第17話 聖鳥ホウオウドリの卵 (後編)
「ありゃなんだ?」
俺の呟きと視線の先に、シルフィンも目を向ける。
部屋の中央には、奇妙なものが鎮座していた。
「さぁ。私にはよく」
「見たところ、食い物ではあるよな」
部屋の中央に置かれたテーブル。周りには数々の食事が並べられているが、そのテーブルだけは少し事情が違っていた。
丸く、大きな物体。そうとしか形容できないものが、巨大な杯の上に置かれている。
本当にでかい。半径1mはありそうな球体だ。
白色というよりは、真珠色とでもいうのだろうか。美しくパール色に輝く球体が、部屋の中央に居座っている。
ぱっと見、飾りの置物かと思っていたが、どうも違うらしい。
球体の周りに備えられた品々。皿に、巨大なナイフに、食器類。取り分けてくれと言っているようだ。
「誰も手を付けていないな。食い物じゃないのか?」
「うーん、どうでしょう。まだ皆さん食べ始めてないようですし」
確かに。バートはともかく、見ればまだ姫様が入っていると思わしき人垣は健在だった。皆、食事は二の次と言った様子だろう。
「ふむ、ちょっと聞いてみるか」
本当に置物だったらことだ。俺は部屋の隅でグラスに口を付けている髭面の親父に、声をかけてみることにした。
「失礼。……あの部屋の中央にあるものは、食べ物ですかね?」
突然メイドを従えた男に声をかけられて、男はびっくりしたようにこちらを見つめる。しかし、自分を頼っていることを理解したのか、すぐに口髭を触りだした。
「ふふ、なんだあんた、あれがなにか知らないのか。ははーん、さては新参もの……」
「知らないから聞いている。あれは食えるのか食えないのか、どっちなんだ」
こんな親父で時間を無駄に消費したくはない。これ以上勿体つけるようなら他を当たろうと、俺は親父に先を促す。
「えっ? あ、いや。そりゃあ、食えるに決まってるが。というか、本当に知らないんだな」
親父の目が、興味深そうなものに変わった。どうも、あの中央の食材はここにいる者なら知っていて当然のものらしい。
そんな反応をされると、俺も詳細が気になってきた。親父に先をしゃべる許可を与えてやろう。そう思い、じっと親父の続きを待つ。
「あれは、オスーディア王家が守護聖鳥、ホウオウドリの卵だよ」
「ほう、守護聖鳥。……そんなものを食べていいんですか?」
守護聖鳥。ホウオウドリ。なかなかそそる響きだ。特別感があるのがいい。
俺のもっともな質問に、親父はいやいやと首を振った。
「普通は食べちゃだめさ。食べられるもんでもない。国の決まりで、王族の方に関する重要な式典でしか食べちゃだめなことになってる」
「なるほど」
今宵は姫様の誕生会。しかも十八歳は特別な意味があるとバートが言っていたから、それであの卵がこの場にあるということだろう。
「つまり、次はいつ食べられるか分からないということですな」
「はは、もちろん。ワシだって長いこと貴族をやってるが、今日でお目にかかるのは三回目だよ。そもそも……」
親父の話をすでに頭の外に弾き出しながら、俺はホウオウドリの卵に向かって歩き出していた。
次にいつ食べられるか分からないなら、是非ともたくさん食べておきたい。今ならほぼ食べ放題状態だろう。
「すまない。邪魔したな」
「王家の人が取り分けてくれたのを皆で食べるんだが……って、ちょっと君?」
なにやら後ろで親父の声が聞こえた気がするが、今はそれどころではない。シルフィンも俺の背に付いてきながら、親父にぺこりと頭を下げた。
「あの、なにか言ってた気がしますけど」
「くだらん自慢だろう。年寄りは話が長くていかんな」
あの親父がホウオウドリの卵を何回食べたかなど、知ってどうにもなるものでもない。その間に誰かに食べられたら最悪だ。
「しかし、ご大層なわりには誰も食べてないな。味は不味いのか?」
目の前にやってきたホウオウドリの卵を、俺はしげしげと見つめる。
つるんとした表面。美しく光るパール色の卵は、まるで巨大な宝石のようだ。
そこでふと気がつく。杯に触れている部分が柔らかさを示すようにわずかに凹んでいる。
「殻は付いていないのか」
