第13話 貴族の歓迎 (前編)
なんとも豪華な空間だった。
横にいるシルフィンなど、あまりの不釣り合いに身体が固まってしまっている。
石造りの建造物。この世界の基本的な様式だ。
「これみよがしな」
ただそれも、二階建てくらいまでの話である。
七階建て。この世界でも間違いなく最高であろう建築技術の粋を集めたその建物は、中身に至るまでがこれみよがしだった。
姿が映り込むほどに磨かれた石材の壁に、高級ですと言っているような絨毯。
電灯はオスーディアでもう慣れたが、シャンデリアをこの世界で見たのは初めてだ。
ホテル・グランドシャロン
エルダニアが誇る、世界最高の宿泊施設。
「ホテル王とはよく言ったものだな」
貴族ならば、屋敷も当然あるだろうに。わざわざご自慢の箱物に呼びつけて、今回のお相手は随分と権力の誇示がお好きらしい。
「だ、旦那さま……私、外で待って」
「あーもう、構わないと言っているだろう。使用人も連れずに行って、バートに恥をかかせる気か」
こっちはこっちで、この調子。もっと堂々としてほしい。えーと、あれだ。高等学校を出てるんだから。
自分のメイドの貧乏性に頭を抱えていると、規律正しい足音がこちらに向かって近づいてきた。
ぴたりと止まった足音に目を向け、俺は歪めそうになった顔を必死で留める。
「カツラギ様ですね。ようこそ、ホテル・グランドシャロンへ」
恭しく下げる三つの山羊頭に目眩を起こしそうになりながら、なんとか笑顔を張り付けることに成功した。
「私、当ホテルのマネージャーをやっております、セバスタンと申します」
そう言って、セバスタンはにこりと奥へ手を向ける。付いてこいということだろう。シルフィンに目配せして、俺は億劫な足をセバスタンの指す方に向けた。
「お話はバート様から。……どうぞ、こちらへ。当主様がお待ちです」
先導するセバスタンの後を付いていきながら、マジマジと彼の両肩を見つめる。
山羊だ。雄山羊の首が二つ、両肩に乗っている。飾り物ではない。呼吸をし、血の通う本物の首だ。
中央の一見整った頭も、美青年なのは顔面だけ。伸びた山羊の角に、真珠を思わせる艶の髪。どこからどう見ても人間ではない。
だがまぁ、そこはいい。この世界の化け物市にもいいかげん慣れてきた。気味は悪いが、それでどうこうなるわけでもない。それよりも……。
「バートからと言ったな、どういうことだ?」
「おや? 私どもは、バート様の代理にカツラギ様がお見えになると伺っておりましたが」
セバスタンの返事に、思わず舌を打ちそうになる。バートの奴、なにか引っかかると思ったら、黙ってやがった。緊急の仕事なんてのは嘘で、最初から俺に行かせるつもりだったな。
「たく、それならそうと言ってくれれば……」
と思ったが、正直に言ってきた場合、お前が行けと一蹴していたのは確かだ。さすがは親友、よく分かっていやがる。
しかしとなれば、この先に待ちかまえている人物はバートが俺に会わせたがっている人物ということになる。
「こちらです」
いったいなにが待ちかまえているのだろうと、俺はセバスタンが開ける扉に向かって目を細めた。
鬼がでるか蛇がでるか。お手並み拝見といこうじゃないか。
◆ ◆ ◆
巨大なひとつ目が、にこやかに俺を射抜いていた。
「初めまして、カツラギ様。わたくしがロプス家当主、シャロン・エルダニア・ロプスです」
汗が流れ、差し出された右手に俺はひざまずいていた。
貴族の娘の差し出した手を、取ってはいけない。貴族の娘に男が触れるのは御法度で、握手の代わりは右手にキスをするフリをする。オスーディアでの基本的なマナーだ。
その際にひざまずくのも、ただのマナー。そのはずだ。
「桂木、俊一郎です」
それだけを、なんとか乾いた喉で絞り出せた。
青い肌、額の一本角、そして大きなひとつ目。結果から言えば、鬼が出てきた。
しかしこの身体中に感じるプレッシャーは、断じて異形の見た目ゆえなどではない。
「お会いできるのを、楽しみにしておりました。どうぞ、お座りになって」
