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バーヴンバース! 04

 弛緩したラプタークラウンの脚の指が、ゆっくりと解放された──

「ひ く ぢ ば ざんっ!」

「っ!」

 咄嗟に、虚空に落下したレティシエルの直下に"跳躍"してその矮躯を抱き止める。

 レティシエルへの説明が不充分だが仕方がない。

 腕の中に収まったレティシエルは一瞬安堵の表情を浮かべるが、それはまた驚愕に転じることになる。

「ひゃ!」

 レティシエルにしてみれば、せっかく受け止めてくれたクリスリデルが消えてしまったと思ったろう。

 ところがその再落下は先ほどと同じくらいの距離で再び受け止められ、だがまたしてもクリスリデルの姿が、支える腕の感触が消えてしまう。

 と思えばまた僅かの落下ののちに受け止められ、そしてまた支えが消えて落下する。

 まるで子供の遊び、縦に積んだメダルの最下段だけを弾き飛ばす「メダル落とし」の頂上に載せられた駒のごとき断続的な落下に、その背を打つ衝撃の連続にレティシエルは目を回していた。

「わっ! ひゃっ! けぷっ!」

 それでも、抱えたファンシー柄の段ボール箱は手放さない。

「ごめん!」「悪いけど!」「ガマンして!」

 クリスリデルとしても初めての、しかも他人の身が懸かった試みに緊張していた。

 クリスリデルの"跳躍"は、自分ひとりのみに作用するものであり、他人を連れて"跳躍"することはできない。

 だからクリスリデルは、小刻みに直下への"跳躍"を繰り返してはレティシエルの体を受け止めながら、海面に設置された救命用バルーンボードへの軟着陸を目指していたのだ。


『奴は未確認生命体だから麻酔の適量が分からん! だから原液を生のままブチ込む! どれくらいで効くのかも分からないから、彼女を救い出せたら全速で逃げろ!』


 青磁・エルカセット少尉からのレクチャーを思い出すまでもなく、クリスリデルは必死に"跳躍"しながらのレティシエルの落下緩衝を繰り返していた。

 クリスリデルの顔色が優れないのには、他にふたつ理由があった。

 クリスリデルの"跳躍"は重力に抗うことはできない。そして、本体の慣性は保持され続ける。

 今こうして連続跳躍で真下のバルーンボードめがけて降下しているが、落下距離が伸びれば伸びるほど、再出現地点に若干のブレが出てきた。

 連続して"跳躍"しているとはいえ、出現した瞬間に、例え瞬間的にでも重力の影響を受けている。下方への"跳躍"を繰り返すたびに、クリスリデル自身の身体も下方への運動エネルギーを蓄積しながら下降しているのだ。

 その上、腕にかかる衝撃が重くなってきている。レティシエルの身体の落下速度も、断続的に空中で受け止めているとはいえ加速しているのだ。

(……だけど、まだ、もう少し……!)

 物質的には柔らかいバルーンボードと海面が待ち構えてくれているとはいえ、高速での激突時の瞬間強度は海面といえどバカにならない、と青磁・エルカセット少尉は言っていた。

 自由落下しても大丈夫そうな高度まで、あと少し、もう少し──

 その時、地上からどよめきが響いた。ふと見上げた上空で恐れていた事態が起きたのをクリスリデルは目撃してしまった。

 浮揚艇二機が繋ぐネットに宙吊りにされていた鳥竜ラプタークラウンが、再び身動きし始めたのだ。

(なっ!)

 驚きはしても、連続跳躍はやめない。なにがあっても絶対に途中で止まるなと青磁・エルカセット少尉から言われていたからだ。


『そして、麻酔がどれだけの時間効いてくれるのかも分からん! とにかく逃げろ! いーから逃げろ! お前の「イイ事」は、来た道には絶対にないから振り返ってもしょうがないと思え! 分かったな!』


 最後にやたら念を押した青磁・エルカセット少尉の青筋の浮いた形相と不思議な言い回しが思い浮かぶ。

 言われるまでもなく落ちるしかない身の上だが、暴れ出したラプタークラウンの膂力によってネットが揺さぶられ、浮揚艇が玩具のように振り回され始めたのを見てさすがに血の気が引いた。

(あんなものが真上から落ちてきたら──)

