第15話 社交界へ
「というわけで、この通りだ。お前が行ったほうがよかったんじゃないか?」
久しぶりの自分の屋敷で、俺はバートにシャロンからの書類を叩きつけた。受け取ったバートも、内容に目を通して声を上げる。
「おお……これはまた。さすがに容赦がないな、あのお嬢様は」
苦々しく笑うバートに向かって、俺は眉をつり上げた。睨みつける俺の視線に、バートはにこやかな笑みを向ける。
「いやなに、予定通りだ。それに、俺が行ったところで太刀打ちできんよ。シュンイチローに任せて正解だった」
「お前、やっぱり端から俺に行かせるつもりだったな」
悪びれもなく笑っているバートの顔にため息を吐いてやる。とは言うものの、過ぎたことは仕方がない。どうするつもりなんだと、バートを見つめた。
「確かに今回、うちの旨味は少ないがな。それでもロプスとの共同事業だ。望んでも、おいそれとは出来んよ。四大貴族でなければうちの今の業績では相手にもされんだろう」
ぺしぺしと書類を叩きながら、それでもバートの表情は前を向いている。
要は、損して得取れということだろう。今回だけではなく、ロプスに近づけたことは将来的にそれだけ価値があるということだ。
「まだサキュバールの名前には、利用価値があるということだ。……複雑だがな。利用できるものは、なんでも利用させてもらう」
真剣なバートの顔。悪魔の美的感覚は知らないが、整った顔立ちはこの世界でもモテるはずだ。
なのに女遊び一つせず、家の再興に魂を捧げる友人を、俺はどこか遠くの住人のように見つめていた。
「俺も、もっと仕事したほうがいいか?」
ぽつりと、そんなことを呟いてしまう。
その瞬間、部屋にいたバートとシルフィンが俺のほうを目を見開いて見つめてきた。
「大丈夫か、シュンイチロー。熱でもあるんじゃないか?」
「だ、旦那さま! お医者さまに行きましょう! 病気ですっ!」
慌てる二人に、思わず唇が尖ってしまう。
こうして、せっかく芽生えかけた俺の就労意欲は、跡形もなく消え去った。
◆ ◆ ◆
「誕生会?」
すっかり霧散した就労意欲を食欲に変えながら、俺は右手に持ったワイングラスを宙で揺らす。
「そうだ。シャロン嬢にリベンジがしたいなら、来月だな」
昼から酒を飲んでいる俺を窘めもせず、バートは机の上のボトルを手に取った。ラベルを見て、小さく微笑んで机に戻す。
「姫様の誕生会だ。ロプス家だけじゃない、俺も含めた他の四大貴族も全員出席する」
「ほぅ。豪勢なことだな」
ボリボリとナッツを噛み砕きながら、とりあえずバートの話を耳に入れた。姫様、ということは……王家か。
「お、王女さまですか。す、凄いですね」
傍らにいたシルフィンも、ピンとこないのか目を丸くする。
俺自身、王家の者にはまだ会ったことがない。貴族の仕事をしていても、おいそれとは聞かない名前だ。
「今年はセシリア王女の18歳の誕生日でね。王女が正式に王位継承者として認められる、重要な誕生会だ。当然、名だたる者が大勢出席する」
バートの口調は明るい。景気のいい話ではあるのだろう。俺にとっては、姫様が何歳になろうがどうでもいいことだが。
だがまぁ、バートの張り切りようも分かるというもの。これから姫様の発言力は、王家の中でも増すのだろう。媚びを売っておいて損はない。
「しかし、オスーディア王家ね。いいのか? 俺なんかが出席して」
「構わんさ。お前の顔を売る良いチャンスだ。なんならシルフィンさんも来るといい。メイドの一人も連れていないと、箔が付かんからな」
バートの言葉に、シルフィンがぎょっと目を見開いた。それはそうだろう。俺だって、どんな顔で出席すればいいか見当もつかない。
「ど、どうしましょう旦那さまっ。お、王女さまの結婚式にっ」
「落ち着けシルフィン、誕生会だ誕生会。勝手に嫁に出すな」
狼狽えるシルフィンにバートも苦笑いしてしまう。普段の無口メイドを保ってくれたらそれでいいのだが、この分だと諦めたほうがよさそうだ。
「それにしても、王族ねぇ。あのお嬢様以上となると、ちょっと想像できんな」
ひとつ目の怪物娘を思い出す。あれを越える化け物となると、いよいよ相手に出来るものじゃない。
四大貴族。オスーディア王国を牛耳る、栄華を極めた貴族の頂点。
政治にしろ貿易にしろ、商売にしろ軍事にしろ、この大国は貴族の存在で成り立っている。
しかし、それでもオスーディアは「王国」だ。当然、その上にはオスーディア王家と呼ばれる親玉が鎮座していることになる。
かつて魔王に仕えた、魔界四軍王。その子孫が四大貴族だ。だとすれば、その魔王の血を継ぐ血統も存在する。
「まぁ、豪勢な場には豪勢な飯が付きものだ。いいだろう、俺もシルフィンと出席してやる」
「そうこなくっちゃな。なぁに大丈夫だ、お前はただ食って立ってるだけでいい。俺が勝手に紹介する」
バートに言われ、俺は小さく息を吐いた。
社交界。どうにも苦手な世界である。
しかしながら、王女の誕生会とやらの飯が気になるのも事実なわけで。
「せいぜい期待させてもらうとしよう」
まだ見ぬ王女のお食事に、俺はにやりと笑うのだった。