第18話 竜の森
「いやぁ、この間は怒られたな」
「怒られましたねぇ」
オスーディアの街道を歩きながら、俺はしょんぼりとした声のシルフィンに向かって笑いかけた。
シルフィンが呆れたような目を向けてくるが、無視をしながら石畳の道を進んでいく。
相変わらず人の多い街だ。だが、人が多くとも空気が綺麗な気がするのは、車が走っていないからか。
「はぁ……でもびっくりしました。まさか王女さまだったとは」
隣では、がっくりと肩を落とし張りのない声を上げるメイド。この間のパーティー以降、ずっとこんな感じだ。
まぁ、バートどころかシャロンからもお叱りを受けたのだから当然とも言えるが、それよりも彼女にとっては王族に無礼を働いたことが尾を引いているらしい。
「別にいいじゃないか、とうの姫様には『楽しかったです』と笑っていただいたんだ。あまり落ち込んでいると、それこそ不敬だぞ」
「……いいですね、旦那様は。なんというか、無敵で」
弱々しく口を開くシルフィンの言葉に、俺はむっと眉を寄せる。このメイド、最近主人に対して生意気ではなかろうか。
とはいえ、大事にならなかったのは幸いだ。そこら辺は、姫様の人柄に感謝である。
あのシャロン嬢が慌てていたところを見るに、相当やばいことをしてしまっていたようだからな。
「まったく、貴族の慣習だけでも面倒なのに。王族限定の儀礼など知るか」
じと目のシルフィンにそっぽを向いて、しかし俺はあの日の味を思い浮かべる。
ホウオウドリの卵は素晴らしかった。料理というよりは素材そのものを楽しんだ感じだが、あれだけの味はなかなか口には出来ない。
料理に使っても、もちろん美味いだろう。是非とも、あの卵で作られた親子丼とか食べてみたいところである。
「うーむ、しかし。親子丼となると、ホウオウドリの肉も要るな」
小さい俺の呟きを聞いて、シルフィンがぎょっと目を見開いた。言われなくても、俺だってそれくらいの節度はある。
王家の守護聖鳥なんぞ食った日には、打ち首獄門ではすまないだろう。
「まぁ、やる気は出たがな」
そう。俺はかつてないほどに、この世界への期待に満ちあふれていた。
ドラゴンの肉に、ホウオウドリの卵。期待はずれも多いこの世界の食材だが、当たりは確かに存在する。
バートの下で仕事をこなしていれば、まだ見ぬ未知の美味に出会うこともあるだろう。
傍らのシルフィンに、俺は目を向ける。貧民出の彼女だが、案外とこういう街娘のほうが良い噂を知ってるものだ。
「ところで、君はなにか美味い食材の話を知らないのかね?」
「えっ? 美味しいものですか? ……すみません、あまり高級なものには縁がないので」
考え、シルフィンは申し訳なさそうに口を開く。それもそうだろう。だが、別に食べたことがなくてもいい。
不思議な食材。それこそ、この世界でもファンタジーのような扱いの、そんな珍品。
俺の期待の眼差しを受けながら、シルフィンはそうだと目を開ける。
「聞いたことがあるだけでいいなら、世界樹の実ですとか。嘘か誠か、古代都市アトランティスには不老長寿の桃が成っているらしいです。おとぎ話でしょうが」
「いいぞ、そんな感じだ。わくわくするじゃないか」
俺からすれば、この世界そのものがおとぎ話のファンタジーだ。だとすれば、その古代都市とやらが実在していても驚きはしない。
衛星写真もない世界。知られていない土地も食材も、この世界ならばたくさんあるだろう。
「問題は、食えるかどうかだなぁ」
実現していても、俺が食えなければ意味がない。
食い気は人一倍という自負はあるが、それで前人未踏の樹海に行けと言われたら、答えはノーだ。
「安心安全、俺の手を煩わすことなく、美味いものが食いたいな」
「……ご主人さまって、凄いですよね。いろいろと」
シルフィンの言葉に、俺自身も苦笑する。ただ、日本育ちの俺からすれば当然の発想とも言える。
別に和牛やマグロを食っている金持ちは、和牛を自ら育てているわけでも、海にマグロを釣りに行っているわけでもない。
誰かが丹誠込めて育てた牛と、命がけで捕ってきたマグロを、金を払って食っているのだ。その基本構造は、この世界でも全く同じ。
「金は幸いにも、それなりにあるからな。問題はなにを食うかだ」
要は、食材の情報が肝心だ。しかし、それをどうするか。バート以上の情報源など、それこそ皆目検討もつかない。
