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バーヴンバース! 02

「早く行けアホ蹴り殺すぞ行け早く行けえッッ!!」

「な、なにすんだよ!」

 血相を変えたミーアメリィに椅子を蹴り砕かれたクリスリデルは一瞬バランスを崩しかけたが、不自然な動きで重心を取り戻すとあっさりと立ち上がってミーアメリィから後退った。

 だが、目眩でも起こしたかのようにふらふらしている。

 ミーアメリィはお構いなしに飛びかかりクリスリデルの胸倉を掴み上げた。

「なにもなんもないだろ! いま飛んでったバケモンにレティが拉致られてんだぞ! おまえならすぐに追いつけるだろ!」

「なに言ってんだよ! そんなの勇者庁の仕事だろ? なんで僕が」

「がーーーー!」

 吼えたミーアメリィが力任せにクリスリデルを砕けたドアへ引っ張り回して尻を蹴飛ばした。

「いーから行け早く行けすぐに行け!」

「でも軽々しく跳ぶなって」

「緊急事態だーうがーーー!」

 再び牙を剥いたミーアメリィの全体重を載せた靴底がそろって飛んでくるが、さすがにそれは躱してクリスリデルは呻き声を上げた。

「あーもう分かったよ」

 吐き捨てるように言うと、その場で靴を脱ぎ捨てた。

「ったく……」

 諦め悪くぼやくと、鼻息荒く怒り肩を上下させてぎゃんぎゃん罵倒を繰り返しているミーアメリィの前からクリスリデルの姿が掻き消え、その姿は砕けたドアの向こうの廊下に出現すると、再び消えてしまった。

 


◆◆


 『識域過敏性空間認識障害』、『多軸過剰適応症』、ほか諸々の関連障害を総括して『ジャンパー症』と呼ばれる。

 それが、クリスリデルがこの世に生を受けると同時に授かった障害だった。

 ここで言う「ジャンプ」とは、簡単に言えば空間跳躍能力の事で、法術における「テレポート」との違いは、「テレポート」はA地点からB地点までを異次元を経由して一瞬にして移動するが、「ジャンパー」のそれは、A・B間の空間を手繰り寄せてその距離をゼロとし移動と成す。

 両者にたいした差異はなさそうに見受けられるが、行使者の主観は全く異なる。

 「テレポート」の行使には、目的地の明確なイメージだけが必要であり、途中の経路、及びそれ以外の場所の情報に意味はない。

 しかし「ジャンパー」にとっては、跳躍可能距離の範囲すべてが同一箇所に等しい。跳べる範囲すべてが当人にとって同時に「ここ」なのだ。

 以上の情報は、勇者庁魔法術研究部門の文献にしか残っていない、対魔王災害の特殊技能の一例に過ぎない。

 歴史を遡れば、一万年前の魔王大戦時、勇者に随伴したとされる法術士一族や異能力行使者たちが持っていた、当時ではごく当たり前な技能や能力だったらしい。

 魔王大戦が終結し、大陸全土の封印が終わって世界に平和が訪れてからは次第に不要になり、そして廃れていった「失われた技能」だ。

 ただ、そういった「失われた技能」のうち、能力として身体に備わっていたものが遺伝によって現在にも渡り新生児に顕れることがある。

 その内のひとつのジャンパー能力、今や「ジャンパー症」は、種族を問わず数万人に一人の確率で顕れる。

 しかもその生存率は数十万分の一。

 この数字の示す意味は、発症者全てが、死んでから「ジャンパー症」だったと判明したということだ。

 ただの空間跳躍能力である「ジャンパー症」を患って生まれてきた新生児の生存率の極端な低さの原因はいったい何か。

 それは、自己制御のできない新生児の、初めて感じる外界への恐怖心からの逃避によるものだった。

 生まれる前から「ジャンパー症」と分かっていたなら、何か打つ手があったのかもしれない。

 だが出産直後、産声と共に瞬時に消失されては医師にもどうにもすることもできない。

 数年に一度の割合で、新生児の墜落死や突如道路に出現しての悲しい事故、行方不明などが起きた。

 すべて、生まれもっての「ジャンパー症」の能力によって、外界への恐怖から本能的に「逃げたい」と感じた赤子が、無分別なまま能力を発揮してしまった結果だった。

 だが、クリスリデルだけは違った。

 クリスリデルが生まれ落ちた直後、やはり産声と共にその姿を消したのだが、その姿は分娩室の入り口の床にあった。

 そこからさらに跳躍を繰り返したのだが、その都度すぐ側に現れ、その距離は問題にならないくらい短かった。

 運が良かったのだ。

 クリスリデルの「ジャンパー症」が干渉できる空間──跳躍できる距離は、およそ三メートル。

 それがクリスリデルの生命を現世へと繋ぎ止めた。

 すぐに勇者庁魔法術研究部門直轄の医療組織から空間制御の補助器具の支援を受け、クリスリデルの生活は保護された。

 クリスリデルは「ジャンパー症」を患って生まれて生き延びた初めてのケースとなったのだ。

 今後の新生ジャンパー症児生存の為、その症状と生活への影響の研究をする為にクリスリデルとその家族は勇者庁の医療機関に協力することになり、それと引き替えに補助器具などの支援を受けられることになった。例えば、たったいま脱ぎ捨てた、自身の三次元中の位置の目印となるアンカーの役目を果たす法術仕込みの靴とか。