 言うまでもないが、クリスリデルとレティシエルは"真っ直ぐに"落下しているのである。

 もし浮遊艇が制御を失ったら、羽ばたく為の翼を絡め取られたままのラプタークラウンは真っ直ぐに落下してくるだろう。

 二人の真上に。

(落下の軌道を逸らせば──)

 思い付いて咄嗟に次の落下地点を僅かに横へずらすが、これは悪手だと瞬時に気付いた。

 当然レティシエルの身体の慣性は 直 下 へ 加速している。

 芯から外れた重量物を支えることは、いかにクリスリデルの腕力を以てしてもできないことだった。

 想像以上の腕への衝撃に、レティシエルの身体を支え損ねてしまう。

(しまっ──!)

 あとはもう、本当に一瞬のことだった。

 オーバーレブでもこれ以上の加速感は望めまい。

 そこでクリスリデルが見たものは。

 段ボール箱を抱えたレティシエルの矮躯が救命用バルーンボードの真ん中に埋まる勢いで着地した途端、山の向こうの空の彼方から飛んできた赤い稲妻が真上で直角に折れ曲がり、クリスリデルの目の前を貫いてレティシエルに直撃し、たちまちレティシエルを中心に校庭ほどはあろうかという直径の赤光の円陣が複雑な紋様を内部に描きながら迅速に展開すると、魔法陣らしきその光陣の中から巨大な何かが飛び出し、落下するクリスリデルを弾き飛ばして入れ違いに急上昇してゆき。

 真上に飛び出していった巨大な影はネットに絡まれてもがくラプタークラウンに激突すると、ラプタークラウンもろともネットを引きちぎって上昇を続け。

 はるか上空でラプタークラウンを掴んだまま身を翻して巨大な翼を広げ、目下を、落下するクリスリデルを睥睨したそれは、その凶悪な瞳は。

「ば……うそ……そんな……!」

 落下中のクリスリデルの喉が、意図によらずに呻きを漏らした。

「……ミョルニルステイク……?」

『ーーーーーーーーーーーーーーッッ!』

 雷鳴のごとき咆哮が轟く。

 その体長・翼長ともにラプタークラウンを遙かに凌駕する巨体。

 岩石を鳥型に寄せ集めたかのような歪な体躯。硫黄のような色の体表には毛細血管のように無数の稲妻が這いまわり、無数の樹木の束のごとき大きな翼が羽ばたく度にばちばちと電気の弾ける音がする。

 図鑑に描かれたイラストの通りだ。

 これぞ神話にも雷神の鉄杭と謳われた雷の化身、雷竜・ミョルニルステイク──

『ーーーーーーーーーーーーーーッッ!』

 もう一度雷轟のように吼えると、ミョルニルステイクはその脚にネットに絡まったラプタークラウンを掴まえたまま身を翻して大きく羽ばたいた。

 その雷竜の羽ばたきの一打ちは、海面を大きく抉りへこませると全包囲へ同心円状の巨大な津波を引き起こし、海面はおろか海岸に待機していた全ての勇者補佐官とその特殊車両を飲み込み薙ぎ払った。

 その頃にはクリスリデルは救命用バルーンボードからは大きく離れた海面に着水していたのだが、どうにか水面に顔を出した時にはもうミョルニルステイクの翼圧に煽られた波がそこまで迫っており、それと気付いた時には再び波に飲み込まれて上も下も分からなくなるほど翻弄されながら気を失った。

 その後の超巨大鳥竜の行方を見た者は、レティシエル以外には誰もいなかった。



「──と言うわけで、今日のレティの法陣干渉が引き起こした魔法は「召喚魔法」って言って、転移法術のバリエーションの一種なんだけれど、それは特に魔王が手勢として力ある眷属をその場に喚び出す為の──」

 青磁・エルカセット少尉が乗る浮揚艇に乗せられて、クリスリデルとレティシエルはつい一昨日に来たばかりの病院に再び怒濤の勢いで担ぎ込まれ、入念な検査を受けさせられた後、診察室に現れた白衣の麗人、ベルカレット・テクトゥス・リースクレッタからの今回の「災厄」についての解説を受けていた。