いや、案外と身近なところにあるものなのかもしれない。例えば、この街の市場なんかも探す価値は十分にある。
見えてきた市場通りを確認し、俺はふむと顎に手を当てた。普段はシルフィンを買い出しに行かせているものだから、自分では来たことがない。
荷物持ちもいることだし、今日は気になったものは手当たり次第に買ってみよう。そんな気持ちで、俺は市場に足を向けた。
「ありゃ、おっさんじゃん。奇遇だねー」
多少胸を高鳴らせている俺の耳に、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
振り返れば、いつかのドラゴン娘が手を振りながらこちらに近づいてきていた。
大きな角に、緑の鱗。褐色の身体は凄まじいスタイルかつ露出も激しいのだが、個人的には巨大な尻尾が気になってしまう。
ミニスカ姿の魔法使いに、俺はぺこりと頭を下げた。
「リュカさん、お久しぶりです。奇遇ですね」
「おひさっ。なんだいなんだい、メイドとデートかい」
よっと軽く右手を上げて、リュカは楽しそうに大口を開ける。デートと言われ、シルフィンが慌てたように両手を振った。
「ち、違いますっ。ただの付き添いですっ」
「あははー、あんまり必死だと逆に怪しいぜー。不倫じゃないんだ、気にすんなー」
けたけたと笑うリュカを、シルフィンは困ったように見つめる。何か言いたそうだが、シルフィンは諦めたように息を吐いた。それを見て、ますます愉快そうにリュカが笑う。
女性同士、仲がよい。しかしリュカを見て、俺はそういえばと辺りを見渡した。
「リュカさんは、おひとりですか? ノーブリュードさんは……」
そこまで言って、俺は自分の失言に気がつく。それに慣れたように笑いながら、リュカは大きな尻尾でバシバシと地面を叩いた。
「リュカだけだよ。あはは、まぁ気持ちは分かるぜー。ノブくんが街にやって来ようもんなら、大騒ぎだかんなぁとか、そう思ってんだろ?」
「えっ? 違うんですか?」
得意げに胸を張るリュカに、少々驚いて声を出す。シルフィンも、不思議そうに首を傾げた。
ノーブリュードは巨大な龍種だ。言っちゃ悪いが、あんなもんが街に出現したら大変な騒ぎになるだろう。
それが分かっているのか、リュカもポリポリと頬を掻く。どうやら、ノーブリュードは何処かで留守番をしているようだ。
「いや、まぁそうなんだけどよ。これがさぁ、昔だったら大学に置いとけたんだよ。卒業しちまったからなぁ、ドラゴン可の居住区がなくて、今は森に建てた小屋に二人で住んでんだ」
「そ、それは大変ですね」
切なそうに、リュカが空を見上げる。一応同意してみたが、居住区に生きる身としてはオスーディアの条例に文句はない。
まるで犬を飼えるマンションを探しているくらいの口調だが、犬っころとドラゴンでは比較にならない。日本でも、象や虎を飼おうとすれば色々と許可がいるのではないだろうか。
自分はノーブリュードを知っているからいいが、知らない者からすれば恐怖以外のなにものでもないだろう。
「大学時代までは、リュカ様と一緒に街に住んでいらしたんですか?」
「ん? おうよ。リュカの使い魔ってことで一緒に大学に通ってたかんね。特別に寮の庭に置かしてもらってたよ」
懐かしそうに話すリュカに、質問したシルフィンも楽しそうに笑みを浮かべる。
いやしかし。俺は楽しそうに談笑する女性二人を見ながら、「彼氏ですよね?」という一言をぐっと喉奥に飲み込んだ。
「それで、生活に必要なもんを買い出しにね。明日から旅の予定もあるし、今日は大荷物だよ」
「旅行ですか?」
リュカが疲れたように腕を回し、背負ったリュックを見せつける。かなり大きめのリュックが、既にパンパンだ。まだ買い物は済んでいないようで、リュカは「参ったぜ」と息を吐いた。
買い出しの内容も気にはなるが、それよりも俺は、さきほどのリュカの言葉の一部が気になってしまう。
他でもない、あのリュカが旅と言っているのだ。どれほど遠い場所に行くんだろうと、俺は彼女の顔を見つめた。
「どこに行かれるんですか?」
なにか幻想の気配を感じながら、俺はリュカに聞いていく。
リュカの顔がニカリと笑い、そして彼女は当然のように口にした。
「竜の森に、ちょいとね」
その響きに、俺はぐっと鼓動を跳ねさせるのだった。