序 章
色々やるべきことが済んで調子に乗った作者がわらわらと書き散らしていく長編です。二部構成。
わからないことだらけの未熟作品ですがお目に留まったら読んでやって下さい。
深い森はなかなか途切れない。自分が正しく北へ向かっているのかどうかすら、すでに判らなくなっていた。足を出すたびに腰の位置で揺れる水筒が、ぽちゃりと音を立てる。残りは少ない。
体を引きずるようにして前へ進む。掠り傷程度しかなかったのは幸いだった。あとはなんとか水を確保できればよいのだが。泉でも池でも沼でも川でも、なんでもいい。本隊とはぐれてしまった今、考えられる中で最善の行動のはずだった。
——一七四八年、オーストリア継承戦争は最終局面を迎えていた。オーストリアの同盟国である母国イギリスは、フランスと植民地の利権を争いアメリカの地で壮絶な戦いをくり広げていた。後にジョージ王戦争と呼ばれることになるこの戦いは、まもなくイギリス側の勝利で幕を閉じようとしていた。
ラルフ・キャヴェンディッシュは弱冠十六歳の少年であったが、子爵である父とともに徴兵され、アメリカに渡っていた。だが今は一人、やわらかな茶髪を汗と血で湿らせ、肌にまとわりつくような濃い緑の空気を呼吸しながらひたすらに歩みを進めていた。
聞こえるのは己の軍靴が足元の草を踏みしだく音と、体の中を血液が巡る音、そして自分の荒い呼吸音だけで、はるか彼方で行われているであろう戦の音は、まったく聞こえない。
わずかに意識が混濁した。自分は一体何をしているのだろう。硝煙の鼻をつくような匂いに長く晒されていたせいか、思考が明瞭でない。ああ、こうして人は戦場で人を殺せるようになるのだな、と白い靄の片隅に思う。
唐突に盛り上がっていた地面に蹴つまずいて無様に顔から転んだ。土を払って立ち上がりよく見ると、それは一人の兵士の死体だった。かなり時間が経っているようで、すでに肉はほとんど全て削げ落ちていた。彼が着ていたのであろうフランス軍の軍服が朽ちて直残っていたため、この度の戦死者であることが知れる。それにしては白骨化が早すぎるな、などと考えながらラルフは傍らの大木の根元に腰を下ろした。
体力的にも精神的にも、ラルフは疲れ切っていた。崩れた塔のようにうなだれたまま水筒に口をつけた時、かすかに足音が聞こえた。戦場での勘がラルフの脳内で警鐘を鳴らす。だが彼は緩慢な動きで、提げた剣の柄に手をかけただけだった。
ここで死ぬのも悪くない。
——……否、
鈍る頭でその思考を打ち消した。死んではならない。最後まで諦めるなと、父に言われたではないか。近づく足音が敵か味方かわからぬが、ラルフはすらりと剣を抜いた。
近づいてきた男はラルフを見つけると立ち止まり、笑いかけた。
「——やあ、水を少し分けてくれないか」
見慣れた斜帯はイギリス軍のものだ。味方であった。
ラルフより少し年上に見えるその男は、黒い髪を雑にかきあげて更に近づく。
「構わないけれど、そろそろ底をつきそうなんだ。どこかに水源がないだろうか」
「ここからもう半日も歩けば川が流れていると聞いた」
男はラルフの背後を指差す。それに従って振り返るが、深い森が続くだけだった。しかし、その時、
首筋にひやりと冷たいものが走った。
男が抜き放った剣の切っ先をラルフに向けていた。
「……ラルフ・キャヴェンディッシュだな」
「なんの、つもりだ」
「こちらの質問に答えてもらおう」
ラルフの手にはまだ剣が握られている。力をこめた。
「…………違うと言ったら?」
「いずれにせよ、始末するだけだ」
すう、と息を紡ぐ。気を抜くと止まってしまいそうだった。
「誰の差し金だ」
「お前が知る必要はない」
粘っても無駄のようだった。
ラルフはわずかな時間で心を決めた。
「——僕を殺して、それでキャヴェンディッシュの血が絶えたと思ったら大間違いだ。あの子なら……必ず家を甦らせることができる。お前ごときに我が家を滅ぼせると思うな」
「黙れ。負け惜しみなど聞きたくない。……死ぬ覚悟はできたか?」
黒い鳥たちが鋭い鳴き声を放って飛び立ってゆく。——鳥葬。