第11話 魔法の灯火
「ぎゃははっ! ど、ドラゴンの肉かっ! そいつぁパチモンだぜおっさん!」
腹を抱えて笑うリュカを見ながら、俺はポカンと口を開けていた。
涙が滲んできた目尻をこすりながら、リュカが愉快そうに顔を上げる。
「そ、そうなんですか?」
「はは、まぁ真っ赤な嘘ってわけじゃないけどね。龍種にも色々いんのさ。おっさんが食べたのは、食用のドラゴンモドキだぜ」
リュカの言葉に、俺は少なからずショックを受けていた。あのステーキ屋め、二度と行かん。いやまぁ、もとから行くつもりはないのだが。
「旦那さま、ドラゴンモドキも高級食材に変わりはありませんので」
「ぐぅぅ、そういう問題じゃないんだよシルフィン」
どうやらこの世界では、食用のドラゴンがドラゴンモドキの肉だというのは常識らしい。恥ずかしい。あんなに浮かれていた自分を殺したくなる。
「龍種ってーのは、まぁ土地神様みたいなもんさ。そんなの食べたら、竜の巣から飛んできたドラゴンの群に、街ごと焼き払われちまうぜ」
「ま、マジですか……」
なんてことだ。ということは、俺は一生ドラゴンの肉が食べられないということになる。はるばる地球からやってきたのに、そんなのってない。
「えっ? でも、そのドラゴンに乗るんですよね?」
リュカの口振りからして、俺たちが乗るのは正真正銘の龍種だ。今更になって、あの乗車券の値段の理由に納得がいった。
神様の背に乗る値段なんて、付けられるものじゃない。
「おうよ。速いぜー、リュカのノブくんは」
「の、ノブくん?」
厳かな話とは裏腹に出てきた軽い名前に、俺はシルフィンと顔を見合わせた。
どうしても気になったのか、シルフィンがおずおずと手を挙げる。リュカが、「どうしたの?」と首を捻った。
「あの、失礼なことお聞きしますが。ノブくんというのは?」
まさか、ペットだろうか。そんな考えが俺にもよぎり、リュカのほうへ顔を向ける。
そんな俺たちの視線を受けて、リュカは満面の笑みを顔に浮かべた。
「あはは、ノブくんってのはリュカの彼氏だよー」
目を見開いたのは、言うまでもない。
◆ ◆ ◆
でかい。最初に思ったのは、そんな単純な言葉だった。
続いて襲ってくる、原始的な恐怖。
自分ではなにが起ころうと勝てるわけがない、補食される側が抱く恐怖。
そんなものを、俺はこの歳になって感じていた。
「……この者たちであるか、今宵の客人は」
理解できる言葉を喋られたことが、少しだけ恐怖を軽くしてくれた。
それでも、背中を流れる汗は止めようがない。
見上げるほどに巨大な生き物を、見たことがあるだろうか。
動物園の象? そんなものではない。しかも、象にはない強者の武器。
牙、爪、鱗、そして翼。そんな存在が、檻もなく目の前に座っている。
「よ、よろしくお願いします」
なんとか、それだけを絞り出せた。
赤龍。赤い鱗の巨龍が、値踏みをするように俺とシルフィンを見下ろしてくる。
土地神。納得だ。地球にいても、太古の昔に神と呼ばれていただろう。
「ふむ、歓迎しよう。余の名はドラグ・ノーブリュード。誇り高き飛龍が一族にして、赤き瞳を……」
「リュカの彼氏のノブくんだよー。ドラゴン兼、飛行機役やってくれてるの。速いぜー」
その神様の宣誓を、リュカの得意げな声が遮った。ぽんぽんとノーブリュードの首を叩き、どうだいと彼氏を見上げる。
リュカに誇り高き一族の宣誓を打ち切られ、ノーブリュードがしょんぼりと首を落とした。どことなしに小さく感じられるようになったドラゴンに、俺とシルフィンはちらりと視線を交わしあう。
「我が君、毎度のことなのであるが、そろそろ余の挨拶の最中には……」
「頼りにしてるぜノブくん、エルダニアまでひとっ飛びだ。んぅー」
ちゅっと、リュカが降りてきたノーブリュードの顔にキスをする。そのとたん、ノーブリュードの顔がもともと以上に真っ赤に染まった。
気合いを入れた赤龍が、ばさりと巨大な翼を広げる。
「任せるである。我が君の望みとあらば、雲も彼方に置き去って、世界すら一周してみせよう」
「ふふふー、素敵だぜノブくん。さすがリュカの彼氏だ」
むぎゅうとノーブリュードに抱きつきながら、リュカは再びキスをした。人前で抱きつかれ、ノーブリュードが恥ずかしそうにこちらを気にする。
「よっしゃ、充電完了! 行くぜふたりとも、準備はいーかい?」
リザードマンと龍種のバカップルぶりに呆気に取られていた俺たちに、リュカがふんすと振り向いた。
「あ、はい。大丈夫です」
なんとかそれだけ返しながら、俺は不安が混じり始めたフライトを、夜空の下で待つのだった。
◆ ◆ ◆
後悔した。人生で一番後悔していた。
「うご、うごおおおおおおおおおお!!」
風がっ! 風がっ!!
