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第02話 輝きのブドウ (前編)

 手元の書類を眺めながら、俺は暖炉の熱気をぼんやりと感じていた。

 椅子の背に体重を預けながら、書類の数字に目を通す。


 ひとことで言えば、凄まじい額だ。これが俺の今月分の給料ということになる。そしてその横には、更に凄まじい額の総預金。


 屋敷を買い、王都に引っ越し、メイドを雇った。それでもなお、金は尽きるどころか気づかぬうちに膨れ上がっている。


「……笑いすら起きんな」


 そんな俺でも、小物の成金の域は出ない。要は俺にこれだけの給金を支払っている輩がいるのだ。貴族だとか上流階級ジェントリだとか呼ばれる彼らは、金が使えば減るものだとは思っていない。


『シュンイチロー、お前がいれば完璧だ。俺に任せてくれないか』


 没落貴族のバートと知り合ったのが二年前。現代の知識で小銭を稼いでいた俺を、ここまでの生活に引き上げてくれたのはあいつだ。

 もちろん、バートも俺のことを利用する気まんまんなわけだが、けれど損得なしの友情も向けてくれる良い奴である。


 あいつの屈託のない笑顔を見ると、少しだけほっとする。未だに赤土色の肌と金色の目には慣れないが、友情は偏見を超えるということだろうか。


「ふぅ」


 しかし、慣れない。シルフィンはまだエルフだからいいが、今でも街を歩くのは居心地が悪い。

 俺の感じるこの肩身の狭さの原因は、果たして俺が異世界人だからなのだろうか。


 溜息を吐いたとたん、小さなノックの音が耳に届いた。

 

