クォレルクエスト! 03
「で? さっきなんて言ったっけ? 元四組の誰さんと、元三組の誰さんか、もういっぺん言ってみてくれないかな」
完全に据えた目つきでクリスリデルはシャンテリエに向かって歩みを進めた。
それも地面に敷かれたレンガの目を読んできちんと一歩ずつ普通人と同じように両足を物理的に踏み出しながら、時折り小刻みに"跳躍"を織り交ぜる進み方。
相手からはまるでノイズのようにこちらの姿がブレて見えるそれはクリスリデルなりの威圧。
愕然とした顔のシャンテリエが、唇を戦慄かせてふらりとバランスを崩したように後退った。
その背を、隣にいたシャンデリカが穏やかな微笑みでそっと支えた。
己の体勢にも気付いていないのだろうか。シャンテリエの茫然自失のその瞳に、涙が浮かび始めた。
「あのさあ。暢気に泣いてる場合かな? 自分で提示した条件を忘れたの? それとも、あれも嘘かな?」
だがクリスリデルは一切容赦しない。
「もともと対等に話す気はなかったって事かな? こいつは驚いた。まったく何様のつもりかな。友達の友達かと思っていたけれど、何かの間違いだったみたいだね。でも侮辱はすすがせてもら」
「えいっ」
「ぶぎゃんッ!」
いきなり背を支えていたシャンデリカがシャンテリエを地面に叩き潰した。
それは、微笑みを浮かべたまま膝裏を蹴りつけると同時にシャンテリエの頭を真下に投げつけるという早業だった。実はこの為に彼女の背後に寄り添っていたのではないかと思える程の。
あまりの脈絡のなさに、さすがにクリスリデルも仰天して足を止めた。
両腕を投げ出し折りたたまって正座の形で崩折れるシャンテリエの体勢は、まさに土下座のかたち。
さらに間髪入れずにその後頭部をシャンデリカが踏み付けた。
「ほぉら。だから言ったじゃありませんかリエ姉さま。 秋桜祭のシャッフルカップの出店で景品総取りして出禁を言い渡された、三組の黄朽葉さんなら、絶対に見分けるって」
「……だ、だってだってリカ姉さま! 紙コップと私たち双子が同じ括りで見分けられるだなんて思いませんわ!」
「紙コップだけじゃありませんわ? カピヤヴァレースでも、全てのレースで一番速い個体だけを見分けて賭け続けてやっぱり出禁を言い渡されて」
「ネズミと同類項だなんてなおさら納得いきませんわ!」
「なんでか! さっきから僕の黒歴史の暴露大会になってるし!」
言い合う双子の前で、クリスリデルが頭を抱えて絶叫した。
「リエ姉さまの主張が間違っていたせいで、私まで無礼者の汚名を被る羽目になったんですのよ? リエ姉さまには、謝罪するべきお方が、たくさんおられるのではなくて?」
泡を食っているクリスリデルを無視して、シャンデリカのショートブーツがシャンテリエの後頭部の上でぐりっと捻じられた。
「あーーっ! あーーっ! ごべんなざいー! クリスリデル・黄朽葉・ランセットさんー! レティシエル・ペリエ・コマチアイトさんー! あと、ミーアメリィ・洗朱・プレーリィさんー! 大変失礼なこと言いましたー! 申し訳ありまぜんでじだーー!」
「アタシは面白かったけど」
「あら。もう一人忘れてないかしら?」
「いひぃーー! リカ姉さま! ごごごごめんなざああい!」
一方を笑顔で足蹴にしている双子の凄惨な絵ヅラを誰も止める素振りもない中、オリオットの巨体の陰からヘイゼルがにょきりと顔だけを覗かせた。
「……あのー。そろそろ俺様ドン引きなんで、ここは全員手放しジェットコースターの刑に処してそれで手打ちにしませんかー?」
おずおずとそう呼びかけたヘイゼルに、ミーアメリィがへらへらと頷いた。
「いーんじゃないの? お互いにこんだけ無様を晒したらもう遠慮はいらないでしょ」
「プレーリィお前なに狙ってましたみてえなこと言ってんだよ! ぜってぇ完全放置の構えだったじゃねえか! ……おめえもだオリオット!」
言ってヘイゼルがオリオットの脇腹を殴るが、オリオットはケほども効いた様子もなく見下ろしてきた。
「双子ちゃんの片方が絶対に止めるっておまえ分かってただろ!」
「……」
言われたオリオットは、親指でシャンデリカを示してから、両掌を上に向けて肩をすくめた。
「ばっかやろおまえクリスまじギレさせるとかレティちゃんの災害の次に大惨事確定なんだぞ! 今度からもちっと早めにフォロー入れろよ!」
「はいはーいわかりましたー」