シャロンに促され、ハッと立ち上がる。長テーブルの向こうへと歩いていくシャロンの背中を見つめながら、俺は額に滲んだ汗を拭った。
見た目からすれば、二十代半ばだろうか。俺よりも年下だというのに、なんという威圧感だ。立ち振る舞いや表情、発する声のひとつひとつが、なんて強制力。
(これがロプス家……本来の四大貴族が当主か)
バートとは偉い違いだ。一度は没落しているとはいえ、サキュバールはそれでも四大貴族の一角。家の格だけならば同等だろうと思っていたが、とんでもない。
(バートの奴め、この子相手に、俺になにをしろってんだ)
椅子に座りながら、俺はとりあえず呼吸を整える。少なくとも今日の俺の仕事は、手紙を渡すことだけ。なんとかなるはずだ。
「本日は、お呼びいただき誠にありがとうございます。バートの代理で、書状を預かって参りました」
言って、セバスタンに手渡す。セバスタンからシャロンに書類が移るのを見ながら、俺は傍らのシルフィンにも目を向けた。
だめだ。完全に人形と化している。呼吸をしているかも怪しい。
(さて、当然ながらメイドはあてにできそうもないな)
向こうのセバスタンと比べて、こちらも偉い違いだ。これならば、バートと一緒に俺がついてくるべきだったと今なら分かる。
「……なるほど。ふふ、どうやらサキュバールも前向きに検討をしてくれているようで。嬉しい限りですわ」
書類を眺め、シャロンはゆっくりとひとつ目を細めた。言葉通り、喜びの笑みだろう。
今回の書状の内容。簡単に言ってしまえば、ロプス家から持ちかけてきた共同事業の話をサキュバールが承諾するというものだ。
新型馬車の開発と発売とのことだが、商品の詳しい内容は俺も知らない。
「同じ四大貴族として、光栄です。こうして互いに手を結びオスーディアに貢献できる日を、待ちわびておりました」
「なるほど、素晴らしいですね。バートも喜ぶでしょう」
手のひらを合わせ、シャロンは細めたひとつ目で微笑んでいる。俺は、その微笑みにぞっと背筋を震わせた。
なにが光栄だ。オスーディアへの貢献? この女は、そんな夢見がちな少女ではない。
都であるオスーディア。そこに居を構えるサキュバールの、古くさい名声だけを寄越せと、そう言っているのだ。
「ふふ、時間も時間です。続きは、食事でも取りながらにいたしましょうか」
だがどうやら、まるっきり悪い人でもなさそうだ。
◆ ◆ ◆
美味い。
「いやぁ、美味しいです。さすがはロプス家。食事も別格ですね」
美味い、美味い。とんでもなく美味い。
出されたのは、スープにサラダに生魚のカルパッチョ。間違いなくコース料理だが、そもそもコース料理の概念を見るのはこの世界では初めてだ。
料理を一品ずつだすこの手法。地球においてもそれなりの発明のはずだが……さすがに抜かりがない。
「ふふ、喜んでいただけてなによりです。うちのホテル自慢のコース料理ですわ」
嫌みのない得意げとはこういうのなのだろうか。シャロンの笑顔に目を向けながら、確かに自信も出るだろうと俺は唸った。
コース料理という形式が凄いのではない。ミルクのポタージュ、野菜のサラダ、そして生でも食べれるほど新鮮な海鮮。
広大で肥沃な土地による、畜産と農業。そして、オスーディア最大の港町ニルスを要するという立地。
これらは全て、エルダニアの力だ。そしてその地を支配しているのが、言わずもがな目の前のお嬢様である。
料理ひとつで、ここまで見せつけてくるものか。確かに、サキュバールがこのコースを金で無理矢理出したとて、そこまでの意味はない。
「随分と、味わってお食べになりますね」
「食べるのが生き甲斐なもので。来てよかったです」
まぁだが、俺にとってはただの美味い飯と酒だ。貴族の食卓上での駆け引きなど、平民である俺には知ったことではない。
バートが俺を指名している理由もそこらへんだろう。さっさと食って、とっとと言いたいことを言ったら退散だ。
「今回は急なお誘いにも関わらず、ありがとうございますわ。長旅は大変でしたでしょう?」
