第16話 聖鳥ホウオウドリの卵 (前編)
「す、凄いですね」
煌びやかな会場を見渡すシルフィンの声を聞きながら、俺はゆっくりと周りの喧噪を視野に入れた。
目の前に詰め寄る人の波。あの人垣の中には本日の主役が存在する。
「皆さんあっちに行ってしまいましたね」
「まぁ、そのために来ているようなものだからな。実際、残ってるのは俺たちみたいな付き添いだろう」
あれだけの人混みの中では、王女様とやらの顔を見ることすら出来ない。群がる貴族や豪商たちの群を見ながら、俺は小さく息を吐いた。
自分の親友もあの中にいるだろうからなんとも言えないが、少し悲しい光景だなとは思う。
「王女様……ね」
あの中に、心の底から彼女を祝いに来ている者などいないだろう。
一歩引いて見ている俺たちのような者も同じ。部屋の端々では、貴族同士の商いの話が盛り上がり、誰も彼女の話などはしていない。
おべっか、媚び、打算に知略。そういったものしか、この場には渦巻いていないのだ。
「オスーディア王家は国の最高権力だと言われているがな、実際のところは飾りに等しい。権威はあるが、政治も貿易も、実権を握っているのは四大貴族のリューオー家とロプス家だ」
「えっ、そうなんですか?」
俺の呟きに、シルフィンが驚いた顔で俺を見上げた。
その反応も当然だろう。平民の彼女からすれば、新聞を飾る一面には「~~家の〇〇さんがオスーディア王家から~~大臣に任命されました」だとか書いているのだ。
ぱっと見は、オスーディア王家が貴族を統括しているように見えるというもの。だが実体は全くの別物だ。
「官僚の任命も、実質的に決めているのは一部の有力貴族たちだ。王家の仕事は、その決められた者に対しての任命状に判を押すだけ。……まぁ、その判にこそ価値があるんだがな」
傀儡と言えなくもないが、現にオスーディア王家の権威の下、上手く国が回っていることを考えるとあながち間違いとも言えない。
世界でも最古の歴史を持つといわれるオスーディア王家の権威は、他国にも勿論有効だ。この辺りの価値は、いくら金を稼いだとしても手に入れられるものではない。
未だに周りの小国をはじめ、オスーディア王家の格を崇めるものも多いのだ。だからこそ、リューオー家やロプス家といえど王家の者を無碍には出来ない。
(そもそも魔王に仕えていた軍王なのだから、それも変な話だがな)
あのひとつ目のお嬢様は、王女のことをどう見ているのだろうか。権威が服を着た、ただの金印か……それとも。
「ま、美味い飯が食えればどうでもいいがな」
左手に持つ皿の上の料理にフォークを突き刺す。
考えても、平民の俺には栓のないことだ。そんなことは、バートのやつに考えて貰えばいい。
となると、大変に暇な時間だが、飯を食っていいとなると話は別だ。
「ふむ、さすがに美味いな。作り置きのバイキングだが、素材がいい」
ローストビーフのような肉料理を口に入れながら、うんうんと頷く。
柔らかいが、しっかりとした赤身の味がある肉だ。噛むたびに肉の味が口に広がり、幸せな気分になる。
「パンも美味い。どうだシルフィン、君も食べればいい」
「い、いえ私はっ。遠慮しておきますっ」
ぶんぶんと首を振るシルフィンを、俺は勿体ないと見つめる。どうせこの手の料理は最後には余って捨てるのだ。彼女ひとり食い手が増えたところで、どうということはない。
緊張している様子のシルフィンの口に、俺はローストビーフを無造作に突っ込んだ。
「む、むごッ!?」
シルフィンが驚いて目を見開くが、とりあえず肉を口へ押し込んでいく。
ようやく咀嚼し終わったシルフィンが、真っ赤な顔で口を開いた。
「な、なにするんですかっ!」