心底焦燥にまみれたヘイゼルの苦情にも採り合わずミーアメリィは適当な様子で手を振って離れると、未だに片方を踏み潰している双子の元へ近付いていった。
「ほら。クリスももういいって言ってるから離してあげなよ」
「いや僕はまだ謝罪を受け容れたつもりは」
「ねえリカって呼んでいい?」
「ええ。私たちのアンセスネームは、二人一緒にいる時は使えませんから」
クリスリデルの抗議を無視してシャンデリカに足元を解放するように促すと、ミーアメリィはシャンテリエの震える手を引いて助け起こした。
「じゃあこっちはリエって呼んでいいよね?」
「ええ……なんでしたらネズミとか紙コップと呼んでくださっても……」
「……この子、ちゃんと元に戻るよね……?」
「ええ。たいして経たずにケロッとした顔に戻りますわ」
未だに青い顔で眼球を不安定に痙攣させているシャンテリエの様子に、ミーアメリィは思わず後退った。
「まあいいや。 そしたら、クリスの抱えてる障害と、種明かしを教えたげる。アルドールくんもおいでよ」
「おい! ミーア!」
またもクリスリデルの怒声が飛んでくるが、ミーアメリィは後ろも見ずにひらひらと手を振ってあしらった。
どうせ今のクリスリデルでは話が進まないし、まともに説明もできやしない。こういう時に代わって立つのが自分の役目だ。と、ミーアメリィは思っている。
昔からずっと。
「クリスのジャンパー症ってのは、簡単に言うと、自分から半径三メートルが全部同じ一か所に感じる感覚なんだって。例えばこのハンカチ」
ミーアメリィは、取り出して広げたハンカチーフを、くしゃっと丸めて握り込み、近寄ってきたオリオットと双子の前に突き出した。
「こんだけの広さがあっても、クリスにとっては手のひらの内ってことなの。 ただし、それで範囲の中の物体が混ざり合うわけじゃない。クリスの感覚では、範囲内にあるものは全部が同じ場所にあって、ひとつずつ識別できてるんだ。 だからクリスの目の前でいくらカップを並べ替えても意味がないから、どれにコインが入っているかなんて間違えようがないし、カピヤヴァどころか野良猫も全部見分けるよ」
「ああ。だから、私たちの事も間違えようがない、と」
「でもね、もし明日どっちか片方だけが来たら、僕にも見分けは付かないと思うよ」
いつの間にか近寄ってきていたクリスリデルが注釈を付け加えた。
そのクリスリデルを、ミーアメリィのニヤケ面がゆるりと振り向いた。
「……なんだよ。ってかさっきから何ニヤニヤしてんのさ」
「いやあ? そう言えば、クリスもリカとリエにひとこと謝っといたほうがいいんじゃない?」
「なんでだよ」
クリスリデルが渋面で言い返すが、ミーアメリィには分かっている。その声は、クリスリデルも半分は理解している声音だ。
だからミーアメリィはたっぷり意味ありげに言った。
「生 ま れ つ い て の しょ う が な い 事 で 名 前 も 正 し く 呼 ん で も ら え な い か も し れ な い ん だ し ね え?」
「っ!」
クリスリデルが息を飲んだ。
ようやく理解したのだろう。シャンテリエが初対面で険悪に突っかかってきた理由を。
だからと言って喧嘩を売っていい理由にはならないが、「どうせ正しく理解されない」という諦観と憤りは、クリスリデルも嫌と言うほど味わってきた。
同じだったのだ。クリスリデルも、シャンテリエも。もしかしたら、シャンデリカも。
「……ああ。悪かった。さっきのは軽率な発言だった」
両手を挙げて降参の体勢を取る。
「二人が一緒にいるうちは絶対に間違えないけど、それぞれが単独の時でも見分けられるように努力する。それまで仲良くしてもらえるとありがたい」
「ーーッ!」
「はい。よろしくお願いしますね」
息を詰まらせて泣き出したシャンテリエの肩を抱いて、シャンデリカが応えた。
「──ってところでクリスに質問なんだけどさあ?」
「なんだよこの一件落着ムードにまだ何か文句があんのか?」
いい加減うんざりした感じでクリスリデルが呻くが、ミーアメリィは構わずに。
シャンデリカとシャンテリエを交互に指さして。
「二人のこと、なんて呼ぶ?」
「ッッ!」
今度こそ強大な衝撃を感じ、眩暈に大きくふらついた。
クリスリデルはようやくミーアメリィの嫌な笑顔の理由とその目的に気が付いた。
(こいつ……! これでハメる為に今日呼び出したんじゃないだろうな?)
