第20話 旅路
「ほう、これは」
目の前に現れた立派なログハウスに、俺は声を出していた。
傍らで寝息を立てているドラゴンをいったん無視して、俺は丸太で作られた家に目を向ける。
しっかりとした作りだ。年甲斐もなく、男心をくすぐられる。
こちらの世界では木造の建物が珍しいこともあって、俺はしばしその家に魅入ってしまった。
「ノブくーん、帰ったよー!」
駆けだしたリュカが、ノーブリュードへと飛びついていく。顔に抱きつかれキスをされたノーブリュードが、眠たそうに目を瞑ったまま、リュカにキスを返した。
「んぅぅ。ちゅーである。我が君がいなくて、寂しかったである」
「ごめんよぉ。ほら、ちゅー」
よしよしとリュカに頭を撫でられて、ノーブリュードは幸せそうに喉を鳴らした。すりすりとリュカに頬ずりをするノーブリュードを、俺たちは無言で見つめる。
「うーん。我が君、愛してるであ……るッ!?」
ようやく瞼を開けたノーブリュードが、俺たちに気がついて息を飲んだ。困惑して目を見開くノーブリュードに、リュカはむちゅうとキスを続ける。
「リュカもー。愛してるぜー。ちゅー」
「えっ!? いやっ、あ、そのっ。グルルルルルルルッ!!」
テンパったノーブリュードが、とりあえず誤魔化すように唸りを上げた。わざとらしく喉を鳴らし、バサリと翼を広げて首を上げる。
「客人よ、よくぞ参った。歓迎しよう。ゆっくりしていくがよい」
「あ、はい。お邪魔します」
顔を真っ赤に染める赤龍を見上げながら、俺とシルフィンはニヤつく頬を押さえつつ頭を下げた。
◆ ◆ ◆
「竜の森にであるか?」
「うん。おっさん達と一緒に行こうと思ってさ。ダメかな?」
ログハウスの外、庭に残された切り株の上に、俺たちは座っていた。
どうもここら一帯の開けた空間は、人為的に作られたもののようだ。リュカ達が家を建てるために開拓したのだろう。
ログハウスの中が大変に気になるところではあるが、生憎とノーブリュードは中には入れない。奇妙な二人の同棲生活を気にしつつ、俺は思案するノーブリュードへ視線を向けた。
「別に構わんであるよ。特に決まりがあるわけでなし。長老も、客人が増えれば喜ぶであろう」
あっけらかんと言い放つノーブリュードに、俺はホッと胸をなで下ろす。しかし同時に、意外だと目で問いかけた。
「確かに訪れる者は少ないが、それはあの場所に行くのが困難だからで。向こうは来るもの拒まずであるよ」
ノーブリュードの言葉に、俺とシルフィンは顔を見合わす。行くのが困難だと言われて、少し怖くなってきた。
不安を感じる俺たちに、リュカが大丈夫だと胸を張る。
「安心しなおっさん。徒歩じゃ一生かかっても無理だろうけど、うちのノブくんにかかれば、ひとっ飛びってなもんよ」
その言葉に、俺はなるほどと理解した。
例えば深い渓谷に囲まれた土地、海に囲まれた孤島。そういった自然の秘境が抱える障害を、ノーブリュードは無視して空から降り立てるのだ。
しかも、滑走路やヘリポートすら必要ない。そういう意味では、近代文明機以上の利便性である。
「んで、シルフィンさんも本当に来るんだよね?」
リュカに聞かれ、シルフィンが背を反らした。しかたがないと、シルフィンが顎を引く。
「当然です。旦那さまをひとりで行かすわけにはいかないので」
シルフィンは覚悟を決めた表情でリュカを見つめた。少しだけ未だに警戒している視線を嬉しそうに受け流しながら、リュカがベシベシと尻尾を揺らす。
「いいね。楽しい旅になりそうだよ。ね、ノブくん」
「ん? 任せるである。飛竜の誇りに賭けて、安心安全に送り届けよう」
事情を知らないノーブリュードが、得意げに羽を広げた。面白そうにシルフィンを眺めるリュカに、俺はやれやれと肩をすくめる。
とりあえず女性陣の思惑に突っ込んでいても仕方がないと、俺は気になっていることを質問することにした。
「ところで、その竜の秘宝っていうのはどんな食べ物なんですか?」
俺の質問に、ノーブリュードがおやとリュカを見つめる。ただ、別に話しても問題ないものだったのか、ノーブリュードは大きな口を俺に向かって動かした。
「竜の秘宝は、竜の森の世界樹に成る果実である。とはいっても、余も実際に食べたことはない」
「ノーブリュードさんも?」