「ひ、ひぃいいいいいいッッ!!」
シルフィンが掴んでくる腕を必死に俺も握りしめながら、俺たちは夜空の中で絶叫していた。
「落ちっ! 寒っ! 風ぇえええッッ!!」
ゴンドラの中。そうとしか表現できない簡素な箱の中で、俺は大地への恋しさを叫び声に変えていた。
「あははっ! 大丈夫だよ、ロープで結んでるだろ? 風も気温も、リュカが魔法でなんとかしてるから大丈夫だぜー」
そう言って笑いながら、リュカはノーブリュードの頭の上で命綱も付けずに胡座を掻いていた。全然大丈夫じゃない。もはや自殺と一緒だ。
平然とドラゴンの頭に座る少女を見つめながら、俺はようやく彼女がオスーディアの主席であることを理解した。あんなもん、魔法でも使わないと無理だ。
「ピッツア持ち帰りも頼んだんだけどさ、おっさんも食う?」
「後でお願いしますっ!」
そう言って叫ぶ俺の声を、リュカはスカートをはためかせながら、愉快そうに笑っていた。
◆ ◆ ◆
「美味いですね、ここのピザ」
「だろー。実はこの店、リュカの知り合いが経営してるんだ」
数時間後、そこにはもぐもぐとピザを咀嚼している自分がいた。
「だ、旦那さまぁ。風がぁああ」
「まったく。いつまで騒いでいるんだ君は」
人間、何事も慣れるものだ。リュカの言うとおり、冷静に肌に当たる風を感じてみれば、確かに暴風だが耐えられないほどではない。
ノーブリュードの飛行する速度から考えれば、そよ風程度に抑えられているだろう。これが魔法の力か。
ゴンドラの中にやってきていたリュカからお代わりのピザを貰いつつ、俺はその味に感心していた。
冷めてしまってはいるが、いい味だ。薄めの生地は食感がよく、濃いめの具材に合っている。
チーズとベーコン。単純だがこれ以上はない組み合わせだ。あんな場末の荒れた店が、ここまで美味いピザを出すとは。これは是非とも焼きたてを食べなければいけない。
「そういえば、おっさん達はなんでエルダニアに行くんだ? リュカんとこ使うくらいだから、緊急だろ」
言えないならいいんだけどさと、リュカは興味深げに俺の顔を覗いてきた。俺は当たり障りのないくらいならいいかと思い、ぺろりと指先についたソースを舐める。
「まぁ、仕事ですね。とある人物に、手紙を渡しに」
「なるほどねぇ。ま、バートんとこからの依頼だ。丁重に送るよ」
リュカも手紙の中身やその人物のことまでは聞いてこない。こういう商売だ、深追いは禁物だろう。
というか、聞かれたところで俺もよく知らないのだが。バートの奴はいろいろと急で困る。
「そういえば、リュカさんは魔法使いなんですよね?」
ピザをかじっているリュカを見て、バートからの伝言を思い出した。
『仲良くなっておいて損はない』
身も蓋もない言い方だが、高い乗車賃だ。聞けることは聞いておいてもいいだろう。
「ん? そりゃあね。リュカ以上の魔法使いは、そんじょそこらにはいないぜ」
俺の質問に、リュカはあっけらかんと答えた。ノーブリュードを紹介するときのような、得意げなものではない。当然といった様子だ。
それはそうだろう。オスーディアの主席卒業が、そんじょそこらにいてもらっては困る。
「実は恥ずかしながら、僕は魔法にはあまり詳しくなくて」
最低限としての知識はある。世界に存在する魔力を形にするだの、魔法には四大魔法と呼ばれる属性があるだの。だが、そんなことを言われてもいまいちピンとこない。
地球からやってきた俺に、オスーディアの才女は少しだけ視線を上げた。
数秒考えて、リュカはそうだなぁと口を開く。
「魔法ってのは、昔は軍事技術だったんだよ。それこそ、炎や風をドバーンって相手にぶつけてね。魔法使いが多いほうが、たいていは勝ってた」
リュカの話に、なるほどと俺は相づちを打つ。地球でもあった話だ。多くの技術は、戦いによって進化する。銃が存在しないこの世界、大勢を分けたのは魔法の存在だろう。
