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現代日本に帰ってきた。時は2011年12月。冬至も近づくある日のことである。ある女子中学生を見つけた筆者は、彼女を追尾せざるを得なかった。眼鏡をかけ、髪を二つ括りにした美少女であったからだ。これは追尾せざるを得ない。セーラー服が良く似合ってらっしゃる。いい匂いがしそうであるが、近づく勇気は無い。すると、まさかの目標確認。筆者が追っている例の天狗の登場である。美少女戦士の前に黒いタキシードを着たイケメンが、などという展開ではない。寧ろ、筆者としては悪役がやってきた気分である。「ろっとぉ、驚かせてしまったな」「これは何だ」「それは昨日言っただろう」。
華子は咄嗟に耳を塞いだ。
突然の爆音である。
同時に、空中で何かが爆ぜた後があった。
青い光の線が、重力に引かれるように地へ向かっている。
「うわ…花火かな」
華子は訝し気にその空を見ていた。
周りの人も華子と同じ方角を見ている。
自分だけが見た、錯覚というわけではないようだ。
新聞の夕刊を見れば正体はわかるだろう。
それでなくても、インターネットを使えば、あれが何であるか分かる。
便利な世の中になったものだ。
津久井華子。中学生である。地元の公立中学に通う、帰宅部の少女だ。
容姿のせいか、「頭が良さそう」だと言われることが多い。
実際は、通知簿が家にやってくるたびに、親が冷や汗をかくほどの成績である。
第一印象が「頭が良さそう」であれば、得をすると言えばする。
たとえば、試験の面接などがそうだろう。
ただ、長く付き合うだろう相手に「頭が良さそう」などと言われた日には、華子は困ってしまう。
相手の期待を裏切る真似などしたくない。
とはいえ、勉強なんてやってられない。
少し、不良っぽく装ってみようか、などと考えた。
それは親の期待を裏切ることになる。
華子は溜息を吐いた。
放課後である。
帰宅したところで、華子がすることは、自分の夕飯作り。
洗濯物も取り込まなければならない。
その前に夕飯の材料は家にあっただろうか。
華子は「家に帰りたくない」の一心で神社に足を向けた。
中学生になってから、学校のある日はいつも通っている。
どうせ、帰ったところで両親はいないのだ。
両親は各々別の地へ単身赴任中だ。
と言えば、華子の両親に非難の声が行きそうである。
彼女の両親は悪くない。
なぜなら、彼女の両親は別に単身赴任をしているわけではないのである。
華子の両親は自宅から職場へ通勤している。
二人とも朝早く出かけ、夜遅くに帰宅するため、自分の身の回りのことは自分でしなければならない。
物に不自由をしないところは、一人暮らしと異なる点だろう。
そんな前振りの話はどうでもよい。
華子は神社のお宮の前にある階段に座った。
缶コーヒーのタブを立て、元に戻す。
そして、口に運ぶ。
二、三口飲み「あ゛ぁ゛ー」とかオジサンのような声を出す。
これが彼女の日課である。
恋する年頃になれば、オジサンのような声を出すことはなくなるだろう。
だが、しばらくこの日課は続く。
両親が仕事を辞めることはきっとないし、引っ越す予定もないのだから。
「暇だー」
華子は缶コーヒーを脇に置き、階段に座ったまま背伸びをした。
両腕を上げ、思い切り伸びる。勢いで目を瞑る。
気持ちがいい。
一日の癒しタイムである。
瞑っていた目を、徐に開く。
「うわああああ!!」
華子は声を上げて階段から離れた。そんな。
立ち上がれ切れてない体勢のまま、気合で移動したため、勢いで尻もちをついた。まさか。
見間違えかと、目を擦るが、それは、そこにいる。
「は、羽」
声が裏返っている。
そんなことを気にしている場合ではない。
目の前には、ひょっとこの仮面を着けた人がいた。
その背には羽がある。黒い、鳥の羽のようだ。
「そう逃げないでくれよ」
目を開けると、眼前にひょっとこの仮面。驚かざるを得ない。逃げざるを得ない。
まじまじと、ひょっとこを見る。全身を見る。
ひょっとこの仮面を着用しているという点と背中の黒い羽以外、異常な個所はない。
いや、十分異常か。
それらを除けば、自分の父親に似た、細身の成人男性。といった感じの印象である。
「恥ずかしいから、あまり見ないで」
なんだ、こいつは。
声の低さから、男性だと窺えるのだが、なんだろうこの気持ち。
「きもい」
そうだ。気持ちが悪い。「きもい」と略したニュアンスの方が近い。
声に出して分かる、自分の気持ち。
「酷い」
ひょっとこは、両手で拳を作り、合わせた。それを自分の顎のあたりに寄せる。
わぁ、気持ち悪い。
「いやぁ、久々に空飛んでたら、制御利かなくなっちゃって」
ひょっとこは後頭部を掻く真似をする。
華子に近づき、左手を出してきた。華子は思わず、自分の左手でその手を持った。
強い力で引っ張られ、立ち上がる。
大きい。華子の感想である。
ひょっとこは仮面を着けているため、どんな顔をしているのか分からない。
「空、飛んでたって」
華子は訊ねた。気になる単語である。
飛行機が墜落したのだろうか。それでこの雰囲気。ありえない。
別の可能性を考える。
先程の爆音を思い出す。
いや、違うだろう。
考えを巡らせる。
それに終止符を打ったのは、ひょっとこからの告白であった。
「おれ天狗なんだけどね。しばらく引き籠ってて、空の飛び方忘れちゃったの」
ひょっとこはおどけてみせる。
仮面に右手を掛け、左手で耳に掛けていたゴムを外す。
まさかの「おれ天狗」発言に呆然とする華子。
さらに露わになった天狗の素顔に、華子は声が出なかった。