第12話 飛竜のチケット
すっかり日が昇った世界に、人の営みが見えてきた。
俺の目にも分かるほどの大都市。空中から見れば楕円を描いている街の形に、ついつい身を乗り出してしまう。
「すごい。本当に着いちまった」
日は上がりきって少しといったところ。時間にすれば1時か2時か。視界に移ったエルダニアの街に、俺は思わず感嘆の声を漏らした。
「予定通りって感じかな。ノブくん、ごくろうさま」
「なに、お安いご用である。このまま街のはずれに降りよう」
リュカがノーブリュードの首を撫でると、彼は心なしか嬉しそうに鼻を鳴らした。
言ったとおり、旋回するようにゆっくりと地上へと降下を始める。
所要時間、およそ半日。魔導鉄道の四倍以上の速度だ。停車の時間もない分、より顕著に差が出る。
ようやく見えてきた地面を懐かしく思いながら、俺は大きくなるエルダニアの街を眺めていた。
◆ ◆ ◆
「地面っ! 地面がっ!!」
泣きながら地面に頬ずりしているシルフィンを無視して、俺はトントンと靴を鳴らした。確かに、久しぶりの大地は安心感がある。
ゴンドラの中で座りっぱなしだったため身体は多少痛いが、仮眠も少しは取れた。せっかく大金を叩いて買った時間だ。有効に使うためにも、早めに行動しないといけない。
「リュカさん、ありがとうございました」
「なぁに、礼を言うのはこっちさ」
ノーブリュードを労っていたリュカに、右手を差し出して礼を述べる。その手をリュカは、「こっちも仕事だ」と笑顔で取った。
けれど、俺はそれに小さく首を振っていく。
もちろん、今回のフライトには感謝している。仕事とはいえ、ノーブリュードは機械ではない。料金が高額なのも、リュカが仕事を選んで彼の負担を減らしているからだろう。
だが、そんな竜の背に乗るという奇跡よりも。
「いえ、昨夜の魔法です。いいものを見れました。ありがとうございます」
夜空に広がる、炎のベール。竜の背からの一等席は、一生に一度の思い出だろう。
どんな芸術品よりも心躍った体験に、俺は素直な言葉を乗せた。
一瞬、驚いたようにリュカの目が見開き、照れたように小さくはにかむ。参ったなと頭を掻きながら、リュカは返事を詰まらせた。
名残惜しいが、そろそろ時間だ。ノーブリュードにも頭を下げて、俺は地面に寝転がっているシルフィンを引き起こす。
「来てそうそうメイド服を汚してどうする」
「す、すみません。地面が嬉しすぎてつい」
慌てて荷物を持ち出したシルフィンに、俺は呆れたように息を吐いた。結局、このメイドは昨晩の炎のショーも叫んでいただけだ。もったいないことこの上ない。
「おっさん! あたしからも礼だ、やるよ!」
別れの支度をしていると、リュカが背後から声をかけてきた。振り返れば、彼女の手から何かが放り投げられている。
「うおっと、な、なんだ……?」
封筒、というには少し分厚い。軽く留められている封を、ぺりぺりとめくっていく。
「……これは」
中には、十枚ほど綴られた豪奢な紙が入っていた。
ドラゴンの背に乗る権利を買うための、乗車券。それが数えれば十二枚。よくよく見れば往復付きだ。
「行きたいとこがあるなら、いつでも言いな。世界最速で送ってやんよ」
そう言いながら、リュカは得意げに牙を見せる。
黒いローブを風になびかせ、魔法使いの少女は俺に向かって胸を張った。
「……ありがたく、使わせてもらいます」
チケットの束を振る俺に頷くリュカを見届けて、俺はエルダニアまでの道を急ぐ。
振り向けば、無表情に戻ったメイドが荷物を持ってこちらを見ていた。やりとりは聞いていたはずだと、俺は意地悪そうに笑みを浮かべる。
「今ここで帰りの便を申し込む手もあるが、どうする?」
そんな提案に、彼女の無表情が崩れるのを確認して、俺は思わず笑ってしまった。
「冗談だ。帰りは鉄道で帰るとしよう」
なにせ、急ぐ必要はない。
いつかそのときが来るはずだと懐に竜のチケットを仕舞い込みながら、俺はちらりと背後を覗いた。
魔法使いの少女と、巨大なドラゴン。竜の首に抱きつきキスをする角と尻尾の付いた少女は、なにやら楽しげに微笑んでいる。
「異世界、か」
悪くはない。昨日よりも確かに思える足の裏の大地を踏みしめながら、俺はそんなことを思ってしまった。
◆ ◆ ◆
久しぶりの乗客の背中を見送りながら、リュカはぽつりと呟いた。
「ごめんねノブくん、チケット勝手に渡しちゃって」
「問題ない。我が君の思うまま、それがすなわち余の翼の在り方である」
視線を下げたリュカの頭の上で、ノーブリュードはグルルと喉を鳴らす。優しく髪に触れる彼の吐息に、リュカは胸の布を摘む指に力を入れた。
「大好きっ!」
我慢できずに、リュカはノーブリュードの首に飛びついていく。抱きしめ、思いの丈を唇に込めた。
亜人と竜神。姿形は違えども、この世は幻想はびこる異界。なんの問題があろうかと、リュカは愛しの彼を熱く見上げる。
「……誰もいないしさ、ここでしちゃう?」
「ぶッ!?」
少女の問いに、赤龍はたまらず噴き出した。ちらりと見れば、さきほどの客人が振り返ったような気がする。
赤い鱗の顔を、更に真っ赤に染めながら、ノーブリュードは「適わない」と観念した。
なんのことはない。惚れた者どうし、雄のほうが弱いというだけ。
地球となんら変わらない不文律を感じながら、赤龍は愛しの彼女に頬を寄せた。
◆ ◆ ◆
「それで、誰に会いに行くのですか?」
荷物をギシギシと背負いながら聞いてくるシルフィンの声を聞きながら、俺は道行く街並みを見渡した。
「この街で、一番偉い奴だよ」
足音が変わった地面に視線を下ろし、俺はへぇと口を吐く。
オスーディアと同じ、石畳だ。街並みも、特段見劣りするわけではない。
地方都市エルダニア
古くから第二の都と呼ばれ栄華を極め続けてきた、地方都市の中では間違いなく最大の都市だ。
港であるニルスを貿易の拠点として隣に構え、大戦以後はその存在感をますます強くすることになった。
貿易だけではない。もともと肥沃な土地柄による、豊富な農産物によって栄えた街だ。今でも、油や小麦、紅茶といった生活に欠かせない必須産物の多くが、ここエルダニアからオスーディア全土に供給されている。
美味いものもありそうだ。空いてきた腹をさすりつつ、俺は隣を歩くシルフィンに目を向けた。
「……どうした?」
緊迫した様子で不安げな瞳を向けてくる彼女に、俺はきょとんと眉を寄せる。
「えっと、誰に会うと言いましたか?」
ふるふると動いたシルフィンの唇に、俺は思わず呆れてしまった。さっき言ったばかりなのに、さては上の空だったに違いない。
ただ、確かに名前を伝えていなかった。それは俺のミスに違いないと、きちんと彼女に伝えてやる。
「エルダニア領主。四大貴族がひとつ、ロプス家のご当主様だ」
そう言って、やはり名前を伝えてないことに笑ってしまう。
ただ、貴族の名前は長ったるい。目と口を開いて固まっている自分のメイドを見つめながら、俺はまぁいいかと目的の場所へ足を運ぶのだった。