だとするならば、ヘイゼルもグルか。
いや、今は追及しているヒマはない。
たった今、呼びかけに躊躇しないと約束したばかりなのだ。
「…………シャンデリカさん、と、シャンテリエさん……」
「はい!」
「はい」
苦悶の呼びかけにも関わらず、シャンテリエもシャンデリカも淀みなく返事をしてくれた。
それはそうだろう。きっと二人は事の真相をまだ知らない。
「はい良くできました! そうだよねー。ファミリーネームは論外だし、アンセスネームも同じだったら、ファーストネームで呼ぶしかないよねー」
白々しい。
クリスリデルを睨め上げるミーアメリィの笑顔が、伝承に謳われる悪魔のように見えた。
「なんだったら「リカ」とか「リエ」とかって呼んであげればー?」
「いくらなんでも、まだそこまで気安くはできないよ」
「ふふーん。まあそういうことにしとこうか。 じゃあさ。だったら── レ ティ の 事 は 「レ ティ」 と か 「レ ティ シ エ ル」っ て 呼 べ る よ ね?」
「~~~~ッッ!」
やはりこれが狙いだったか。
最悪の詰みの予感に思わず唇を噛み締める。
……無理。絶対ムリだ。
もしも今ここが断崖の上で、レティシエルに崖っぷちまで追い詰められてファーストネームを呼ぶ事を要求されたら今なら迷わず崖から身を投げる。
嫌っているわけでも憎んでいるわけでもないし、ましてや深刻な障害者として蔑視するつもりもさらさらない。
ただ自分の手に負いきれないと思っているし、手に負えない以上、お互いの為に一定以上慣れ合いたくないのだ。
そう言えば、出会ってからこの数日、怒涛の急展開と疲労のせいで、その辺りをきちんと説明している暇がなかったなと今さらながら思い至った。
「あのさ、僕は」
「ねえ! レティ! …………って、あれ?」
ところが、それを説明しようと口を開いたと同時にミーアメリィがレティシエルを呼びかけて、怪訝に辺りを見回した。
「あれ? あの娘ったらどこ行ったのかしら」
「え? あれ?」
ヘイゼルも周囲を見回す。
ここ数分ほど影の薄かった緑髪の矮躯を探してしばしその場の全員で辺りを見回していると、いきなり全員の背後を巨大な赤い波動が凄まじい轟音と衝撃を撒き散らしながら吹き抜けていった。
「いっ?」
「やっば!」
クリスリデルが、ミーアメリィがその意味に気付き赤き光条の行方を追って振り返る。
同時にオリオットが一方を指さした。
レティシエルの姿は、いつの間にかアミューズパークの入り口受け付けカウンターにあり、案内板を見上げていたその足下に赤の光条が激突したところだった。
「へっ?」
炸裂した爆音とレティシエルの怪訝な声が聞こえたと同時に、どこからともなく巨大な──それこそビルでもすっぽり覆えそうなほど巨大なオペラカーテンが舞い降りて、一同とその先の光景を遮った。
ちょうどその直下にいた家族連れや通行人たちが慌てて幕下から退避してゆく。
「うわー! なんだこれ!」
仰天し絶叫するヘイゼルの声を遮って、舞台の開幕を告げる重厚な鐘の音が幾重にも幾重にも鳴り響く。
それにつれ、古くさいキネマトグラフのカウントダウンが二重映しに現れて、かたかたとその数字を減じてゆく。
やがて表示された「3」の数字が消えてからは暗転して約二秒。