意外に思い、つい聞き返してしまった。ノーブリュードが食べたことがないとなると、これはいよいよ食べれるかどうか怪しい。無駄足はごめんだ。
「実が熟す季節に行かねば、食えぬである。……今ならちょうど食べられるはずだ」
「ほんとですか?」
だいぶ冬に差し掛かっているが、問題ないとノーブリュードは鼻を鳴らした。具体的な話が飛びだしてきて、俺の心に火が灯る。
シルフィンも秘宝自体は気になるらしく、期待を込めた眼差しを俺のほうへと向けてきた。
「リュカ達も、会ったことあるの三回くらいしかないんだよ。そんときは時期ずれてたしさ。言われてみたら、一回くらい食べてみたいよね?」
「そうであるなぁ。魔力の塊だとか、自然の神秘だとか言われているであるが、実際食べたことのある者の話は聞いたことがない」
なにぶん、そもそも行くこと自体が困難な聖域だ。そこの世界樹の実を食べるなど、基本的には思っても実行する奴はいないのだろう。
「そ、それって。食べても大丈夫なんですか? 長老さんに、怒られたりするんじゃ」
話を聞いていたシルフィンが、不安そうに声を上げた。シルフィンの当然の疑問に、けれどあっけらかんとノーブリュードは答える。
「大丈夫だと思うである。長老、あんまり怒らないし」
本当かよと心の中で突っ込みを入れながら、俺はノーブリュードを見つめた。
「まぁ、とりあえずは出発だね。今から行けば明るいうちには着くだろうし、荷物整理したら出ようか」
ここで話していても仕方がない。横で胡座をかいていたリュカが口火を切り、それもそうだと俺もゆっくりと頷いた。
竜の森の竜の秘宝。どうなることやらと、俺はまだ見ぬ秘宝の味に、思いを巡らせるのであった。
◆ ◆ ◆
「ひぃぃぃぃッッッ!!」
シルフィンの悲鳴が大空へと溶けていく中、俺は久しぶりの飛行を満喫していた。
リュカの魔法のおかげでゴンドラの中は快適そのものだ。多少風は感じるが、喋れないほどでもない。
考えてみれば、リュカの役割も重要だ。温度調整に風除け。これらを一人でこなすには、火属性と風属性の二つの魔法を高レベルで使いこなさなければならない。
「落ちるッ! 落ちるぅッ!!」
魔法はさっぱりな俺だが、一種類の魔法でさえ上級魔法を修められるのは一握りの者だけだと聞いたことがある。ゆえに、四大魔法のうちの二種類の属性を収めた魔法使いは畏敬の念を込めて『ダブル』と呼ばれるのだそうだ。
「相変わらず速いですね。気持ちがいいです」
「はははー。だろー? ノブくんは世界一のドラゴンだかんねー」
リュカに誉められ、ノーブリュードが喉を鳴らす。微笑ましいカップルを眺めながら、俺は航空便に色々と思いを巡らせていた。
ノブの頭の上で胡座をかきながらこちらを向いているリュカは、見た目だけならば偉大な魔法使いにはとても見えない。渋谷か池袋で歩いている、ちょっと抜けた女子高生のようないでたちだ。
「ひぃぃぃぃッ! やっぱりやめておくんだったぁあああッ!」
人は見かけによらないとはこのことだなと、俺は経験として胸に納める。先入観や思いこみは、捨てなければならない。
「リュカさんはダブルの魔法使いなんですよね? さすがです」
魔法と聞けばファンタジーだが、要は学問だ。この若さで世界でも一番と呼ばれる大学を主席で卒業し、こうして愛する者と生計を立てている。
地球と、なにも変わらない。俺は尊敬の念と共に、目の前のドラゴン娘に賛辞を送った。
「ん? いや、リュカは『クワトロ』だよ。四大魔法は全部使えるかんね」
訂正。やはり思いこみはそう簡単には捨てられないらしい。なにごとも素人考えは危険だと、俺は胸の奥に刻み込んだ。
「おっ、見えてきたであるぞ」
実に快適なフライトを楽しんでいると、先頭を見据えていたノーブリュードの低い声が届いてくる。その言葉にリュカが振り返り、俺もどれどれと身を乗り出した。
「……えっ?」
それを目にした瞬間、脳が広がる光景に追いつかなかった。
嘘だろと、目を見開いて確認する。
「おー、相変わらず壮観だねぇ」
リュカが目を細めて微笑んで、ノーブリュードも翼を力強く羽ばたかせる。
二人の会話を、どこか遠い世界のように聞きながら、俺は目の前に現れた「竜の森」を、ただただ呆然と目に焼き付けるのだった。




