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本日は海の日である。筆者の記憶では、海の日は七月二十日であったはずだが、どういうことか。月曜に休みが増えることにより、夏休み手前になると、月曜の代用日が増える。月曜に月曜の授業、水曜に月曜の授業。筆者は月曜に木曜の準備をして出かける。オチなどない。
雨が降っている。
梅雨であるにも関わらず、この辺りは快晴であることが多い。
年間降水量も少ない方である。
原因は近くにそびえる山々のせいである。
せい、と言うべきか、おかげと言うべきか。
農家にはいい迷惑であるが、学生としては嬉しい。
雨の日はどうにもうだつが上がらない。
……いや、うだつの使い方がおかしい気がする。
さておき、どうもやる気が起きなくなる。
そして、今朝も例外ではない。
華子は湿気で重たくなった制服に身を包み、白の運動靴を履いた。
新品の白い運動靴は、どうにも目立つ。
光っているように見える。
昨日、あまりの大雨に靴が濡れてしまった。
ぐしょぐしょになった、と表現すれば、分かりやすいだろうか。
そろそろ変え時だな、と購入していた靴を、今朝おろした。
「いってきます」
「いってらっしゃい、華子さん」
割烹着の方が似合いそうだな。
エプロン姿のナキを見て、華子は思う。
青のビニル傘を差し、出かける。
傘は青いが、透けて向こう側が見える。
さほど鮮明ではないが、全く見えないほどでもない。
強いて言うなら、受験生の味方赤シートの青バージョンといったところか。
青い世界が華子の周りにある。
空は、当たり前であるが、曇天である。
太陽が遠い。
ヒガサの存在を思い出すが、今頃どうしているだろうか。
所詮は狸である。
車に轢かれて処理されているのではないか。
そう考えると居ても立ってもいられないが、とはいえ何もできない。
「心配なら探して来てあげようか」
ナキはそう言ってくれたが、それはそれで、心配事が増える。
元から、天狗だの狸だのに出会わなければ、なんともなかったのに。
華子は溜息を吐いた。
「どうしたん? 朝から溜息」
希衣が後ろから小走りで近づいてきた。
華子の隣に並ぶ。
挨拶を交わすと、希衣は再度華子に訊ねた。
「雨が降っている中、一時間目から英語の授業があると思うと、うちがわざわざ足動かしてまで学校に行く意味なんて、ほんと、無いんじゃないかなぁと思ってたら、溜息が」
「はは、ほんま華子は英語嫌いやんな」
「嫌いっていうか先生が苦手」
「あー、分かる分かる。あの妙に上から目線がなぁ」
希衣は笑って、華子に同調する。
「でも自分、全科目嫌いやろ」
「なぜバレた」
「バレたっていうか、自分でゆうてたやん」
そうだったか。
好きな料理も、先生が苦手で授業はあまり好きではない。
現代文も古典も数学も理科も社会も、先生が苦手で…。
そんな話を前にした気がする。
そうだった。
「もうテストやなぁ。いつからやったっけ」
「知らない。知らんぞ。うちは知らん」
「ああ、明日からや」
そうか。明日からか。
華子は内心溜息を吐く。
もうそんな時期か。
忘れたくても、時間は経過し、いずれ試験期間がやってくる。
どうしようもない、学生の運命か。
隣を歩く学年トップがここまで試験日を覚えていないのは、察しの通りである。
普段から勉強をしている者は、試験の有無など気にしないのである。
恐ろしいことだ。
しかし、中三の一学期末試験などたかがしれている。
一学期であるため範囲は狭い。
しかも新しい単元の初歩しかまだ学んでいないため、難易度が低い。
などと、とりあえず強がっておく。
仮にも受験生である。
高校受験なんて、と思うだろうか。
未来を知らない現役中学生には、今一番の問題なのだ。
それでも危機感は曖昧にしか持てないのが華子である。
「そんな華子に、テストとは全く関係のないお話を一つ」
「何?」
華子は嫌な予感がし、あからさまに怪訝な顔をした。
希衣は動じず、笑顔である。
「まぁまぁ、道中長いことやし。聞いたって」
「どうぞ、お好きに」
「こういう話」
◆
深夜である。
月の光の届かない夜であった。
鬼というものがいた時代のことだ。
梅雨も終わりに近づき、夏の虫が声を上げはじめている。
一人の男が、牛車で大路を進んでいた。
牛を引く者が一人、共の者が一人いた。
共の者が、大路の向こうになにやら不思議な靄を見つけた。
火の玉がその空に浮いている。
その下には、白い影がぼうっと光っていた。
どうやら白装束を纏った女のようにも見える。
しかし、このような時間に女が一人いるのも異様である。
鬼の類か。
近づいてくる様子もないので、共の者は男に知らせなかったという。
その日はそれで、男は何事もなく帰宅した。
帰宅後、共の者は男に話をした。
男は話を笑い飛ばした。
身に異常がないため、見間違えか、害の無いものだったのだろう、と。
似たようなことが、連日起きた。
一週間が経とうという頃である。
昼間である。
男は一人、野暮用で裏路地を歩いていた。
共の者はいない。
一人である。
昼間であるにも関わらず、この路地は人気が少ない。
しかし、この辺りに、昼間に鬼が出ると言う話も、盗賊が出ると言う話も聞いていない。
男は警戒せず、大路に向かっていた。
もうすぐ大路に出ると言う時である。
「もし」
と後ろから女の声がした。
何事かと、男は振り向く。
しかし、そこに女の姿どころか、人がいなかった。
不審に思いながら、男は踵を返した。
すると、そこ白装束の女が……。
◆
「待て! 待てこら! そういう怪談はやめなさい!」
「ちょ、最後まで聞き」
「聞きたくないわ!」
「オチが分からんくてええんか!」
「ええわ!」
こんなやりとりを以前にした記憶がある。
だがどうでもいい。
今は、この女に続きを話させないことが先である。
華子は必死であった。
考え方が地に足が着いていない華子であるが、怪談は苦手なのである。
ナキからすれば、自分の存在を疑うモノである。
「ほら、学校ついたよ!」
「もう」
希衣は溜息を吐いた。
希衣はこの類の話が好みである。
自分で適当に作ることも、人から話を聞くことも好きである。
だが、幽霊や神の類を信じていない。
親戚からお守りを頂いたところで、そのお守りはダンボール行きである。
貰い物であるため、ぞんざいには扱えないのが難である。
結局、その話の続きであるが。
男は、女が鬼の類であると思いこみ、走って逃げた。
風評を気にして、男は裏路地で女の霊に会ったことをしばらく黙っていたらしい。
一旦の話はここで終わる。
オチ、と呼べるものではないが、この話のオチは非常に下らないものである。
女は特に世間体を気にしない者であった。
寝起きに路地へ出ると、男がこちらに向かっている。
時刻を訊ねようと、声をかけたのであった。
男も暑さにやられていたのか、後ろから声がしたと思って振り返ったのだ。
深夜に女らしき影を見た、という話は、この話を恐ろしくさせるための効果である。