 ちなみに海で溺れかけたクリスリデルは病人着に着替えており、髪は未だに水気を帯びている。

 隣で水滴ひとつ付けずに段ボール箱を抱いてけろりとしているレティシエルを、つい澱んだ半目で睨みもするものである。顔も指先も向けはしないが。

「いやあ。あれはさすがに参ったな」

 からからと青磁・エルカセット少尉が底抜けに明るい笑い声をあげた。

「レーダーに映らねえってウチのチームのアホが見苦しい言い訳しやがってさ。これから俺らも追跡調査なんだわ。 ひどいよな、未確認生命体たった二匹に第八師団の後方支援部隊が半壊滅状態だぜ? けが人がないのがせめてもの救いだわ。 まあお嬢ちゃんが助かったから大成功なんだけどよ」

 ばん、と思いの外強くクリスリデルの背が叩かれた。

 咳き込み恨めしげに見上げるも、青磁・エルカセット少尉はあくまでも朗らかにクリスリデルの濡れた頭を掴んで乱暴に撫で回す。

「お前にも思う所はあるだろうけどよ、人ひとりの命を救えたってのは、男として誇っていいぜ。それじゃあな」

 言うだけ言うと、青磁・エルカセット少尉は出入り口に向かっていった。

「ああ、待って。例の未確認生命体だけど、これの発生原因が召喚魔法だとしたら、効果時間を過ぎたら送還されて消えてなくなってしまうかも」

「だとしても、俺たちゃこれからたった三機で領海域四方を意味なく巡回調査でさぁ。 じゃあとよろしく!」

 快活に笑った青磁・エルカセット少尉の手を振る後ろ姿がドアの向こうに消え、テクトゥス・リースクレッタの溜め息が残る。

「まあそんな訳で、ここまでやっても、レティの日常のいつもの事なのよ。「召喚魔法」に干渉したのは今回が初めてなんだけど。 あと、アセト先生から伝言。約束通り、今日は欠席にしないでくれるそうよ? もっとも、今日は終業式で明日から春休みらしいけど。いいわねー学生って」

 その澄まし顔が、一転して申し訳なさそうに付け足した。

「でね、魔王災害と同じく、未確認生命体と直接接触した人は、どんな影響があるか分からないから、念のために一晩様子を見なくちゃいけないの」

 と言うわけで、クリスリデルとレティシエルは一昨日と同じ隔離棟の一室に拘置されることになった。

 もちろん二人まとめてである。

「だからなんで一緒に入れるかな」

「粋な計らいというやつではないですか?」

 馬鹿なことを──と言いかけて、ふと先日の「脱衣災害」の時のレティシエルの下着姿を思い出してしまい、気まずくなって肩に掛けていたタオルで目を覆った。

「……うん。やっぱり良くないよ。僕は隣の部屋に移るから」

「ええー?」

 何やら不満げな声を上げるレティシエルを黙殺して、クリスリデルは隣の部屋に"跳躍"しようとした。

 が。

「……あれ?」

 怒涛の急展開ですっかり失念していたが、今その異常に気付いた。

 クリスリデルは抱える「ジャンパー症」ゆえに、半径三メートル以内ならば壁があろうとその向こう側を認識できる。

 ところが、この部屋は、壁の向こうが全く視えないのだ。

「な……なんだこれ?」

 全方位の認識を完全に壁で遮られたのは初めてだったため狼狽えたが、すぐに原因に思い当たった。

 ここは「隔離棟」である。

 あらゆる異常の感染などを遮断するための施設だ。魔王災害の被爆の恐れも然り、魔獣との接触感染の恐れも然り。

 ならば、「ジャンパー症」が引き起こす空間の異常干渉も阻害してしまうのだろう。

「うわあ。みんな、こんな感じなのかな」

 きっとこれが通常人の見る世界なのだろうと妙な感動を覚える。

(この壁、ウチにもつけられないかな)

 とはいえ、"跳躍"できないとなれば、おとなしくここにいるしかない。

 慣れない閉塞感にそわそわしながら辺りを見回す。

 しかも、相手がレティシエルと言えど女子と二人きりの空間であることがなおさら意識にのしかかってきた。

 再び例の光景を思い出してしまう。

 いやいや。別に、何をするわけでもない。健全な男子ゆえ妄想くらいはしてしまうが、あくまで妄想。そこまではしょうがないだろう? 実際に手を出さなければ何の問題もない。