てっきり、この輝いている部分は殻なのだと思っていた。言われてみれば確かに、周りにはナイフはあるがハンマーなどはない。
殻が元からあるのかどうかはともかく、目の前のホウオウドリの卵は剥き身の状態で鎮座しているということだ。
どんな食感なのだろうか。想像もできない。見た目はもはや、SFチックな謎物体である。
「まぁ、綺麗なことは綺麗だな。味は二の次なのかもしれん」
これだけインパクトのある食べ物がそうあるはずもない。しかも、それが守護聖鳥の卵ならば尚更だ。珍重されるのも当然といえる。
「とりあえず食べてみないことには始まらんな」
シルフィンに置かれていた大皿を託し、横でナイフを構える。大きく長いナイフだ。この刃渡りならば、この巨大な卵を切り分けることも可能だろう。
「どう切り分けるのがいいと思う?」
「そうですね……卵ならば中心が入るように切り分ければよろしいのでは?」
シルフィンの提案に、なるほどと頷いた。白身と黄身に分かれているか不明だが、卵という以上構造は普通の卵と同じ可能性が高い。
しかし、この大きさだ。ここはあえて、まずは白身だけを食べるというのもいいかもしれない。
「まずは表面を食べてみよう。白身の部分のはずだ。シルフィン、皿を」
「はい、旦那さま」
シルフィンが添えた皿に向かい、卵の表面をこそぎ落とす。ナイフを入れると、驚くほどすんなりと刃が通った。やはり殻は付いていない。
「ぷるぷるしているな。面白い。ひとまず二枚ほど」
スライスした白身を、皿に落としていく。受け止めたシルフィンから、俺はパール色の切り身をつまみ上げた。
本当にぷるぷるしている。ゆで卵というよりは、ゼラチンのような。
食べてみなければ味の想像も出来ない。
とりあえず食ってみようと、俺はその切り身を口の中に放り込んだ。
「……ふむ、ふむ。……なるほど」
「どうですか?」
シルフィンの質問に、まぁ待てと右手を広げる。
食感は、ゆで卵でも温泉卵でもない。……ピータン。そうだピータンだ。中華の珍味のピータンに近い。
しかし、味は素晴らしい。なんだろう、濃いのだ。
黄身の味が濃いというのは想像しやすいが、そうではない。白身の風味、それが濃い。
「美味いぞこれは」
叫ぶような味ではないが、美味い。卵の白身って、こんなに美味しかったのかという感じだ。
塩もかかっていないため、量が食べられるものでもないが、それでも美味い。
「シルフィン、君も食べなさい。せっかくだから」
「あ、はい。じゃあ、いただきます」
さすがのシルフィンも緊張よりも好奇心が勝ったのか、残った一切れを口に運んだ。もぐもぐと咀嚼して、考えるように味を感じる。
「……美味しいですね」
「だろう? インパクトはないが、しみじみと美味いな」
白身でこれなのだ。黄身はどれだけ美味いのだろう。そう思い、俺は再びナイフに手を伸ばした。
「あのぅ、すみません。なにをしていらっしゃるのですか?」
そのときだ、横から見知らぬ女性の声が聞こえてくる。
振り向いてみると、女子高生くらいの見た目の少女が俺のほうを興味深げに覗き込んできていた。
随分といい身なりだ。貴族の娘だろう。
そういえば、バートのやつに言われていたことがあったなと思い出す。
『貴族の娘さんに声をかけられたら、紳士的にエスコートしておけ』
そんなことを言っていた。
面倒くさいが、ここは社交界。貴族のお嬢様に声をかけられて、邪険にするわけにもいかない。
とはいえ、ここに来たということはホウオウドリの卵に興味があるのだろう。まだ若いし、俺のように初めて見たのかもしれない。
「ホウオウドリの卵を食べようと思いましてね。さきほど白身だけ食べたところなんですよ」
「えっ!?」
俺の言葉に少女は驚いたように目を見開いた。リアクションから察するに、ホウオウドリの卵自体は知っていたが、これがその実物だとは思っていなかったらしい。
「誰も食べていないのでね。見た目だけ華やかで、肝心の味は不味いのかと思いきや、これがなかなか美味いものでね」
少女は俺の顔を見つめてくるが、なにか言いたげな表情だ。
