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雨が降ると冷えるわけだが、どうにも雪は降らない。少し北に車を走らせると、そこでは雪が降っているのだが、帰宅すると降っていない。少量の雪は鑑賞するによいが、吹雪にもなると寒いを通り越してうざったい。そんな筆者は今日も天狗の羽をもぐために近所の神社に向かう。北に車を走らせている途中、鳥居があった。立派な鳥居であるが、すぐ後ろに小学校だか幼稚園だか保育園だかわからないが、教育施設があった。笑ってしまった。というかあの鳥居はなんだったのだろうか。連れがいたため調査は不可能であったが、今度通ったときはきちんと確認しようと思いました。あれ、作文?
雨天である。
音もなく、細い糸が上から下へ、落ちていく。
冬である。
虫の声もなく、静かである。
子の刻であるため、街に人の姿もない。
そんな中、街灯の下を歩く影があった。
ナキである。
彼は夜の散歩を満喫していた。
騒がしい街は敬遠するほどではないが、好きにもなれない。
夜の、特に冬の静けさというのは、非常に心地よい。
無論寒いが、雪が降ることは稀な地域である。凍えるほどではない。
以前にも述べたかもしれないが、ナキは順応性に特化しているらしい。
見るモノすべて新しく、車を見た時には硬直してしまった。
だが、それも一度だけである。
すぐに慣れた。
それからというものの、ナキの夜の一人散歩は日課となっていた。
仲間から話に聞くより、よほど面白いモノが溢れている。
ある日はコンビニで立ち読みをし、またある日は狐の社で妖孤をからかった。
山中で羽を広げ、飛ぶ練習をする日もあれば、放置された竹林の中で歌を歌う日もあった。
一度、車の前に飛び出したことがある。
運転手に怒鳴られ、一目散に逃走。
帰宅後、その件は華子に話すと、叱られてしまった。
一番驚いたのは、遠出をした時であった。
華子の家の近所の閑散とした雰囲気は、その場所には無かった。
そこら中明るく、賑やかであった。
こんばんは、と挨拶をされ、驚きのあまり咄嗟に返してしまった記憶がある。
嫌な予感がしたため、その時も逃走した。
今日は、狐の社に行く予定である。
以前に、妖孤をからかいに行った社であり、華子と初めて会った社である。
あの時の華子の阿呆っぽそうな顔は、忘れるに忘れられない。
今のこの郷の人間は、みんなこんな顔をしているのかと思えば、そういうわけでもなかった。
たまに記憶の中から華子の顔が出てくると、笑ってしまう。
「ほう。ぬし、その娘に興味があるのか」
ゆったりとした口調で、妖孤は問う。
妖孤とナキは、妖孤の祠の前にある段差に座り、語っていた。
月光が照らす社は、夏よりも暗いが、それでも良く見える。
ナキは自分の羽の手入れをしながら、返事をした。
「どういう意味だ」
「ぬし、それは我が問いたい所だ。その返事はどういうことだ」
「お前、おれがアレに懸想してるとでも?」
「違うのか」
「違うわ! どうしてそうなるんだ」
「口を開けば、娘の話。我も驚いていたのだ。ぬしがヒトに興味を持つとは」
妖孤の言葉に、ナキは記憶を辿る。
華子に会ってから、妖孤の元を訪れたのは二回目である。
それ以前、四百年の引き籠り生活が始まる前は、十年に一度顔を出す程度であった。
一回目は華子に会ったという報告と、妖孤の家が朽ちていることを指摘して終わった。
今回は、妖孤に会った早々、華子の話を始めた。
なるほど、妖孤には華子の話ばかりしている。
「いや、だからと言って、おれがアレのことに興味があるとは限らんだろう」
「そうよな。なに、気にするな。我が勝手に判断したまで」
妖孤は、細い目を更に薄くした。
「ぬし、以前に言うていた、小童はどうした」
「小童ぁ? ああ。言っただろう。里が無くなってた」
「そうか。まこと残念よのう」
妖孤は惜し気に言うが、ナキは無視をした。
お神酒を呑む。
妖孤のお神酒であるが、本人の許可が下ったため、問題はない。
それにしても、四百年前より味が良くなっている。
これが、華子の言う「科学技術が進歩した」証拠か。
「小童はぬしに求婚したのだろう」
妖孤のからかい口調に、ナキはお神酒を吹いた。
顔が濡れた。
べたつく顔を、服の袖で拭う。
「それも言ったっけっか」
「聞いたぞ。忘れたのか」
実は女だった童子の話は、華子の話をした後にした気がする。
その時もお神酒を頂いていたため、正直うろ覚えだ。
里が無くなっていたことを言わず、童子に求婚されたことを語ったらしい。
恥ずかしい。
恥じる必要はないが、気持ちの問題である。
「ちぇ。からかいに来たのに、からかわれた」
「そう拗ねるな。神酒はいくらでもあるぞ。どんどん呑め」
前回のことがあるため、気が引けた。
しかし、華子宅にいる間は酒が飲めないため、その分誘惑される。
ナキは自他共に認める酒豪である。
引き籠っていた間は、神社に供えられたお神酒を呑んでいた。
今思えば、誰があんな辺鄙な地にお神酒を供えに来ていたのか、不思議である。
「ヒトとはまこと、不思議なものよ」
妖孤は、自分の尾を撫でながら、しみじみと語る。
ナキは黙したまま、酒を口に含んだ。
「我らの姿も見えぬというのに、こうして供え、拝み、社の手入れをしてくれる」
「ああ」
「ぬしを変えたのもヒトの子ぞ」
「あ?」
ナキは妖孤に眼を飛ばす。
妖孤は袖で口元を隠し、笑む。
もっとからかっても良いが、と幻聴が聞こえる。
ナキは妖孤から目を逸らした。
「さて、月もかたぶいた。お開きとしよう」
妖孤はナキから神酒を没収する。
ナキは渋々腰を上げる。
「また邪魔する」
「おう。呑みに来い。我にはこの酒、呑み切れぬ」