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睦月如月なんとか卯月。三月ってなんでしたっけ。そうそう、弥生でしたね。本日はひな祭り。たまにはタイムリーな話をお届け。華子の受験も終わり、卒業式も終わり、後は気ままな春休みを過すのみである。新年度が待ち遠しい限りだ。立派なひな人形は非常に高くつくが、最近は安くて可愛いものや、手軽なものが増えてきた。「♪もーいくつ寝るとーお正月ー」。……本日はひな祭り。
「今日はひな祭りだ」
「お、おう」
そんな会話をしたのは、当日の昼すぎであった。
もう少し早く言ってくれれば、ひな壇の一つや二つ用意したというのに、
いや、二つもいらないか。
言い出したのは華子の方であった。
珍しい話である。
彼女にも女の子らしい発想があったのだ。
ひな祭りの起源はナキにも分かりかねるが、存在自体は知っていた。
たしか平安時代に始まったと聞いた。
厄除けと健康祈願の祭りである。ひな人形は厄を被って、川に流される。
らしいが、そもそも、ここは畿内の貴族の習慣なんて情報としても入ってこないド田舎である。
いくら長生きをしている天狗とはいえ、なんでも知っていると思ったら大間違いである。
「桃の節句だな」
奇数のゾロ目は祓い日である。
一月、三月、五月、七月、九月はなにかしらイベントがある。
三月は桃の節句。ひな祭り。
元は上巳の節句と呼ばれていた。
旧暦で桃の花が咲く季節であったため、桃の節句と呼ばれるようになったらしい。
五月は端午の節句。子どもの日。菖蒲の節句とも言われる。
華子にちまきを注文された記憶がある。
華子に兄弟はいない。そのため、こいのぼりもない。
風に揺れて、ひらひらと空に泳ぐカラフルな鯉の姿は、遠目に見ても綺麗で憧れでったのだが。
少し残念である。
十一月に関しては、以前華子に「今日はポッ○ーアンドプリッツの日だ」とポ○キーを強要された覚えがある。
「今晩はちらしずしにハマグリのお吸い物でいいかな」
「ハマグリ嫌い」
「ハマグリに謝りなさい」
「お酒飲んでいいから」
「よし、永○園の松茸の味お吸い物だな」
炬燵もしまえない三月の初め。
華子は卒業式を終え、宿題の無い春休みを満喫している。
先日は最高気温が十二度にまで上がった。
春一番も吹き、梅の花も盛りである。
ただし、本日の最高気温は八度にまで下がってしまった。
外出が億劫であるが、夕飯の材料を調達しなければならない。
スプーンに乗せたカレーライスを、口に含む。
今日の昼食はレトルトカレーである。
甘辛いそれは、自分で野菜を切ってゆでてルーを入れたものより、おいしくない。
華子宅のカレーは具が大きい。
華子が大き目に切るため、ナキもそれに合わせるようになった。
なにより、さらさらしすぎているのが難である。
もう少し水気がない方が好みである。
味もレトルトだ。食べてレトルトと分かるレトルトである。
どうしてレトルトの味がどれも似たりよったりなのだろうか。
別に非難しているわけではない。
これはこれでいける。たまに食べたくなる味ではある。
そんな感想を胸に、ナキは午後の予定を練る。
「この後スーパー行こうかな」
「すっかり主フだな」
「はは、おかげさまで」
ナキは首を竦ませた。
華子の料理好きが伝染したらしい。
正直、半ニートな天狗としては、華子の腹を膨らませる以外に仕事がない。
たまに妖狐の社へ向かうが、なぜだか自分の祠に帰る気はしない。
ずっとそうも言っていられない事は承知しているが。
どうも「実家に帰らせていただきます」というタイミングが掴めないでいる。
帰ったところで誰もいない。
誰も自分が見えない。
山中の侘しい祠はいつ朽ち果てるか、それもそう遠くない話だろう。
人にも見えるように姿を現しているにも、住処がない。
人に見える姿で山にいれば、通報されかねない。
ナキの最近の悩みである。
しかし、華子はそんな悩みもつい知らず、「ホワイトデーにはクッキー焼いてね」などと言ってくる。
バレンタインデーなる日にチョコレート菓子を作ってやったのに……。
話の脱線は特技である。
思考を戻す。
「食器洗ったら出るね」
華子に言うと、彼女は間延びした返事をした。
「ごちそうさま」の挨拶を済ませ、空になった器を持ち、台所に消えた。
ナキも食べかけであったそれを、さっさと片付けることにする。
「ひな人形といえば、ひな壇だな」
華子がひな人形の話題を振ってきたのは、スーパーの帰り道であった。
エコバッグを片手に、ナキは適当に返事をした。
いまいちそのひな壇というのがよくわかっていない。
ショッピングセンターに行くと、一組の内裏雛が並んでいるのを見るが。
「華子さんの家はひな壇飾ったことあるの」
「お雛様とお内裏様のセットだけだな。うさぎが着物着た、ちゃっちなの」
正確には内裏雛は、男雛と女雛を合わせて指すらしいが。
「うさぎか。かわいいだろうね。今年は飾らないの」
「どこしまったんか忘れたわ」
買ってあげる、とは言えない。
養って貰っている身である。
食品を購入するにも、これは華子の両親のお金である。
ニートどころか最低なヒモじゃないかと、今更気づく。
葉っぱをお金に化けさせることはできるが、それは本物ではない。
大道芸でもやってみたらどうだろうか。
少しは儲けになりそうだが。
「何にしろ、ひな人形は高いから買うてられんけどな」
フルで揃えようと思えば大変費用がかさむ。
すでに高校に入学しようとしている女子のためにひな壇を買う余裕があれば、もう少し良い物が食べたい。
花より団子である。
使い方が違う気がするが、気にしてはいけない。
「ふーん」
ナキは曖昧な返事をした。
興味がないのか、あるが返答に困っているのか、明確ではない。
だが、これはちょっとした愚痴のような雑談である。
気に留めてもらわなくても構わないような話だ。
華子は「それより」と話を切りかえる。
「今日は父さんも母さんも早くに帰ってくるらしいんだ」
「本当に。よかった。一緒にちらしずし食べれるね」
「うん」
「おかえりなさい」
華子は玄関へ走った。
帰ってきたのは彼女の父親であった。
母はその三十分前に帰宅済みで、リビングで寛いでいる。
二人とも家を離れた単身赴任をしているわけではないが、あまり面を突き合わせて話す機会もない。
親というものはすごいもので、華子が親と話しているときの表情は、ナキには見せない。
ほほえましくもあり、羨ましい。
ナキがそんな顔をできる相手はいないし、そんな顔ができるとも思えない。
「ひな人形、ここに飾りますね」
ナキはそう言い、縮緬細工のひな人形を、リビングの棚の見えやすい位置に置いた。
二匹の蛇内裏である。
今年の干支である蛇。
それを考えると、昼間に華子が言っていたうさぎは、卯年に購入した内裏なのだろう。
一匹手のサイズのそれを、きちんと正面を向くように配置する。
「かわいい。どしたん、これ」
食いついたのは華子である。
そこで彼女の父親に食いつかれても反応に困る所であったが。
「華子さんのお母さんが買ってきてくれたみたいだね」
「ほんまに!」
華子は母親に向かって「ありがとう」と言った。
心底うれしそうである。
買ってあげられないのは少し辛いが、買わなくてよかった。