なるほど、女性から私も食べたいですとは確かに言い出しにくい。ここは察しのよい男であることをアピールするべきだろう。
「少し通好みの味ですが、お嬢さんもいかがです? 次は黄身も食べてみようと思っているんですよ」
「えっ? あ、はい。それじゃあ、いただきますわ」
俺に言われ、頷く少女。やはり食べたかったらしい。
とはいえ、女性の前でナイフを持つのも無粋だ。俺は指を鳴らし、傍らのシルフィンに合図を送る。
「シルフィン、俺と彼女の分を」
「かっしこまりました!」
気合いを入れ、シルフィンがナイフを構える。どこか困惑している様子の少女に、俺は柔和な笑みを作って向けた。
「はは、大丈夫。僕のメイドは、刃物の扱いも一流でしてね」
実際のところは、そんなことはないのだが、とりあえず貴族らしい見栄を張ってみる。シルフィンもまんざらではないのか、ちらりとこちらを見つめてきた。
思えば、俺やバート以外の前で仕事をする機会はそうないシルフィンである。気合いが入るのも当然といえよう。
「旦那さま、このように」
「うむ、悪くない。……素晴らしいぞシルフィン」
シルフィンによって切り分けられた卵を、俺は驚きとともに見つめた。
黄身、なのだろう。パール色の白身の横に、黄金色の黄身が切り分けられていた。
比喩ではない、本当に黄金色に輝いている。
「いや、金よりもオレンジ色に近いか……なんて重さだ」
皿が重い。本物の金のような重量感だ。オレンジがかった黄金。そうにしか見えない。
「あ、味のほうは」
口に入れる。我慢できるわけもない。俺は、その黄金の黄身を口に招き入れた。
「……な、なるほどぉ」
口に入れた瞬間に広がる、ねっとりとした旨味。見た目とは裏腹に、金属のような硬さはまったくない。本当にねっとりと重い卵の黄身だ。
そして、特筆すべきはその味。
濃い。濃厚だ。
「こんなに美味い卵は初めて食ったかもしれん」
味付けされていないのが逆にいい。舌に乗る重量感も、感じる旨さに拍車をかけている。ここまでねっとりと舌にまとわりつく美味さは中々ない。
醤油とか付けたらヤバそうだ。しまった、せめて塩を持ってくるんだったと俺は悔やむ。
素材の味をこれでもかと堪能したあとは、やはり調理された味も食いたくなってくるのが人情だ。
「っと、しまった。すみません、僕だけ」
「い、いえ。お気になさらず」
ふと、隣りの少女を思い出す。あまりの卵の味に、すっかり忘れてしまっていた。
彼女の分を差し出して、少女がゆっくりとそれを受け取る。
「美味しいですよ。珍しいものですから、たくさん食べるといい」
「そ、そうですね」
フォークで突き刺し、少女はパクリとホウオウドリの卵を咥えた。
それにしても優雅な食べ方だ。なんとなく、貴族の娘にしても気品があるような気がする。
「美味しいですね」
「ふふ、でしょう。もっと取り分けましょうか?」
俺の提案に、少女が「いえ、大丈夫です」と両手を振った。まぁ、あまり食べ過ぎるところは貴族の娘としては見せたくないのだろう。慎ましいことだ。
「おっと、それよりも。まだ名前を聞いていませんでしたね。僕は桂木俊一郎。貴女は?」
そういえば、名乗っていなかった。これは失礼と、俺は少女に頭を下げる。
しかし、それは彼女も同じこと。俺の名前を聞いた彼女は、にっこりと微笑みながら、恭しくスカートを開いた。
「これは失礼を。私は、セシリア・ローズベルト・オスーディア。カツラギ様との出会いに、聖鳥のご加護がありますことを」
その名前にどこか聞き覚えがある気がして、俺はハテと首を傾げる。
見れば、部屋の隅で大きく目を見開いたバートとシャロンが、石像のように固まりながらこちらを見てきていた。
・・・ ・・・ ・・・
ホウオウドリ
原産:オスーディア内陸部 不死鳥の谷
補足:オスーディア王国の守護聖鳥。王家の紋章もホウオウドリを象ったものである。その姿は見るも美しい火の鳥とされ、数万年の時を生きているとされる。
卵は宝石のような輝きを持っており、王家縁の式典でのみ口にすることが許されている。滋養強壮の作用があるとされ、オスーディア王家の血筋が途絶えていない理由のひとつによく挙げられるが真偽は不明。