「ははは、どうだ。美味いだろう」
笑い、シルフィンに皿を差し出す。それを不思議そうに受け取って、シルフィンはきょとんと俺を見つめた。
皿の上にはまだ、ローストビーフが何枚かぺろんと乗っかっている。
「飽きた。同じものだけ食うのも勿体ないからな。それは君が食べておいてくれたまえ」
言って、俺はテーブルを見渡す。なかなかに美味そうな光景だ。
これといって珍しい食材は見あたらないが、代わりに質がよいことが遠目でも伝わってくる。
「おお、食ってるか。シルフィンさんも、美味しそうだね」
ローストビーフに手をつけたメイドをけらけらと笑っていると、人混みから見知った顔が戻ってきた。ちょうどローストビーフを口に運んだ瞬間を見咎められ、シルフィンが耳の先まで真っ赤に染める。
「もう挨拶はすんだのか?」
「ああ。姫様に顔も見せたし、目的の半分は済ませた感じだな」
少々気疲れした様子のバートを見て、俺はシルフィンに目配せする。頷いたシルフィンがワイングラス差しだし、受け取ったバートがごくりと呷った。
「久々にリューオー家とロプス家に挟まれて緊張したよ。ま、以前は同じ四大貴族なのに俺は後回しだったからな。これもシュンイチローのおかげだ」
「そう言われると悪い気はせんな」
稼いでる額で姫様にお目通りする順番が変わるのも変な話だが、これでサキュバール家は名実ともに四大貴族の地位を取り戻したといえる。
ほのかに頬を緩ませているバートを見やりながら、俺もかすかに酒の味が変わったのを実感した。
「あら、カツラギさん。お久しぶりですわ」
ワインをもうひとくちと口に入れた瞬間、聞こえてきた声に俺は噴き出しそうになる。
なんとか飲み込んで声のほうを見やれば、あのときのひとつ目がこちらを優雅に見つめてきていた。
「……しゃ、シャロンさん。お久しぶりです」
セバスタンを従えて、豪奢なドレスに身を包んだシャロンに、俺はなんとか挨拶を口にする。
微笑む彼女の目を出来るだけ見ないようにしながら、俺はバートに助けを求めた。
「ふふ、バートさん。先ほどはどうも」
「いえいえ、こちらこそ」
両者、互いにこれでもかという作り笑い。やはりこのお嬢様は苦手だと思いながら、俺はさりげなく後ろに下がった。
「共同事業の申し出、受けてくれて助かりましたわ。サキュバール家のご協力、心強い限りです」
「ありがとうございます。微力ながら、支えさせていただきますよ」
相手の出方を探りながら、二人はそれとない会話を繰り広げる。胃に穴が空きそうな気配だ。ここは逃げておこうと、俺はそっとシルフィンの腕を引いた。
「なにか取りに行くぞ」
「あ、はい」
食べ物はいい。なにせ食事を口に入れているときは、喋る必要がない。
ひとつ目の怪物に立ち向かうのはバートに任せ、俺はゆっくりと戦線から離脱した。
「いいのですか?」
「食ってるだけでいいと言ったのはあいつだぞ。あんなとこに居たら、飯が不味くなっていかん」
実際、俺をシャロンに紹介する必要はない。シャロンが居なくなった頃合いを見て戻ればいいだろうと、俺はとりあえず会場の端を歩いていく。
「なにか、目新しい食べ物は……と」
各テーブルの上を確認しながら、食指の動く品物を探して歩く。
しかし、どうもテーブルの上には同じようなセットが並んでいるようだ。見たところ三パターン。ひとくちずつは既に食べている。
「ふぅむ。中ではやはりあのローストビーフが……って、ん?」
立ち止まった俺の目に、部屋の中央に鎮座しているものが映った。
そういえばと、俺はその物体をマジマジと見つめる。
「あれ、食い物か?」
俺の呟きに、シルフィンもその物体へ顔を向けるのだった。