「あ、いえ。ドラゴンの背に乗って来たので、そこまででは」
シャロンの労いに、つい正直に答えてしまった。だが、リュカの航空社は高額だ。見せつけの意味でも恩を売る意味でも、言っておいたほうがいいだろう。
しかし俺のなんの気ない発言は、シャロンのなにかに触れたようだ。一瞬だけ、シャロンの笑顔が無表情な間に変わる。
「なにか?」
「……いえ。そうですか、わたくしも聞いたことがありますわ。なんでも、法外な値段で龍種の翼を貸すという」
どうやらリュカの存在自体はシャロンも知っているようだ。だが口振りからして、やはり相当に珍しいものなのだろう。これは上手いことサキュバールの力を見せられたかもしれない。
「シャロンさんは、ドラゴンの背に乗ったことは?」
ひとつ揺さぶってみよう。ロプス家とて、龍種との交流はおいそれとは持てないはずだ。
「そうですね。昔に、何度か。……わたくしとて、今ではそう簡単に乗れるものではありませんわ。よい体験をなされましたね」
シャロンが、にっこりと微笑んでくる。やはり、リュカの航空便はとてつもなく例外的なもののようだ。バートの奴がいくら払ったのかなど、聞きたくもない。
これ以上聞くのも野暮かと思い、俺は適当な相づちで話を流した。しかし、リュカから貰った回数チケット。想像以上にとんでもない代物だ。個人的に使っていいものだろうか。
「そうそう。わたくしのほうからは、こちらを」
懐のチケットに気を取られていると、シャロンに指示されセバスタンが紙の束をこちらに渡してきた。返事ということだろう。すでに書いているとは舐められたものだ。
メインディッシュが来るまで、少し時間がかかりそうだ。にこりと微笑むシャロンに、頭を下げて書類を受け取る。
「ここで読んでも?」
「もちろん、構いませんわ」
ばさりと広げ、書類に目を落とす。俺とてバートの代理でここにいるのだ。貴族様相手に遠慮することもあるまい。言えるだけのことは言ってやる。
「って、これは……」
しかし、書類に書かれている文字に、俺は一瞬目を疑った。
そこには、あまりにもロプス家有利な契約の内容。これでは、サキュバールは本当に名前と土地を貸すだけだ。
バートには、『すべて彼女の言うとおりに』という指令を受けている。だが、それを踏まえたとしても――。
「これではあまりにも……ッ!?」
ひとつ目が、見つめていた。
顔を上げた瞬間に、全身の血が凍る。荒げようとした怒気すら凍らされ、俺は目を見開いて言葉を詰まらせた。
「なにか、問題が?」
愉しそうな微笑み。まるで魔法にでもかけられたかのように、声が口から出てこない。
侮っていた。油断していた。底を見誤った。
この少女は、俺やバートの手に負える相手ではない。
(だが、ここで引くわけには……ッ)
手に負えないから引き下がりましたと、そう親友に報告しろというのか。
言えるわけがない。バートは、俺に命よりも大事なサキュバールの一部を任せてくれたのだ。
覚悟を決めた俺に、シャロンが「あら」と細めた目を開ける。そして、面白そうに頬を緩めた。
「そろそろメインディッシュです。続きは、食べてからにいたしましょう」
息を吐こうとした瞬間、シャロンにを機先を制された。この俺が運ばれてきた皿を疎ましく思うとは、なんて日だ。
ガラガラと台車を押して入ってくるメイドに、俺はひとまず腰を落ち着ける。考えようによっては、思考する猶予をもらえたとも言える。
メインディッシュを食べ終わる前に、なんとか一矢報いる算段を。そう考え直し、俺は書類の内容を思い浮かべた。
「そういえば、カツラギ様は珍しくて美味しい食べ物がお好きだとか」
そんな俺に向かい、シャロンがぽつりと言葉をこぼす。こんなときでも、俺の視線はついつい皿へと移動してしまった。
「……えっ?」
皿の上の料理を見た瞬間、思わず声が喉から出てくる。
見つめながら、俺は頭の中で一度だけ否定した。
「ふふ、お口に合えば、いいのですけれど」
そう言って微笑むシャロンのひとつ目に、今度こそ俺は、背筋の凍る音を聞いたのだった。