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ピンク色の熊のぬいぐるみを購入した。名前はぴんくま。せっかくなので、これを天狗にぶつけてみるとする。天狗は見事に受け取ると、こちらに投げ返してきた。ゆったりと孤を描き、こちらへ飛んでくる熊の姿は、非常に愛らしい。対して、投げた天狗はそれはもうむかつくほどによい面であるため、むかつく。熊を投げるのは些か不憫であるため、別のものを投げることにする。これだ! 筆者が手にとったのはソプラノリコーダー。その傍にはアルトリコーダーがある。筆者はソプラノリコーダーを天狗に向かって投げた。天狗がそれを受け取ろうとする瞬間を見計らい、第二弾、アルトリコーダー発射。見事的中。後に、天狗の飼い主から、天狗と共に説教を受けたことは、ここだけの秘密にしておいてほしい。





「これが京極殿の撰じた歌集か。あれの字は丸っこくて好きだったな」

「知り合いかよ…」


 睦月の中旬のことである。

 華子が、押入れから小倉百人一首のカルタを出してきた。

 小倉百人一首を撰じたのは藤原定家である。鎌倉時代初期の公家、歌人である。

 呼称は京極殿、京極中納言であったそうだ。真実かは甚だ疑問であるが、深くは問うまい。


 学校で百人一首大会が行われるらしい。

 そのような話をナキにすると、彼は百人一首に対し、興味を示した。

 華子は大会に乗る気ではなく、むしろ愚痴のつもりで話をしたというのに。

 華子は溜息をつき、渋々、押入れからカルタを取り出したのである。


 現在、「百人一首」といえば、小倉百人一首が思い浮かぶだろう。

 百人一首と一言にも、さまざまな選集がある。

 単純に言ってしまえば、和歌を一人一首、計百首集めれば百人一首となる。


「別に知り合いじゃない」


 きっぱりと吐くナキに、華子は新聞紙で彼の頭を叩きたくなった。

 懐かしそうに語るので、知り合いかと思ったら、否定してきたのである。

 紛らわしいことを言わないでほしい。


「会ったことはあるんだが……京極殿はどうやらおれのことが見えなかったらしい」

「は?」

「見えてはいたんだろうけど、なんか、無視されてた感じが……」


 ナキは、当時のことを思い出した。

 挨拶程度は交わした記憶がある。

 つまり、定家はナキの姿が見えていたということになる。

 こちらから挨拶をなければ返してこなかった。

 挨拶以外に言葉を交わした記憶がない。

 目には見えていたが、特に気に留めるほどの相手では無かったということだ。

 居ることに気づかないほど、ナキが空気であったということもありうる。


「嫌われてたのか?」

「いやだ! ききたくない! 京極殿の話はもういいだろう!」


 ナキは耳を塞いで、悲痛の叫びを上げた。

 実際叫ぶと華子に叱られるため、あくまで通常の声量で、声を張っているだけである。

 華子は「あんたが言い始めたんだろ」と呟いた。


 ここで注意しておきたいのは、実際の藤原定家は人を無視するような人物ではないということである。

 強情な性格ではあったようだ。

 彼の日記である『明月記』を読めば、彼の人物像が明確になるだろう。

 小倉百人一首は、秋と恋の歌が多いというのも、ここに記しておく。




「友達に百人一首を全部覚えている子がいるんだ」

「それはすごいな」

「うん。記憶力はいいし、色々とできた人間なわけだ」

「華子さんとは正反対だ」


 華子は、胡坐をかいているナキの膝を叩いた。


「その子の好きな歌を教えてもらったんだけど、なんだったか忘れた」

「そうか」

「雪とか花とか袖とか、そんな感じのんやった」

「雪、花、袖ねぇ」

「何かわからないか」


 華子は百人一首カルタの絵札を床に並べていった。

 きちんと番号順になっている。番号は年代順に振られている。

 ナキはその様子を見ながら、呟いた。


「なんだろうな」

「役立たず」


 ナキは文句の一つ、言いたいところであった。

 何を言っても、華子に叩かれそうであるため、止しておく。


「春の野に出でて若菜摘む」


 華子が呟いた。

 一部分を思い出したのだろう。

 上の句のはじめでも、下の句のはじめでもない、中途半端な個所を思い出したものだ。


「“君がため、春の野に出でて若菜摘む、我が衣手に雪は降りつつ”」

「これか」


 ナキが歌った。

 華子はその歌の札を見つける。


「光孝天皇?」

「平安の天皇だな。在位は驚きの三年半だ」

「ふーん。これは、どういう意味の歌なん」

「そのままだよ。君のために春の野に出て若菜を摘んでたら、雪が降ってきて、それが衣に落ちたって話。それほど寒いけど、若菜摘みは君のためだから、気にならないよっていう。後半は言外の解釈だから正確じゃないけど。ちなみに“君”は光孝天皇の奥のことらしい」


 もとより、正確さはさほど期待していない。

 華子は札を見ながら、「ふーん」と関心なさそうに返答した。

 恋歌、というものか。

 この歌が好きだという友人、北野希衣は、恋でもしているのだろうか。

 華子は思うが、いくら友人であろうと、人の恋沙汰はあまり興味がない。

 話をきいてあげることはできても、返事はできない。


「これを華子さんに、自分の好きな歌だと言ったのなら、“君”は華子さんのことじゃないかな」

「え?」

「歌の解釈なんて自由だよ。作者の意向に適わない解釈であっても、構わないと思う」

「……うん」


 ナキの言葉に、華子は満足気に頷いた。

 友人が恋をしていたとしたら、それは良いことである。

 この歌が、華子と希衣の関係を指しているのだとしたら、それはそれで嬉しい。

 たまには良いことを言うではないか、この天狗。

 華子は傍にあったクッションを、ナキに投げつける。

 クッションはナキの顔面に直撃。

 理不尽な展開に、ナキはただ呆然とした。



 この歌は、春の歌である。

 恋の歌ではない。

 だが、ナキは華子に言わないことにした。

 この物忘れの激しい娘のことである。

 どうせ言っても無駄だろう。










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