「旦那さま、よろしいでしょうか?」


 凛とした声。屋敷にいるのは俺と彼女だけだ。椅子に預けた上体を起こしながら、俺はシルフィンを部屋に招き入れた。


「どうした? なにかあった……らしいね」


 扉を開けて一礼するシルフィンへ顔を向けて、俺は思わず眉を寄せた。なぜなら彼女のすぐ横に、長身の赤土色の肌をした男が、にこやかな笑顔で手を振っていたからだ。


「すみません。驚かせたいと言われまして」

「大丈夫。ありがとう、シルフィン」


 申し訳なさそうに頭を垂らすシルフィンに、俺は右手を上げて礼を言う。こんなくだらないことに付き合わされて、彼女にとってもいたく迷惑だったろう。


「バート。来るなら来ると言ってくれ。あと、俺のメイドをあんまりいじめるな」

「はははー。びっくりしたろっ?」


 楽しそうに笑いながら、バートはずかずかと俺の方へと歩いてきた。右手に大きな袋を持ち、それを床に無造作に置くと不思議そうに部屋を見渡す。


「おいおい、ソファが無いな。客人を立たすとは何事だ」


 そう言いながら、バートは俺の書斎机の上に尻を乗せた。


「バート、ここは応接室じゃない。俺の書斎だ。ソファに座りたかったら、きちんと来客用の部屋で待っててくれ」


 呆れたように口を動かすが、ひょうきん者の貴族様には効果はないようだ。俺を愉快そうに眺めながら、バートは懐から紙の束を取り出した。

 気分良さそうに笑いながら、バートは紐で括られたそれらを放り投げる。読んでみろということらしい。


「今期のサキュバール家の推移表だ。右肩上がりどころか、秋なんかは壁って言ったほうが正しいな」


 俺が資料を確認する前に、バートが内容の説明を勝手に始める。紐を解いて見てみれば、確かに今年もバートの家の商い事情は順調のようだ。


「いいことじゃないか」

「ああ、いいことだ。これもシュンイチローのおかげだよ」


 にこにこと爽やかな笑顔を向けながらも、バートは金色の眼をゆっくりと細めていく。悪魔だか吸血鬼だかの血筋らしいが、この表情をしているときのこいつは少し苦手だ。


 表情を静かに鎮める俺を見つめた後、バートは観念したように息を吐いた。


「お前となら、この国の頂点に立つことも出来ると思うんだがな」

「買いかぶりだバート。お前には感謝しているし、これからも協力は惜しまん。だが、俺は今の生活で十分満足してるんだ。分かってくれ」


 俺の言葉に、バートは唇を尖らせる。父親の休みが潰れた子供のような表情だ。しかしバートには悪いが、俺はこれ以上貴族だの権力だのといった世界には深入りしたくない。

 バートを影から支える。それが俺がこの世界に干渉できる精一杯だ。


「……まぁ、無理強いはせんさ。シュンイチローのおかげで、我がサキュバールも四大貴族と言われていた頃の栄光を取り戻した。確かにここからは、当主である俺の役目だ」


 少しだけ淋しそうに呟きながら、バートは机の上から立ち上がった。すまないと頭を下げる俺の肩を、バートはいつもの笑顔で叩いてくる。


「なに、気が変わったらいつでも言ってくれ。お前を上流階級ジェントリにする準備自体は進めてるんだ。お前の家と俺のサキュバール。手を組めばまさに無敵だぞ」

「お前……またそうやって勝手に」


 夢を語るバートの顔は屈託なく輝いていて、俺もつい頬を掻いてしまう。この強引さに半ば引きずられて、俺はここまでやってきたのだ。


 しかし、それもここまでだ。自分の家を守っていくなんて、そんな苦労、俺は背負い込みたくはない。家を持つと言うことはつまり、自分一人の問題ではなくなるということだ。


「すまないな。俺には、彼女一人くらいが精一杯だ」


 言いながら、シルフィンへと目を向ける。部屋の隅で控えていたシルフィンが、驚いたように目を見開いた。彼女にしては珍しい。

 完全に傍観に徹していたシルフィンに、バートも興味深げに視線を送る。そして、シルフィンの容姿に目を落としてうんうんと頷いた。


「なんだ、シュンイチローは平民の女が好みだったか。なぁに心配するな。平民の女とのまぐわいは、数には入れないってお嬢さんは割といる」


 値踏みするようなバートの視線に、シルフィンの身体がびくりと竦む。何か勘違いしているバートに、俺は慌てて声を上げた。


「馬鹿っ! ち、違うっ。使用人を雇えば、責任が生まれるって意味だ! ……って、シルフィンっ!? 大丈夫だっ。身構えなくていいっ!」


 俺から、一歩シルフィンが距離を取る。シルフィンの表情が警戒を帯びたものに変わるのを見て、俺はぐしゃぐしゃと髪を掻いた。

 俺の機嫌が悪くなるのを見て、バートがけたけたと愉快そうに声を上げる。


「はははっ。分かってるさ、そう怒るな。軽いジョークだ」


 爽やかな笑みのまま、バートは床の袋を持ち上げた。箱型のものを包装しているその袋を、バートは先ほどまで座っていた書斎机の上に置く。


「シュンイチロー。お前、珍しくて美味いものが好きだったろ? これは礼も兼ねた土産だ。後で食ってくれ」

「あ、ああ。すまんな」


 食べ物と聞き、思わず袋に目が行ってしまう。結構でかい。何だろうと眺めている俺で、バートがにやにやと口角をつり上げた。


「元はアキタリア皇国の固有種でな。皇室の秘伝栽培って奴だ。呆れたアホが苗木を盗んで、勝手に栽培を始めたらしい。数年も経てば、こっちの市場にも出回りだす予定さ」

「おいおい。いいのか? 随分ときな臭い話だな」


 説明を受け、俺は袋の表面を撫でてみた。どうやら木箱のようだ。バートの口振りからするに、木箱の中身は植物だろう。野菜か果物か、香辛料ということも考えられる。


 興味をそそられた様子の俺に、バートは満足そうに頷いた。


「お嫌いだったかな?」

「まさか。大好物だ」


 バートも人が悪い。手みやげがあるのなら、もう少し早く出してくれてもよかったのに。


「シルフィン、紅茶だ。俺の良き友人に、エルダニア産の一等茶葉を」

「かしこまりました」


 指を鳴らした俺に向かい、シルフィンが恭しく頭を下げる。大切なお客人が来ているのだ、主として持て成さねばなるまい。


 しかし、俺の声にバートが残念そうな声を上げた。


「いや、申し訳ないがこの後も予定があってな。そろそろ出ないといけないんだ」

「ん? そうなのか。悪いな、手みやげまでわざわざ」


 コートの襟を直し始めたバートに、俺も少しだけ名残惜しくなる。どうせなら、バートの前で土産を開けたかったところだ。


「かまわないさ。お前の気を引くためならな。どうだ、金は足りてるか?」

「充分だ。いつもすまない。この間のプランも、今月末までには書類に纏めておくよ」


 俺の返事に、バートが頷きながら右手を差し出す。それを握りしめて、俺はこの世界で唯一の友人に礼を言う。


「ありがとう。土産の感想は、また今度」

「ああ、そうだな。ついでに、大規模栽培に関するアイデアでも考えておいてくれるとありがたい」


 心底愉快そうに笑うバートを、呆れた表情で俺は見上げる。まったく。あれほど面倒事には巻き込むなと言っているというのに。


 俺の表情を読みとってた、けれどバートはけたけたと高く笑った。そのまま、踵を返して扉の横のシルフィンに右手を上げる。


「君も、食べられないよう気をつけておきたまえ」

「ふぇっ?」


 思わずシルフィンが似合わない声を上げ、それを聞いたバートが我慢できないと笑いをこぼす。本当に笑ってばかりの奴だ。


 最後に、バートは書斎を眺めて考えるように笑顔を止めた。


「シュンイチロー、やはりソファは用意しておけ。床の上では彼女に失礼だ」


 神妙な顔で忠告してくるバートに、俺は呆れを通り越して眉を寄せるのだった。



 ◆  ◆  ◆


 

 バートが帰った後、俺たちは机の上の木箱をじっと見つめていた。


「何が入っているんでしょう?」

「さぁな。バートの口振りからすると、植物だが……」


 シルフィンも興味津々といった様子で、木箱に指をかける俺に声をかける。相変わらず無表情だが、期待感が隠し切れていない。


「そういえば、旦那様とバート様は仲がよろしいですね」

「ん? どうした急に?」


 さぁ開けるぞと指に力を入れる俺に、シルフィンの声が割り込んだ。シルフィンと目が合い、彼女の首が小さく傾く。


「いえ、旦那様にもご友人とかいらっしゃったのだなぁ……と」

「君は俺のことを何だと思っているのかね」


 さすがの俺も軽く傷ついた。まぁ確かに、日本にいるときから友人は少ないほうだが。これでも仕事の交友関係には自信があるほうだった。


 バートも仕事上の関係だと言えるが、奴に関してはそれだけではない。俺は箱から指を離し、どう説明したものかと前髪をいじった。


 が、今はそんなことはどうでもいいと思い直す。目下のところの重要事項は箱の中身だ。

 俺のそんな気分が伝わったのか、シルフィンもどうぞと木箱に手を向けた。


「開けるぞ」

「はい」


 何が入っているか、バートのお手並み拝見といこうじゃないか。


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