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パルスのファルスのルシがパージでコクーンなのでもう一周してきます。



 梅の枝に蕾が生じる季節。

 しかし蕾はまだまだ小さい。

 あと半月か、ひと月か、あるいはふた月後が見頃だろうか。

 春の気配に浮き足立つ。

 気の早い梅はすでに花を開かせ始めているが、それを春の到来と呼ぶのはそれこそ気が早い。


「これが、サルスベリ」


 華子の目の前には百日紅の木がある。

 変哲のない、冬の百日紅である。

 華子の隣には、マフラーに手袋、ダウンジャケットを羽織りレッグウォーマーまでつけた、傍から見ればただの現代人なナキの姿。

 それらの服はいったいどうしたのかとリアルな質問は無粋である。


 華子とナキは、山中にある寺に来ている。

 その寺の門をくぐり、本堂につながる石畳を進むと、右手に問題の百日紅がいる。

 なぜこの季節に百日紅なのか。

 それはあの狐の一言から始まった。






「猿も滑る木をご存じか」

「猿も滑る木?」

「猿も滑る木よ」

「それがどうした」

「知らぬのか」

「私が知っているかどうかはこの際問題ではないと思う」


 華子の返答に、くつくつと狐は笑う。

 華子がいつものように境内で缶コーヒーを飲んでいると、妖狐が寄ってきた。

 前触れもなくそのような会話になったので、華子はすっかり拗ねてしまった。


「いやいや、すまなんだ。茶化すつもりではない」

「茶化すつもりやったんか」


 華子の言葉に狐は口を窄める。しかし口元は布で隠れているため、華子にはわからない。

 目元に変化はない。表情が読み取れない。

 狐は口を閉ざしたまま何も発しないため、しびれを切らせた華子が先に口を開いた。


「それで、その猿も滑る木がどうしたって」

「ああ。その木、百日紅と申すが、ある寺に猿紅えんこうという名で知られる百日紅がある」

「すごい名前だな」


 華子は呟きながら、コーヒーを飲む。


「名の音の通り、猿猴えんこうが憑いておる」

「ほう、援交えんこうが……」


 どういうことだ。華子は疑問に思っても口にしない。

 興味のある素振りをしては負けだと思っている。

 しかしそれが何の勝負であるか、華子自身もわかっていない。


「何百年も憑いていた猿だが、ここにきて問題が生じたと風の噂で聞き及んだ。猿猴といえば男の尻から肝を取り出し、女を孕ませる妖怪として知られる。そのようなところへまさか人間を使わせようとは思わなんだ」

「生々しいぞ」


 華子のツッコミを完全に無視して、妖狐は続ける。


「この噂、他人事ではなく、ある人物に関わることで、放ってはおけない。しかし我もここを離れられぬ。旧友であるアレに頼もうにも、最近は表に顔を出さず、また引きこもっているようだ」

「ナキならうちの炬燵で母と昼ドラ見てるけど」

「よほど今の時代が心地よいのだろう。以前は起きてもすぐに社に戻りよったからな」


 妖狐は愛おしいものを見るように目を細める。

 旧友を大事に思う故か、ただ茶化す相手がいることを嬉しく思っているのかは定かではないが、後者であれば安心の妖怪狐クオリティである。

 華子は妖狐を気味の悪いものを見る目で見る。

 しかし妖狐は何事もなかったかのように華子を見やり、真顔でつけ加えた。


「なにより、ヒトの傍にいることを選択したのは、ぬしの影響よな」

「は?」

「ヒトはヒト同士、そして我ら、接するものすべてに影響を与えるモノ。言葉を与えずも、あるいはいかなる言葉も、行動も、互いに影響を与えておる。あの天狗もまた、ぬしの言動に影響されたのだろう」