リュカは、ちらりと顔をゴンドラの外に向けた。つられて俺も顔を向ければ、遙か下にポツリポツリと明かりが見える。
蝋燭の炎ではない、電気の明かりだ。
「魔力発電のおかげで、今じゃ魔法使いは燃料扱いさ。悪いことだとは言わないよ? 戦争やってるよか、よっぽどマシだ」
そう語るリュカの顔は、複雑そうだ。誇らしいような、どこか納得がいってないような。そんな表情。
「大学の研究も、今ではほとんどが魔法力学だよ。どれだけ効率的に魔力から電気を生み出せるか。電気だけじゃない。火も風も水も土も、今じゃどうやってエネルギーとして利用できるかって話題しかない」
がしがしと頭を掻きながら、リュカは悔しそうに顔を伏せた。
軽薄な見た目とは裏腹に、目の前の才女の苦悩は大きいようだ。彼女は、なにを目標に魔法の道を進んだのだろうか。
「リュカさんは、嫌なんですか?」
踏み込みすぎだろうか。しかし、なんとなく聞きたくなって、俺はリュカに聞いていた。
俺は、魔力発電に感謝している。
なにも知らない異世界。そんな世界で、あの文明の灯火がどれだけ俺に勇気をくれたか。
あの輝きがなければ、俺は独りぼっちの世界で、もしかしたら諦めてしまっていたかもしれない。
俺の視線に、リュカは照れくさそうに頬を掻いた。顔を上げ、そうでもないさと下界を眺める。
「……嫌なわけ、ないんだ」
そう呟いたリュカの声を聞きながら、俺は冷め切ったピザをちらりと覗いた。
どう返したものかと悩む俺に、リュカが笑って手を差し出す。
「貸しなよ。あっため直してあげる」
微笑むリュカを見て、俺はきょとんと目を開けた。石窯もマッチもないこの夜の空で、それでもリュカは胸を張る。
「あたしを、誰だと思ってんだ」
そう言って、リュカはにやりと口を開いた。
なにもない空の世界に、赤い輝きが小さくこぼれる。あれは、炎だ。
リュカの口元から漏れ出した火の粉に、俺の目が吸い込まれる。赤く輝く、正真正銘の炎の欠片。
リュカは楽しそうに、夜空に向かって顔を上げた。口を開け、星々に届くように狙いを定める。
「うおっ!?」
その瞬間、夜空に上がる火炎の柱。渦を巻いて高く高く上っていく炎は、高速の空を飛んでいく。
「すげぇ……」
夜空が赤く染まる。電気ではない、原始の世界の灯火。その明かりが、俺たちだけの空を照らし出す。
肌に灼熱のうねりを感じながら、俺は思わず身を乗り出していた。
「これが、魔法……」
まるで、夜空を覆う炎のカーテンだ。数百メートル? まさか一キロ? もはや判別も出来ないほどの遠くへ、リュカの炎は広がってた。
きっと、彼女は言われるのだろう。これがなんになるのだと。こんなものを目指してきたのかと、彼女は言われ続けたのかもしれない。
「すごい」
だが、俺はその光景に魅入っていた。進んだ科学の世界の住人が、確かに心を奪われたのだ。
そのとき少しだけ、俺はこの世界に来てよかったと、そんなことを思ってしまった。
「きゃああああああッ!? だ、旦那さまッ!? 火がッ、火がぁあああッ!?」
そして上がったメイドの悲鳴に、俺とリュカは思わず笑う。
揺れる炎の渦を眺めながら、俺はリュカが差し出したピザを見つめた。
「美味そうですね」
とろりと溶けたチーズを気にもせずに、リュカはにかりと歯を見せる。
今度の彼女は、どんなもんだと得意そうだった。
・・・ ・・・ ・・・
ドラゴンモドキ
原産:オスーディア内陸部
補足:食用として飼育されている龍種。見た目は太ったドラゴンで、性格は温厚。かつては世界中に生息しており、古来よりドラゴンモドキを狩ることでこの世界の人々は糧を得てきた。
文明の発達に伴い世界中で乱獲され、数百年前に絶滅寸前まで追い込まれる。今では野生で生息している個体はいないとされ、各牧場が揃って肉質の向上に取り組んでいる。高級食材の代表的存在。