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一番執筆に時間がかかるのがこの前書きである。書き始めたらすらすら書けるものの、それまでの時間が無駄に長い。ふっとおもしろいお話が降臨なさらないと書けない。実際、降臨なされた文が面白いかどうかと問われると、口を濁す。真に残念である。遺憾の意! て日常生活で使うことってないよな。いつ使ってんだろ。そう言うわけで、筆者は遺憾の“か”の字を探して三歩進んで忘れることにする。鶏になりたい。
日が傾いてきた。
街の方角に落ちていく太陽。
まだ四時にもなっていないが、気持ちは六時を回っている。
そろそろ帰りたい所である。
華子は、中身を飲み干した缶を、地面に置いた。
言っておくと、別にここに捨てるわけではない。
邪魔であったため、置いただけである。
「それで、その、狐」
華子は、ナキの隣にいる妖狐に声を掛けた。
妖狐は目を細め、華子の方を向いた。
釣り目である。
口元は布で隠されており、表情を窺うことはできない。
いや、息使いや目元で、何となく読み取ることは可能である。
初めて妖狐の顔を正面から見たが、不思議なものを感じる。
気のせいだろうが。
「お前はなんだ」
「我は狐だ」
「は?」
「妖狐はこの社に祀られている稲荷だ」
ナキは、妖狐の言葉に、説明を付け加えた。
なぜ妖狐は、稲荷であることを言わなかったのか。
言う必要がなかったか、面倒であったか。
ナキは、未だ以て何を考えているか分らない旧友を尻目に、華子に説明を続ける。
「狐だが、妖狐だ。物のケの類だから、おれと同じで、厳密には生物じゃない。ムジナ殿はその辺り、どうなんだ」
「ん? 私は雄だぞ。今も昔も変わらず、狸だからな」
妖狐を挟んだ隣に座るヒガサは、ナキに笑みを返す。
ナキは眉間に皺を寄せ、華子に向き直った。
「らしい」
「なるほど、わからん。というかお前が生き物じゃないなんて、初耳だぞ。飯もいらないんじゃないのか」
「物の怪は物の気。天狗の場合、山の木々が騒いでいたら、それは天狗の仕業とされていたんだ。つまり、姿が見えない何かを天狗としていた、ということだ。ちなみに、天狗は山の神とも言われている。木霊も同類だ。山で叫んだときに帰ってくる声、つまり山彦は、天狗だとか木霊の仕業らしい。実際おれが叫び返したことは一度もないが」
ナキは一度区切った。
華子は「ふーん」、「へー」、とやる気の無さそうな相槌を打つだけである。
どこまで理解してくれているか、定かではないが、聞いてはくれているようだ。
ナキは続ける。
「月日が経つにつれ、“天狗”の姿は具現化した。時には狐。時には狸。時には人間。時には、おれのようなモノ。狐や狸、華子さん達人間と同じように、おれは存在するわけだ。だから腹も減る」
「なるほど、わからんわ」
「いいんじゃないかな。これはおれの存在意義の自己解釈。ようは、妖狐は狐ではなくて…」
ナキは言葉を選ぶ。
何か適切な表現はないだろうか。
脳内の単語を漁っていると、妖狐が開口した。
「自然の具現化とも、ゆえるな」
妖狐は、薄く笑みを浮かべる。
ナキも同意するが、華子はいまいち解せないでいた。
「そういえば、妖狐の性別はなんだった」
ヒガサは妖狐に問う。
問われた本人は、表情を変えぬまま「さぁ」と誤魔化した。
声は男声だが、華奢な体躯に、漂々とした雰囲気で掴みどころがない。
口元は隠されているため、表情が何となく分かるものの、顔が分からない。
「妖狐は男だとおれは信じてる」
「信じるなよ、気持ち悪い」
ナキの発言に、華子は即座に返した。
すると、妖狐は首を傾げながら言うのだ。
「常はヒトの男であるが、必要とあらば女体にも化けよう」
「いいよ。化けんな」
「そうか」
華子が拒否すると、妖狐は少々残念そうにした。
残念がるな。
華子は疲労に溜息を吐く。
「まぁええわ。もう夕飯の支度をしないといけない。私は帰るぞ」
「もうそんな時間か。おれも帰る。邪魔したな、妖狐。保健所連れてかれるなよ」
「私も華子殿と帰ろう。またな、妖狐」
華子が立ち上がると、釣られるように、妖狐の両脇に座る二匹が立ち上がった。
妖狐は目を細める。
華子は怪訝な顔をした。
妖狐の顔は、嬉しいのか、寂しいのか、慈しみを含んだような表情をしている。
しかし、その目にどのような意味が含まれているのか、判断し辛い。
なんとも、掴みどころのない狐である。
「何、案ずるな。また、みな揃って、ここへ来い」
「もう来ん」
華子は踵を返し、返答する。
来ない、と言ったものの、そのうち忘れて足を運ぶのが華子である。
妖狐はそれを知っている。