪なひび割れに思わず唇を尖らせてしまう。


 相変わらず甲羅の輝きは美しいのだけど、いかんせん食べたときの割れ口がひどい。

 もともと装飾品に加工する際は、身を無理やり取り出すなんてことはせずに、専用の器具で傷つけないように取り出すというから当然なのだろうが。


「でも、勿体ないですしねぇ」


 こんなに綺麗なのだ。なにかに使えやしないものかと、私は頑張って頭を捻る。


「……なにをやってるんだ君は」


 そんなとき、背後から聞き慣れた声がかけられた。


「あ、旦那さま。いえ、ジュエルクラブを飾ろうと思いまして」

「飾ろうとって……そんなボロボロの殻を?」


 振り返れば、彼が苦々しい顔を私に向けてきている。

 これは、どういう顔だろう。たぶん素直に嫌がっているときの顔だ。


「それは君のものなのだし、君が有効活用したまえ。ジュエルクラブの置物を飾りたいのなら、バートに頼んで持ってこさせるから」


 どうやら、彼にとってはこのジュエルクラブの殻は飾れば家の格が落ちてしまうもののようだ。

 私からすれば高級品そのものな調度品だが、一抹の寂しさと共に甲羅を下げる。


 手元に戻ってきた二色のクラブを、私はじっと見つめた。


「そう、ですね。……ただ、旦那さまとの思い出の品ですから」


 あんなにも煌びやかな時間は、生きてきて初めてのことだった。まるで自分が、物語の主役になったような。


 なにか間違ったことはしてなかっただろうか。今でも、振り返って少し後悔してしまう。


「……貸せ」


 下を向く私の手から、何かが甲羅を掴み取った。彼の手だ。掲げ、値踏みするように光に透かす。


「割と分厚い部分もあるな。指輪くらいなら作れそうか」


 そう言って、彼は赤青二色のジュエルクラブを睨みつける。

 なにを言っているのか意味が分からず、ぽかんと彼を見つめた。


「バートが懇意にしている宝石商がいる。そこで指輪に加工してもらおう。三日ほど借りるぞ」

「えっ、えっ?」


 それだけ告げて踵を返す彼に、私は慌てて駆け寄った。

 加工代もタダではないのだ。有名な工房だと、宝石そのものよりも手間賃のほうが高くつくことも珍しくないと聞く。


「だ、旦那さまっ。別にそこまでしていただかなくてもっ」


 自分はメイドだ。ただの平民の、ただのメイド。

 近寄る私に、貴方はいつもの無愛想で振り返った。


「構わないさ。食ったもので指輪。実に俺のメイドらしい」


 けれど、振り向いた貴方の顔がどこか楽しそうでーー


「あ、ありがとうございます」


 私は、思わず返事をしてしまうのです。




 ◆  ◆  ◆



 そのまま、彼は書斎へと戻っていった。

 頼まれたコーチャを煎れ、私が訪れると嬉しそうに書類を眺めていて。


 このところ、お仕事が楽しいようです。


「……ご機嫌ですね」


 かたりと、邪魔にならない場所にカップを置いた。

 最近は、少しだけ笑顔を我慢するのが大変だ。メイドに必要なのは、張り付けた笑顔と淡々と業務をこなす生真面目さ。


 この笑みは、きっと仕事の邪魔になる。


 努めて冷静に、私は彼の傍に佇んだ。


「機嫌もよくなる。君も見ていただろう、この間の水の実を」


 愉快そうに笑みを浮かべながら、彼が私に振り向いてくる。屈託のない、子供のような笑顔。


「美味しゅうございました」

「俺のはもっと凄かったぞ。ふふ、すまんな俺だけ」


 口では謝りながらも、全く「すまん」などとは思っていない。そんな分かり切った謝罪を、私は無言の頷きで返していく。


 満足げに目を細めながら、彼は小さく息を吐いた。そして、どこか遠い世界を思い浮かべるように前を見つめる。


「……俺は正直な、この世界が嫌いだったんだよ」


 ぽつりと呟いた言葉を、黙って聞いた。どういう意味だろうか。

 確かに、手放しで世界を愛している人ではないような気がすると、私は彼の偏屈そうな顔を見つめた。


「といいますと?」


 不安はない。だった、と彼はそう言ったのだ。

 けれど、返ってきた言葉は、私の予想外のものだった。


「コンビニもテレビもない。カップ麺も、チョコレートも。そのくせ、電気や鉄道だけはありやがる」


 私には理解できない言葉たち。その意味を聞く暇もなく、彼はただただ言葉を続けた。


「見渡せば、猫耳だの馬の身体だの。あげくにドラゴン? エルフだって、無駄にぴんぴん耳を尖らせおって」


 吐き捨てるように言う彼の顔は、嬉しそうだ。

 丸耳に視線を向けながら、私は静かに唇を震わせた。


「エルフは、お嫌いですか?」


 どうなのだろう。そうなのだろうか。

 私の声に、貴方の顔がぴたりと止まる。数秒だけ間を空けて、貴方は眉を中央に寄せた。