 そして調査を進めるうちに、今後の生活にも関わる大事なことが明らかになった。

 なにしろクリスリデルにとっては、すべての感覚が生まれついてのものであり、本人はそれを「当たり前」と認識している。

 自分を中心に半径三メートルの空間が全て同時に「ここ」と同一であるという常識が、クリスリデルだけのものであるという教育が必須であることが分かった。

 クリスリデルにとっては、壁や天井など生活の為の「区切り」が通常人よりも曖昧なのだ。だからよくドアを無視する癖がある。

 クリスリデルは、振り向くよりも簡易な動作で壁や天井の向こうへ行くことが普通にできるし、同じ理由で半径三メートル以内の光景を全て同時に視野に収めることができる。

 だから、誰かに後ろから話しかけられてもクリスリデルは振り返ることなく相手を認識し会話することができるのだが、周りはそうはいかない。

 その為に、クリスリデルの両親は、通常人との対話やコミュニケーションの方法をいろいろと模索した。

 相手や自身の足先を向き合わせるように体勢を変えるなど、通常人にとっては当たり前にできることを細かく気を付ける努力をしてきた。

 だが、どうしてもどうにもならなかったものもある。

 クリスリデルの眼球は、通常人のように動かすことができない。

 眼球を動かすことなく全周囲を視認することができるので、眼球を動かす必要が生来からなかった為、眼球筋が衰え、機能を失ってしまったのだ。

 これは、両親も医療機関の研究員も、そしてクリスリデル当人も、それと指摘されるまで誰も気付くことのできなかった不幸であるが、本人にはなんの問題もないことなので気にしていない。

 ただし、その見た目の異様さについては様々な差別的態度の種となってしまった。

 その点についてのみ、クリスリデルも周囲の反応を煩わしいとは思った。

 図らずも、肝心の障害ではなく、障害の副産物として生じた「眼球筋劣化」によっての見た目の異常の方が、より重い問題としてクリスリデルの前に立ちはだかったのだった。

 「やーい、目が動かねえ、きもーい」などと言われても、目玉が動くからなんだろうとしかクリスリデルは思わなかったが。

 歳を経てハイスクールに上がり、皆も分別が付いてくるこの頃には、そういった幼くも残酷なイジメや嘲笑は激減した。


 けれど、クリスリデルの中では既に、自分と同じ感覚を共有できない他者との壁が出来上がってしまっていた。

 幼い頃からの喧嘩相手であったミーアメリィ以外には。



◆◆



 住宅街の屋根の上を、長身痩躯の人影が点滅を繰り返しながら移動してゆく。時折、民家の屋根を蹴りながら。

 自身の「ジャンパー症」の干渉範囲三メートルいっぱいまでの"跳躍"を、連続して繰り返しているのだ。

 クリスリデルは一秒間に三度"跳躍"できる。

 実に、時速32.4kmで街の上空を移動しているのだ。

 だが。

(……やっぱ速いな)

 見晴らしの良い住宅街の上空にあって、遠くをゆったり飛翔している鳥竜・ラプタークラウンの赤い姿は良く見える。

 見えるが、クリスリデルの全力の連続跳躍でもその距離は縮まらない。

 幼い頃に動物と"跳躍"で追いかけっこをして遊んだことがあるのだが、小鳥ですらその巡航速度は自動車を凌ぐ。

 ラプタークラウンの羽根の動きがゆったりに見えても、それは巨躯ゆえの動作であり、その飛行速度はやはり人間がかなう範疇ではなかった。

(そもそも、あんな古代生物の飛行速度なんか気にしたこともなかったけど)

 ミーアメリィに無理矢理蹴り出されてきたとはいえ、そして浚われたのが心証良からぬ相手とはいえ、このまま見捨てる訳にもいかない。


 ──他人との壁は感じていても、別に憎んでいる訳ではないから。


(ったく。しょうがないな)

 当たり前の人助けとして改めて思い直したクリスリデルは、まっしぐらに"跳躍"を続けた。

 いかに鳥竜の巡航速度が速かろうと、どこかで進路をわずかでも曲げてくれれば、直線で跳べるこちらが距離を詰めることも不可能ではない。

(……それにしても)

 ふと、あの鳥竜の出所に今更ながら疑問を感じた。

(どっから飛んできたんだ? あの鳥竜は)

 今時、化石のレプリカでしかお目にかかれない類の生物である。仮に生き延びた個体がいたとして、あれほどの巨大生物が勇者庁やメディアの目に止まらなかったとは考え難い。

 その時、考え事をしていたクリスリデルの耳に特徴的なサイレンが聞こえてきた。

 別方面から、まるでタイヤの部分を埋めたスポーツカーのような鋭角な形状の、紫色に塗装された勇者庁の浮揚艇(フローター)が数機、鳥竜と同じ高度を飛翔してきたのだ。

 大きい。この距離で見るのは初めてだ。

 学校のプールくらい──全長三十メートルにも及ぼうかという大きさの浮揚艇が編隊を組んで飛んでいるのをこの角度で見れるのは珍しいので、つい見とれてしまった。

『栗色の髪に白のシャツ、住宅の上空を飛んでいる少年に告げる』

 突然、クリスリデルの脳裏に知らない男の声が語りかけてきた。

『《遠話》の法術で話しかけている。落ち着いて聞いてほしい。私は勇者庁航空補佐隊第八師団後方支援部隊の通信士、リディスク・青磁(せいじ)・エルカセット少尉だ。君から見て十時の方向にあるフローターに乗っている。見えてたら手を振ってほしい』

 見れば、確かに左前方を飛んでいるフローターが、ライトを点滅させている。それがサインなのだろう。

 言われた通り、跳躍を繰り返しながら片手をひらひらと振ってみせる。

『クリスリデル・黄朽葉・ランセット君だね。君の障害についても知っている。 あのモンスターに浚われた女の子を助けに行くんだろう? 我々に協力してほしい』

挿絵(By みてみん)



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