巨大なオペラカーテンが、厳かに左右に割れ広がりどこへともなく消えていった。
「おめでとうございまーす! 当アミューズパーク開園以来、十万人目の来場者は、あなたですー!」
「わあー!」
「さあどうぞお入りください! 我々パークのクルー一同、最高の記念となる夢と希望溢れるおもてなしを御用意致しておりますー!」
からんからんとベルを振った仮面の係員の手振りに従って、わらわらと現れた多数のキャラクターの着ぐるみの群れがレティシエルを取り囲むや否や一斉に彼女を担ぎ上げ、紙吹雪とファンファーレを盛大に撒き散らしながら園内の奥へと連れ去っていってしまった。
「……なにあれ」
「って言うか、さっきの幕はどこから……?」
一同が呆然として(ヘイゼルは上空を見回して)いると、入場口での騒ぎが収まったところで、先ほどレティシエルが立っていた地点から再び赤い閃光が空高く噴き上がった。
噴き出した赤い光芒は、左右に分かれて吹き飛ぶと、赤い水柱を蹴りたてながら地上を疾走してこのアミューズパークの敷地をそれぞれが半周してゆき、ちょうど反対側で激突するとパーク全体を赤い輝きで覆い尽くしてしまった。
円筒状に天高く噴き上がった輝きの壁はやがて半球状に密集すると、半透明のドームを形成してその色を暗くしてゆく。
その様子にアミューズパークの周辺は、訪れた来場者たちや右往左往する通行人の阿鼻叫喚に包まれた。
「おいおいなんだよ何事だよこれ!」
無人の受け付けカウンター付近を見ると、入り口両脇の巨大な鉄格子の門が勝手にゆっくりと閉じていこうとしている。
「おい! なんかやべえぞ! レティちゃん、中に閉じ込められちまうんじゃねえか!」
「……いつもの彼女の災害なんじゃじゃないの?」
ヘイゼルの焦燥にも寄らず、呑気な顔でそう言ったクリスリデルの尻をミーアメリィが思い切り蹴り上げた。
「馬鹿! こんな凝りまくった大規模な魔法なんかアタシも初めて見たよ! 絶対にいつもとなんか違う! 追うよ! なんかヤバい!」
駆け出したミーアメリィが、未だ反応薄く棒立ちしているクリスリデルに気付くと駆け戻ってきて向こう脛を蹴りつけてからクリスリデルの腕を掴んで再び走り出した。
続いてヘイゼルが、オリオットとライブラリア姉妹も走り出す。
なぜか係員の姿が消失した入場口の前で、重厚で荘厳な装飾のゲートが今にも閉じきろうとしている。
「クリス! せめてあんただけでも!」
「~っ、いいけどさ!」
ようやく歩速を上げたクリスリデルが足での移動をやめて"跳躍"に切り替え一足先にゲートの向こうへ飛び込んだ。
ミーアメリィも続こうとしたが、口を狭めた鉄の門はもはや、片腕しか通りそうにない。
いま無理に飛び込んでも大怪我をするだろう。
「……!」
そこに、一足跳びで飛び込んだオリオットがその隙間につま先を突っ込み鉄格子を両手で掴むと、門の閉じる動きが止まった。
「……ぬううう!」
歯を食いしばって力を籠めるにつれてやがて、その剛腕がゲートの狭間をこじ開け始めた。
「アルドールくん凄い!」
「よくやったオリオット!」
喝采を叫びながらミーアメリィが、ヘイゼルが、双子姉妹がその隙間に転がり込むと、オリオットも身を捩って園内に飛び込んだ。
がしゃあんと鉄扉が口を閉ざし、赤黒いドームに包まれたアミューズパークは不気味な沈黙に身を潜めた。