 華子が反論しようと口を開くが、狐は間髪入れずに話を本筋に戻す。

 華子の言葉は行き場をなくし、おとなしく口を閉ざした。


「猿紅の猿猴は寺の住職によく懐いていたため、書物に残るようないたずらも、あるいは生きるための食事でさえ制限していると聞く。なればぬしがアレを連れて尋ねたところで、害を受けることはなかろうが」

「懐いていた? が?」

「うむ。察しの通り、その住職というのが先月に」

「それからその猿が人を襲うようになったとか?」

「それではぬしを行かせるわけにはゆかぬ。我もあくまでヒトのために在るモノ故」


 ならなんだ。猿の元気がないとでもいうのか。

 突っ込んだら負けである。華子は黙って話を最後まで聞こうと堪える。


「どうやら猿猴の姿が見えず、別なる生き物が住み着いているらしい」


 妖狐は一間置き、「それが、河童だとか」と声をひそませ舌打ちする。

 コーヒーを飲んでいた華子はむせてしまった。

 言い方が癪に障る。

 咳が止まらず、文句を言おうに言葉が出ない。

 それを知ってか知らずか、華子が落ち着くのも待たず、続ける。


「河童とはヒトのような形をしており、頭に皿があり、口は短い嘴、身体はぬめり、手足には水かきがあり、背には甲羅を背負ったものだと想像される。両腕は体内でつながっており、片方を引っ張ると片方が縮み、挙句抜けてしまうとか」

「ギャグか」

「水神ともいわれる河童だが……河童にはおうたことは」

「無い。以前にナキが会わせたいとか言ってた気もする」

「ほう、それは興味深い。ならば、なおのこと、ぬしらが適任だろうて」

「それが知り合いの河童かは知らんぞ」

「されど、河童の知り合いがおるのだろう」

「らしいね。そもそも適任ってなんだ。様子を見に行けってか」

「うむ。ぬしの目に河童がいかに映るか、それこそ見物ぞ」

「悪趣味だな」

「さて、猿猴もおとなしい生き物ではない。河童が猿猴になるともいう。河童が何故猿紅に居ついたのかはわからぬが、水や井戸は豊富でも川の少ない山奥故、早急に元の住処に連れやれ。然らずは猿猴が河童を刺すやもな。それはそれで見物かな」

「……悪趣味だな」






 そして現在へ至る。


「それで人助け……というか妖怪助け? に手を貸そうと思った華子さんまじクール」

「テレビの見すぎじゃないのか。言葉使いがじじいらしくないぞ」

「じじいって言わないで!」


 華子は周囲を見回しながら適当に流す。

 百日紅は一本しかない。問題の猿紅はこの木で間違いないようだ。

 しかし、周囲には猿も河童も鳥さえもいない。


「狐に鼻でもつままれたか……」


 華子は呟く。

 冷たい風が吹く。

 救いといえば、一人ではないことくらいか。

 途中で蕎麦屋があったことを思い出した。

 先月のお年玉を持ってきておいてよかった。帰りに寄ろう。

 百日紅とも河童とも関係のない方向へ思考が逸れていく。


「たれそかれ」


 と、聞き覚えのない声がどこからか飛んできた。

 ナキも寒い寒いと背を丸め、首を縮めていたが、声を耳に入れた瞬間、鋭い目で声の主を探し出した。

 しゃがれた声は、か細いながらもはっきりと聞こえた。

 人間のものではないと、第六感が知らせる。


「水神さまか」


 ナキは呟く。

 応えるように雨がぽつりぽつりと降り始めた。

 先ほどまで快晴であったというのに、どこから雨雲が沸いたのか。

 華子は目を細め、空を仰ぐ。向こうの空は晴れているのに、山の上にだけ雨雲が居るようだ。


「住職がうんぬんと言ってたね。寺に話を聞こうか」


 ナキが華子を促す。

 華子はナキに視線を移し、マフラーに顔をうずめるように頷いた。

 ナキは寺の奥へと足を進めた。

 華子はもう一度百日紅を下から上の梢まで見やり、何も居ないことを確認してからナキの後を追った。








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