第22話 竜の秘宝(中編)
脳裏に直接語りかけてくるような声を聞きながら、俺は目の前の巨龍を見つめた。
『随分と珍しい、キャクジンじゃな。数百年ぶりか』
巨大だ。ノーブリュードも巨龍といって差し支えない体躯をしているが、その五倍もあろうかという巨大さは、素直に生命としての畏怖を覚える。
ひび割れ、岩とも土とも区別がつかなくなった体表。鱗なのか、それとも、自然の雨風が作ったものなのか。
見えているかも分からない目を開けることもないままに、巨龍は俺たちへと意識を向けた。
「長老、お久しぶりです。飛龍ノーブリュードと、番のリュカです」
立ち姿を正したリュカが、深々と頭を下げる。リュカの声が届いたのか、老いた龍はその表情を和らげた。
『おお。主達か。よく来てくれた。顔を、よく見せておくれ』
長老の声に、リュカとノーブリュードが数歩近づく。長老の鼻先に軽く触れながら、リュカとノーブリュードは頬をすり寄せた。
『二人とも元気そうじゃな。ふふ、この身体になると、若い芽を見ることくらいしか楽しみがない』
ぺきぺきと音を立てながら、龍の顔が綻んでいく。剥がれていく土の表皮を見て、リュカが愛しげに体表を優しくなぞった。
「あっちの二人は、リュカたちの友人です。この森に、興味があるとのことでしたので」
リュカの言葉に、俺とシルフィンがびくりと身体を揺らす。
なにか言われやしないかと唾を飲み込んでいる俺たちに、長老は顔の土を剥がしながら言葉を続けた。
『構わんよ。元より、私の島というわけでもない』
言いながら、長老はゆっくりと息を吸った。周りの木々がさざめき、身体の上の巨木の枝が静かに揺れる。
それにしても、不思議な光景だ。
ドラゴン。それ自体は、俺にも理解できる。どれだけ神秘的であろうが、言ってしまえばただの生き物、動物だ。
だが、目の前の老龍は違っていた。土地神。そう呼ばれる存在を見るのは初めてだが、それも分かるというもの。
巨大さとは、雄大さ。だが、それだけではない。
見上げ、どれほどの高さかも分からない巨木を想う。
これだけの木が生長するのに、いったいいくらほどの年月が必要だというのだろう。
そして、当然。この老龍は大木よりも長く世界を見続けていることになる。
思わず、佇まいを正していた。
『数えるのもな、忘れてしまったよ』
どきりと胸が跳ねた。見れば、長老の視線が自分へと向いている気がする。
まるで心の内を読まれたかのような声。鼓動が、数拍速くなる。
『翼を折られ、背中を裂かれ、私がこの島に辿りついたのが数千年前。ふふ、なぜそんなことになったのかすら覚えていない。だが、それでもよく覚えている。……なにもない島だった』
昔を懐かしむように、老龍は遠い記憶に想いを馳せる。
話を語れるのが嬉しいと隠しもせずに、龍は島の成り立ちを話し始めた。
『土と小石の島。少しばかりの草しか生えていない。動けず、ただ生きているだけの日々だった。数百年は、己のしぶとさを呪ったものよ』
およそ人間には、想像も出来ない話。ただ何もない大地を眺めるだけの日々を、生きているというのだろうか。
『風が吹き、雨が降った。何千年後だろうか……気がつけば、私の周りは草花たちで溢れていた』
巨龍は語る。この森の成り立ちを。
『馬鹿な話だろう。毎日、見ているとな。変化に気がつかない。私が自分の周りが変わっていることに気がついたのは、背中の木が身体を覆い尽くした頃だった』
愉快そうに。まるで昔の失敗を笑い話にするように、龍は笑う。
『……してキャクジンよ。なにが望みだ』
巨龍の瞳が、こちらを見つめてきていた。
細く開いた土塊の瞼の奥に、龍の瞳が見つめている。
「あ、なんかね。長老の秘宝が欲しいんだって」
あっけらかんと言い放ったリュカに、俺は自分の心臓が飛び出る音を、確かに聞いた。
◆ ◆ ◆
『竜の秘宝が食べたい?』
こくりと頷く俺を見て、老竜はハテと首を傾げた。
それはそうだろう。俺は、見るからにそういう男ではない。
魔力だとか竜の力だとか、そういうものを欲する男でないことは長老ならば見抜くはずだ。
「なんかね、珍しい食べ物が好きなんだって。味が気になるんだってさ」
リュカの元もこうもない発言に、背中を汗が伝う。間違いではないのだが、もうちょっと言い方を工夫して欲しい。
しかしリュカのその説明に、長老は楽しそうに声をあげた。
『はははっ。なんじゃ、面白い男じゃのう。そのためにわざわざ、このような秘境にまで』
顔や身体の土が、長老の皮膚からパラパラと落ちていく。どうやら怒らせてはいないようだと、俺はホッと胸をなで下ろした。
そんな様子の俺を、長老が細めた目で見つめてくる。見透かされるような視線。いや、既に気づかれているだろう。
ならば、隠す必要もない。リュカやシルフィンには伝わらないよう、俺は長老へと一礼した。
「桂木俊一郎です。この世界を、感じたいと思いまして」
俺の挨拶に、長老が黙って頷く。
数百年ぶりと、言われていたか。どうやら俺以外にもいるようだ。
『構わんよ。……味は、私もよく知らないがね。はは、自分の背から実ったものだ。食う気になれなくてね』
長老の言葉に、俺もそれはそうだと頷く。
『リュカたちも、食べるといい。少しばかりは、魔力も上がるだろう』
「えっ、マジですか?」
噂は本当だったのかと、リュカの目が見開かれる。彼女ほどの魔法使いだ。更なるレベルアップは、容易なことではないのだろう。
『まだ少々若いが、食べられないことはない』
言葉に応じるように、巨木がざわつきだす。幹や枝が震え、俺は龍の木を見上げた。
枝葉が、ザワザワと音を立てる。そして、開かれた葉の間から、実を持った枝がゆっくりと姿を現した。
その枝の先に、俺は目を見開く。
「これが……」
目の前まで降りてきた実に、思わず見入ってしまう。
蛍木のような、輝く実ではない。宝石とも、黄金とも違う。
想像すらしていなかった目の先の果実を、俺は興奮する面もちで見つめ続けた。
『なんてことはない、ただの実だよ。他人は、竜の秘宝などと呼んでいるがね』
長老の言葉が、頭の裏で通り過ぎる。
断じてそんなことはないと思いながら、俺は感謝の瞳を龍へと向けた。




