第19話 メイドの憂鬱
「竜の森……竜の巣のことですか?」
リュカの言葉に、俺は聞き返した。
竜の巣ならば、聞いたことがある。オスーディアとアキタリアとの国境線上に存在する、深い谷。龍種が巣くうドラゴンの集落だ。
古来よりアキタリア皇国はその竜の巣と交友があるとされているが、そのアキタリア皇室ですら詳しい場所は把握していないという。
しかし、リュカはドラゴン本人の恋人だ。知っていてもおかしくはないのかと、俺は期待を込めた眼差しでリュカを見つめた。
「いや、竜の巣じゃないよ。あそこはリュカも行ったことないんだ。ノブくん、はぐれ竜だかんね。里帰りが恥ずかしいのさ」
やれやれだぜと、リュカは両手を上げて息を吐く。行くこと自体は不可能ではないという様子のリュカは、やはり規格外の存在なのだろう。
竜の巣ではないものの、リュカは件の竜の森についての説明に口の端を上げた。
「竜の森ってのは、名前の通り龍が創った森だよ。ちょいとそこの長老には世話になったことがあってさ。久しぶりに近くに来てるみたいだから、会いに行こうと思ってね」
「近くに……?」
リュカの言い回しが気になって、聞き返してしまう。どういう意味だろう。森が近づくわけはないから、長老が出てきているのだろうか。
そんな俺の顔を見て、リュカが愉快そうに笑顔を見せる。うーんと少しだけ考えて、リュカは俺とシルフィンを交互に見つめた。
「なんなら、おっさん達も一緒に行くかい?」
そう言って笑うリュカに、俺たちはどう返せばいいものかと、顔を見合わせた。
興味はあるが、なにせ旅路だ。即座に頷けるものでもなく、俺はシルフィンの顔を眺める。
「わ、私はその……ちょっと。お二人の邪魔をしても、悪いですし」
苦々しい口調で、シルフィンは声を絞り出す。。ノーブリュードとリュカの仲を気遣っているようにも聞こえるが、本心は空を飛ぶのが嫌なのだろう。前回、相当参っていたからな。
「俺も、せっかくの申し出ですが。仕事もありますし」
正直、リュカも社交辞令で誘ってくれただけだろう。恋人同士のフライトだ。シルフィンの言うとおり、邪魔しても悪い。
それに、美味いものがあるわけでもないのに長旅する気も起きなかった。
ぺこりと頭を下げる俺に、リュカがふーんと目を細める。ちらりとシルフィンに目をやって、再び俺へと視線を向けた。
「おっさん、珍しくて美味いもんが好きなんだって?」
「えっ? まぁ、そうですけど」
にたにたと笑みを浮かべるリュカに、俺は首を傾げる。そして、数秒後に「まさか」と目を見開いた。
リュカの唇が不敵に開き、彼女の口から牙が見える。
「あるぜ。竜の秘宝、食ってみる気はないかい?」
その言葉に、どくんと胸が揺れる。畳みかけるように、リュカは誘う台詞を続けていった。
「竜の森にはね、世界樹がいるのさ。森の原点、その世界樹に実る果実は、竜の秘宝って言われてる。リュカと一緒なら、食えないこともないぜ?」
魅惑的な言葉が俺の耳に届き、俺はごくりと唾を飲み込んだ。
正直、すでに気持ちは未知の味に傾いている。
疑問があるとすれば、リュカが自分を誘う理由。言ってしまえば、一度利用しただけの客だ。
しかし、そんなことは関係ないとばかりに、リュカはにかりと笑顔を見せた。
「どーする?」
「そ、そうですねぇ。……シルフィンは」
振り向けば、ぶんぶんとシルフィンが首を振っている。よっぽど空の旅が嫌らしい。「行かれるなら、旦那様だけでどうぞ」と顔が言っていた。
「私は、本当に無理ですので」
隠すこともなくなったシルフィンに、リュカがすっと目を細める。少し考えて、リュカは俺の腕をぎゅっと握った。
突然抱きついてきたリュカに、俺もシルフィンも目を見開く。それを牙を見せて笑い飛ばしながら、リュカは俺へと甘えるような声を出した。
「いいじゃんさぁ。メイドもああ言ってることだし、リュカと一緒にイこうぜぇ。おっさん楽しいからよ、来てくれるとリュカ嬉しいなぁ」
ぎゅむぎゅむと胸を押しつけてくるドラゴン娘に、俺も慌てたように腕を引いた。
鱗と角の付いた女に興味はないが、往来で抱きつかれるのは具合が悪い。しかも、リュカの見た目的になんか色々とアウトだ。
リュカはちらちらとシルフィンを確認しながら、いやらしい笑みを浮かべていた。そんなリュカに、シルフィンがたまらずに声をあげる。
「ちょ、ちょっとリュカさん! なにしてるんですか! こんなところで」
「えー? 別にいいじゃん? じゃあ、ここじゃなかったらいいんだね」
リュカの声に、うぐっとシルフィンが声を詰める。シルフィンの動揺をけたけたと楽しみながら、リュカは愉快そうに俺を引き寄せた。
「おっさんには、リュカの大事なもんあげちゃったからさぁ。リュカも色々と気になってんのさー」
「か、回数券のことでしょう!? 変な言い方しないでくださいっ!」
珍しく顔を真っ赤にしているシルフィンに、リュカが心底楽しそうに目を細める。さすがのシルフィンも頭に来たのか、怒気を含んだ声でリュカに近づいた。
「旦那さまから離れてくださいっ。それに、リュカさんにはノーブリュードさんがいるでしょう? そういうの、いけないと思いますっ」