 そう。これまで通り普通にしていればいい──

「きくちばさん」

「ぅぇぁぃっ? な、なに?」

 無理だった。

 緊張に引き攣り微痙攣を起こしたクリスリデルの目の前に、レティシエルがこれまでずっと抱えていたファンシー柄の段ボール箱を差し出してきた。

「これ、プレゼントです! 受け取ってください!」

「………………え?」

 ここ数日の怒涛の異常事態に比べ、なんとも久しぶりに感じるごく普通の光景に思わずきょとんとしてしまう。

 「プレゼント」。贈答品。

 友達の間なら、当たり前のやりとりの一つである。

「……ああ。ありがとう」

 当たり前の光景に、ふと緊張が緩み、普通に感謝の言葉が滑り出てきた事に安心した。

 そうだ。出会いこそ一方的でとんでもない急展開に巻き込まれたが、レティシエルに悪気はないし、むしろ自分よりも深刻な障害を抱えながら自分よりも笑顔で楽天的だ。

 恋人気取りについては受け容れるつもりはさらさらないが、友達の行為を無碍にすることはない。

 そうだ。友達だ。

 障害を抱えていようと、こういう当たり前を積み重ねようとすることが大事なのではないか。

 ジャンパー症を阻害する壁に囲まれて、通常人の感覚を疑似的に体験しながらクリスリデルは神妙な心地でその当たり前を受け取ろうと両手を伸ばした。

「うん。本当にありがとう──って重いな!」

 想定外のとてつもない荷重に肩が抜けるかと思った。

 せっかく感動的なやりとりになるかと思っていたのに、このファンシー柄に似つかわしくない不自然な箱の重量感は一体なんだ?

「なにこれ?」

「捨て猫です! 拾ってきました!」

「そんなもんプレゼントすんなよ!」

「大事にしてくださいね?」

「拾った君がまず大事にしろよ! ああもうどうすんだよこんな場所で」

 ツッコミを滅多打ちしながらクリスリデルは慌てて段ボール箱を開封した。

 こんな閉所であの騒動の中ずっと閉じ込められてて無事なのか、心配しながら中を覗き込むと、小さな火花を無数に散らしながら何かが顔を出した。

 大きさこそ猫の子供くらいだが、その生物の特徴は明らかに猫からはかけ離れていた。

 猛禽のような面構えに、まるでハリネズミのような堅そうな体毛で全身を覆い尽くしている。

 それも硫黄のような体色で、両腕の脇の下には翼のような皮膜があり。

 それは、ついさっき遭遇したものに非常に酷似していた。

 ぶっちゃけて言えば、雷竜ミョルニルステイクの幼体にそっくりで──

「……ねえ。これのどこが猫なのさ」

「あれ? 変わった猫さんですねえ」

「自ずと限度があるだろ! ってうわああ!」

 クリスリデルの大声にびっくりしたのか、謎の小動物がいきなり小さな火花を吐いてきた。

 見た目通りだとしたら、これは小さくてもきっと稲妻のブレスだ。

 熱量や電流など広い範囲に影響するものはジャンパー症で少し逸らした程度では完全には躱せない。きちんと体を移動させて避けないとただでは済まないだろう。

 箱から這い出てきた小動物は、尻もちをついて後退るクリスリデルを追ってもたもたと歩み寄ってくる。

 そしてくしゃみのように小さな稲妻のブレスを吐き出した。

「うわああ!」

「あ。気に入られてますよ! 良かったですねえ」

「良くない! 多分これ威嚇行為!」

 慌てて部屋の端まで退避するが、もともとそんなに広くはない。すぐに追いつかれてしまう。

 こうなっては、隔離施設の壁の阻害特性はまさに恐怖でしかない。いつものように"跳躍"で逃げることができないのだから。

「ちょっ、なんとかしてよ! 元は君のだろう?」

「捨て猫だったんですってばあ」

「うそだあああ!」

 小さな稲妻のブレスを間一髪で飛び退いて躱し、もう一方の部屋の端めがけて駆け回る。

 こうして一晩、クリスリデルは謎の小動物に追い立てられ一睡もすることができなかった。

 レティシエルはと言えば、いつの間にか横になって眠っていやがった。

(やっぱり! こいつとは付き合いきれない!)

挿絵(By みてみん)



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