「嫌いだね。無駄に綺麗なだけで、これといった能力はない。それに……見てると思い出す。似てるからな。なのに、耳が尖ってる。最悪だ。一番嫌いな種族だよ」


 そう言い放って、貴方はゆっくりと立ち上がった。書類を纏め、傍らに控える私に手渡してくる。


「サキュバール宛に郵送しておいてくれ。代金は向こう持ちで」

「畏まりました」


 頭を下げる。

 私は、やはりだめなメイドだ。無愛想で、愛嬌もない。そのくせ、何の取り柄もない非力なエルフ。


 知っている。魔法も使えないエルフの女がどう思われているかなど。


 少しばかり学を修めたところで、この人たちの生きる世界でいったい何になるのだろう。


 唇を結ぶ私の前を、貴方が通り過ぎる。意外にも感傷はない。それはきっと、貴方は嫌いなのだろうと、出会ったときに思ったから。


 かちゃりと、音が聞こえた。

 音につられ顔を上げた先には、カップに口付ける貴方の横顔。


「相変わらず美味いな」


 それだけ呟いて、貴方は中身を飲み干した。

 カップを無造作にテーブルに戻し、背を向けて部屋を後にする。


 出て行くときに、思い出したように貴方は一歩立ち止まった。


「君は別だ。雇ってよかった」


 そう言い残し、貴方は返事も聞かずに消えていく。

 雇い主の居なくなった部屋で、私は都合がいいと胸をなで下ろした。


 少しばかり、見られるわけにはいかない顔をしていただろうから。



 ◆  ◆  ◆



 今日も無表情で働くメイドを眺めながら、俺は彼女の手元に目をやった。


「おい、シルフィン。指輪はどうした。せっかく作ってやったのに」


 シルフィンの指は、十本とも白くて綺麗な指のままだ。どれを見ても、赤にも青にも光っていない。


「旦那さま。指輪は大変嬉しゅうございましたが、メイドの仕事には邪魔です」


 雑巾を絞っているシルフィンが、呆れたようにこちらを見てくる。

 こいつ、雇い主の上に送り主の俺になんて生意気な。


 けれど彼女の言うことももっともで、ネックレスにすればよかったと俺は安易な選択を後悔した。


 まぁ別に、送った指輪を付けようが付けまいが彼女の勝手なのだが。


「それよりもだ、腹が減った。なにか作ってくれ。美味くて、それでいてファンタジーな奴だ」

「また無茶を仰いますね」


 シルフィンの眉間が、僅かながら内に寄る。

 そんな顔をされても、食いたいものは食いたい。


 水の実以降、ろくなものを食べれてないのだ。

 本物のドラゴンの肉に、ホウオウドリの卵。それにジュエルクラブ。あれらのような、異世界ならでは。それを身体が欲している。


「そういえば、東通りに魔法使いの方がやっているお店が出来たらしいですよ。なんでも、薬草料理のお店だとか」

「なに? なぜそんな重要なことをすぐに言わない」


 薬草料理。聞くからに地雷のような気もするが、食べてみなくてはわからない。

 俺は即座に立ち上がると、掛けていたコートを手に取った。


「今日は外で食べる。出かけてくるぞ」


 こうしちゃおれん。新しい店はとにかく混むし、下手をすれば並ぶのだ。


 部屋を出ていく際、頭を下げているシルフィンにそういえばと声を掛ける。


「そうだ、シルフィン。どうかな? 今晩は一緒にディナーでも」


 ダメもとでも、聞いておこう。軽い気持ちで誘った言葉に、シルフィンの無愛想な顔が前を向いた。

 耳の先をぴんと尖らせたエルフのメイドは、小さく横顔を流し見せながら唇を開く。


「少々お待ちを」


 その言葉に、俺の足が止まった。

 聞き間違いかと、シルフィンを見つめる。


 ぽかんと口を開けている俺に彼女は無愛想なまま振り向いて、しゅるりとエプロンの紐を外した。


 畳んだエプロンを、失礼しますと椅子に掛け、シルフィンは胸元へと手を伸ばす。

 襟首から中へ彼女の指が入っていき、シルフィンは首から下げた煌めくチェーンを外に出した。


 その先には、赤と青の二色に輝く、クラブの指輪。


 ネックレスの位置を整えて、彼女は俺の元へと歩んでくる。

 楽しそうに、嬉しそうに、彼女はスカートを翻して傍らまでやって来た。


 見たことのない彼女の表情に唖然とする俺に、シルフィンはにこりと微笑んだ。


「勤務外ですので」


 少しだけ意地悪そうに微笑みながら、シルフィンは得意げに胸を張る。


 メイドに必要なのは――




 いや、よそう。彼女の言うとおり、今宵の食事は勤務外だ。


「さて、お値段とお味はいかほどか」


 電気瞬く、異形の街。

 幻想もファンタジーも、ここにはない。


 あるのは、金と権力と、なにも地球と変わらない。




 そう、



 耳の尖りなどは、些細な問題だ。


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