「えぇー、そういうのってどういうの? はっきりと言ってくんないと、リュカ分っかんないなぁー」
ふふんと鼻を鳴らすリュカに、ぷつんとシルフィンの何かが切れた。無表情な彼女の顔が崩れ、切れ長の目が眉と共につり上がる。
「だ、旦那さまっ! こんな輩と旅など行ってはダメですっ! なにを考えているか分かりませんよッ!」
「んー、そうは言うがなぁ。めったに食べれないものが食べられるとなると」
腕を組み、俺はどうしたもんかと眉を寄せた。
シルフィンはどうしても空旅が嫌なようだ。それに、リュカに対して思うところがあるようで、ここら辺の理由は俺にはよく分からない。
ただ、リュカが悪い人物でないことはこの間の一件で知っているし、せっかく誘ってもらってるのに無碍にするのも忍びないというものだ。
「よし、分かった。無理に君が来る必要もないだろう。俺だけリュカさんに同行すればいい話だ」
「えっ!?」
考えてみれば、特にシルフィンの仕事があるわけでもない。久しぶりの休暇を彼女に与えることも出来るし、丁度良いように思えた。
「だ、旦那さまっ!? 私を置いて行かれるんですか!?」
「置いて行かれるんですかもなにも、空旅は嫌なのだろう? なに、休暇も出さねばと思っていたところだ。君は君で、羽の下を伸ばすといい」
ポカンと口を開けているシルフィンに、俺はうんうんと頷いてやる。俺だって鬼ではない。作業効率の向上の鍵は、適度な休みだ。
「構いませんかね、リュカさん。僕だけでも」
「えっ? いや、リュカはいいけどさー」
なぜか歯切れの悪くなったリュカに、俺は首を傾げる。ただ、リュカも恋人のノーブリュードとの旅路だ。確かに男一人だけで付いていくのもアレかもしれない。
「わ、私も行きますっ!!」
そのときだ。心変わりしたように突然声を上げたシルフィンを、俺はわけが分からないと見つめるのだった。
◆ ◆ ◆
深い山々に入っていく。石畳で舗装された街とは似ても似つかない道を、俺たちはゆっくりと歩いていた。
どことなしに、少し暖かく感じる山の道を踏みしめる。肩にかかるリュックの重みに、俺はひとつ息を吐いた。
「悪いねぇ、おっさん。持ってもらって」
「いえ、これくらいは。それにしても、凄いですね。いつもこの道を?」
目の前を行くリュカの尻尾が、ぶんぶんと揺れる。当たれば跳ね飛ばされそうなリザードマンの尾に注意して、俺は辺りを見渡した。
清涼な森だ。オスーディアの街から歩いて一五分ほど。竜の森などとは違い、なんの変哲もない木々のはずだが、それでもどこか神聖な場所のように感じてしまう。
「不便かどうかで言ったら不便だけどねー。地脈が安定してるし、口うるさい土地神もいないかんね。ノブくんと住むにゃ丁度いいんだ」
リュカの説明に、俺はなるほどと頷いた。地脈。異世界人の俺には知るよしもないが、もしかしたらこの二年で、俺もそういうものを感じられるようになっているのかもしれない。
「ぐっ、はぁ……ぜえ」
道行く木の葉を見上げていると、背後から荒い息が聞こえてきた。振り返り、どうしたものかと頬を掻く。
「大丈夫かシルフィン? ちょっと休んだほうが……」
「大丈夫ですっ! これくらいの山道、どうってことはありません!」
鼻を広げ、メイド服の裾を持ち上げながらシルフィンがこちらを睨んでくる。相変わらずひ弱なメイドを気遣って、俺はリュカに声をかけた。
「リュカさん、少し疲れました。休んでもいいですかね?」
「ん? そうだねー。一息入れようか」
リュカも、シルフィンの様子を見て足を止める。察したシルフィンが悔しそうに顔を歪めて、俺の側で歩みを止めた。
「も、申し訳ありません。本来なら、その荷物も私が持つべきところでしょうに」
「構わん。いいから休め」
息を整えるシルフィンに、リュカが水筒を差し出す。それを素直に受け取って、シルフィンはぺこりと頭を下げた。
ただ、息ひとつ乱していないリュカを見て、シルフィンがしょんぼりと肩を落とす。どうも、非力な自分にコンプレックスがあるようだ。エルフの女性は人間と同じくらいの腕力しか持っていないから、リザードマンのリュカと比べるのは酷とは言える。
俺はなにも言うことなく、森の静寂に耳を傾けていた。
恐ろしく静かな森だ。鳥どころか、虫のうごめきすら聞こえない。森に入ったばかりの頃は、確かに生き物の気配もしたはずだが。
「静かですね」
「あー、それね。ノブくんのせいかなー。みんな怖がって、寄ってこないんだ」
リュカの言葉に、俺は納得して顔を向ける。しかし、リュカの表情がどこかもの悲しそうで、俺はリュカにも声をかけるのを止めた。
「ということは、そろそろということですね?」
「ん? そだよー、あとちょっと。頑張れるかい?」
話を続けたのは、水筒を飲み干したシルフィンだ。リュカの声に、もちろんだとシルフィンは力強く頷く。
「よし、じゃあ行こう。リュカとノブくんの、愛の巣に」
ミニスカートを翻し、リュカがいつもの笑顔を作る。なんだかんだで仲良くなった気がする女性陣を見つめながら、俺は肩の重さに気合いを今一度入れ直すのだった。
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