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筆者は今日も地をかけてる。牛丼が食べたい盛りではあるが、松竹梅のどれが一番小さいサイズなのかよくわからず、とりあえず一番安いの選んだらいいことに気付いた。天狗の背中から黒い羽を生やしたすがたは、まるで烏が人になろうとして失敗したかのようである。無駄にイケメンである。イケメンとかリア充とか、見ていると苛々してくるからさっさと爆発してしまえばいいのに。クリスマス中止のお知らせはまだ彼らの元には届かない。「気の毒に。堕天した時に声を失ったんだな」。
引き籠り生活約四百年。
情報は表の動物から仕入れていたが、予想外の景色に、ナキは絶句した。
いつかに人の子を送った里は、枯れている。
山の、里跡と反対側の平地を見ると、四角い建物が多く並んでいた。
空気が汚い。
空腹に腹を抱えつつ、取り敢えず世の中を見に行くことにする。
空を飛ぼうと、背の翼を広げる。
抜け毛ならぬ抜け羽が酷い。
飛べるだろうか。
ナキは少々不安になりながら、羽を動かした。
身体が浮いた。とりあえず安心するが、正直羽があってもなくても飛べるのは内緒だ。
そのまま、街の上空へ移動。
それにしても、カラフルな世の中になったものだ。
読めない文字がかかれた看板には、気持ち悪いくらい肌の白い女の姿がある。
「うわ、マジキチ」
ナキは、街中に降りようと試みた。
しかし、どうも降下の仕方が分からない。
制御不能になり、そのまま墜落。
運よく、墜落先は人気のない神社であったため、休憩をすることにした。
「それで、ここにいると」
「そういうこと」
「現実味が無いにもほどがあるな」
華子は缶コーヒーを飲む。
ひょっとこの仮面を外した男、ならぬ、天狗は、予想以上に綺麗で端整な顔立ちをしていた。
顔のパーツが見事なバランスをとって並んでいる。
華子は顔を合わせるのが辛く、鳥居を見つめている。
天狗の名前はナキというらしい。
ナキは自分の過去の話を大雑把にした。
それ以前に、天狗とは何なのかについて教えて欲しい。
「もっとかっこいい登場をしたかったよ」
「へえ」
具体的にはどのようだろうか。
空中で10回転して華麗な着地。
派手なステージで歌って踊って。それも、下から上がってくるステージ。
「あの時の人の子には、ちょっとかっこいい言葉で喋って、天狗のイメージアップに成功したんだ」
本当に成功していたのだろうか。
かっこいい言葉で喋ったところで、イメージが良くなるとは限らないのではないか。
そんな疑問は喉の奥にしまう。
「華子さん。お願いがある」
ナキは顔の前で両掌を合わせる。
勢いよく合わされたため、音が鳴った。
「食物を恵んでほしい」
華子の財布の中には500円玉が一枚、夕飯の材料代にあるだけである。
ナキに奢るのであれば、自分は夕食抜きの覚悟をしなければならない。
どうしたものか。
華子が財布とお腹の中と相談をしていると、ナキが口を開いた。
「丑年生まれの牛を一頭くれたら十分なんだ」
「殴るぞ」
「何故!?」
天狗というのは肉食なのか。丑年生まれ限定なのか。
華子が、思わぬ事態に思考を巡らせていると、この天狗は信じられない一言を放った。
「そうか、お前馬鹿か」
「失礼な。何を根拠に」
「常識だろ。餓鬼に出会ったら自分の干支と同じ午を捧げる。常識だよ」
「常識だ」。二回もいい、強調してきた。
華子は少々苛立った。そして、ある疑問が浮かぶ。
「なんで私の干支を」
「そういうのは、わかる子なのよ。本当に知らない見たいだね。外見からすでに阿呆そうだしな」
「ほっとけ」
華子は深くため息を吐いた。
なぜ神社に来てしまったのだろうか。
後悔はそこから始まる。
日課だったから。言えば、悪いのは華子ではない。ナキにある。
苛々していると、ふと、天狗の言葉が脳内で再生された。
「外見からすでに阿呆そう」。
初めての意見である。
華子はその一言に、ひどく感動した。
牛一頭は不可能だが、牛丼一杯なら奢れる気がしてきた。
「牛丼でもええ?」
「牛丼? まぁいいや」
初めて聞く料理名に、ナキは首を傾げた。
天狗はその辺りに蔓延る餓鬼とは桁が違う。天狗というのは誇り高く、心が広い。
と、自分で自分に幻想を抱いてみる。
正直、食べられたらなんでもよいのである。
ナキは、財布の中身を確認する華子を凝視した。
次にどのような行動を起こすのか。
見ていると、華子の手が止まった。
「どうした」
この天狗の姿、他の人には見えるのだろうか。
今更であるが、大事な問いである。
もし華子にしか見えないのであれば、外食はまずい。
見えていても、羽や服装が目立ってしまい、よろしくない。
訊くべきか。
また馬鹿にされるのがオチなのだろうが、本人に尋ねることしか彼女の疑問を解消する術はない。
「天狗って、他の人にも見えるん」
「さあ」
適当な返事である。
興味もなさそうである。
「よし、わかった。今から牛丼買ってくるから、ここで待っとって」
一番無難な選択である。
持ち帰りができる牛丼を買えばよいのだ。
人目も気にせずに済む。
ナキに提案をした華子は、彼の返事を待たぬまま、財布を鞄にしまった。
「それは困るよ。お前が戻ってこなかったらどうするんだ。空腹のあまり、おれは自分の山に帰ることもできないんだよ」
「背中から羽を生やした野郎と一緒に買い物なんかしたくない」
華子が言うと、ナキは「ああ」と何か納得したような声を出した。
ナキは両掌を勢いよく合わせた。音が響いた。
先ほど両掌を合わせたときとは違う音である。
音がした、というより、響いたという表現が適切である。
ナキの背にあった翼が、みるみる透けてゆく。
初めて見る光景で、気味の悪い光景であった。
完全に見えなくなった羽。
翼が生えはじめはどのようになっているのかと、ナキの背中を見た。
「服に穴が空いてない」
無意識に呟いた。
そもそも、羽が見えていたとき、ナキの服はどのようになっていたのだろうか。
いったいどのような仕組みなのか。
夢でも見ているのではないか。
華子は右頬を抓った。痛い。確認してすぐに離しても、まだ痛みがあった。
「ね、大丈夫でしょ」