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時間は遡り、アーベルとベティーナが出会ったところから始まります。


 きっかけは些細な出来事だった。


 たった今授業を終えたばかりの魔術訓練場に忘れ物をしたアーベルは婚約者のヘロイーゼと側近のギュンターに先に行っててくれ、と言いおいて魔術訓練場に引き返した。そうして曲がり角で小柄な女生徒とぶつかったのだ。


「おっと失礼」


 彼女を抱き止めた後、踵を返そうとしたアーベルはクンッと袖を引っ張られた。


「あなた、何か術にかかってます」

「は? え?」


 有無を言わさず出てきたばかりの魔術訓練場に引っ張り込まれた。午前の授業が終わったばかりの練習場に他の人影はない。


「ちょっと待って、解術しちゃいます」


 そう言うなり女生徒はアーベルの手を両手で握った。訳の分からないまま目の前のふわふわ揺れるピンク髪を見下ろしているとパリンと何かが砕ける感じがして意識が鮮明になったような気がした。

 あくまで気がしただけである。パリンと音が鳴ったわけでも砕けるのが見えた訳でもない。でもアーベルにははっきり分かったのだ。

 久しぶりにすがすがしい気分になってアーベルは頭を振った。


「どうですか? 気分は?」

「あ、ああ、すっきりした気分だ」


 アーベルが答えると女子生徒はにっこり笑って手を離した。


「ああ良かったです。じゃあ!」


 そう言って去って行く女子生徒にアーベルは声を掛ける。


「あ、待ってくれ、君の名前は?」

「一年三組のベティーナ・ロイターです。また困ったことがあったら来てくださいねー」






 


 そのまま教室に戻らずにアーベルは王宮に帰った。

 王宮の自室で一人考える。僕に術をかけたのは誰だ? 僕はどんな術にかかってどんな状態だった?

 考えてもわからない。自身の行動を振り返ってみてもおかしな行動をした覚えはない。記憶が途切れていることも体調がおかしくなった覚えもない。しかし術にかかっていたのは本当だと信じられる。心の内側、自身の感情が本当に自分のものだと信じられるからだ。解術されるまでは意識していなかったが、自身の感情に何か作られたものが紛れ込んでいた、そしてそれがアーベルを知らず知らずのうちに支配していた。無意識にそれを感じ取っていたから、違和感を感じていたからこそあの女生徒の無礼な行動に素直に従ったのだろう。


「ベティーナ・ロイターと言ったな……不思議な少女だ……」


 ベッドにひっくり返ってアーベルは呟いた。


 





 次の日学園に行くとヘロイーゼとギュンターに昨日はどうしたと大いに心配された。

 急に体調が悪くなった、もう大丈夫だと返しながらアーベルは二人を観察する。何の術なのかはまだわからないがアーベルの一番近くに居るこの二人を疑わないわけにはいかなかった。もちろん疑いたくはないのだが……

 しかし今日はヘロイーゼの物言いが凄く引っ掛かる。なんとなく高飛車というかアーベルを意のままに動かそうという意思が感じられるのだ。今までそんなことを思ったことは一度も無かったというのに。

 

 そんな不快感を抱いたのも昼食までだった。

 昼食時、ヘロイーゼに勧められたお茶を飲んだらそんな気分は吹っ飛んでしまった。僕は何て馬鹿だったんだ、こんなに愛しいヘロイーゼの事を疑うなんて、と後悔した。

 だから放課後、あのピンク髪がふわふわと庭園の奥に入っていくのを遠目に見つけて追いかけた。一言無礼を咎めるつもりで。


「あら、また術にかかっているわ」


 追いついた木立の奥でベティーナはすぐさま解術をした。

 この時アーベルははっきり自覚したのだ、ヘロイーゼに対する気持ちの変化を。


 


 アーベルはベティーナに協力してくれないかと持ち掛けた。そして自身の名と身分を打ち明けた。この学園に通う生徒なら誰でも知っていると思っていたアーベルの事をベティーナは知らないようだったので。


「ひっ、ひえっ! おおおおおおおお王太子殿下!! 不敬の数々、平に、平にご容赦を!!」


 ベティーナはぴょんと飛び上がるとズサーーッと膝をついて頭を地面に擦り付けた。


「おが多いけどいかにも僕はこの国の王太子だ、でも今はこの学園の生徒でもある。不敬になんて問わないからそんなに畏まらないでくれ」


 ベティーナの腕を掴んで立たせると膝の土を払ってやる。


「打ち首になりません?」


 恐る恐る顔を上げたベティーナにぷっと吹き出しながらアーベルは答えた。


「打ち首って何だい? 君は僕の恩人だよ。そして僕が今信じられる唯一の人だ。どうか僕に協力してくれないか?」


 そう言っておでこに付いた土を払ってあげようとアーベルは手を伸ばしたが、その前にベティーナが「ははははいー!」とぶんぶんと凄い勢いで首を縦に振ったので、おでこの土はどこかに飛んで行った。





ーー♦♦♦ーー


 とりあえず不自然にならないように少しずつ少しずつヘロイーゼやギュンターと距離を取りながらアーベルはベティーナと様々な事を内密に調べ始めた。

 自身の感情の変化から考えると、術をかけたのはヘロイーゼと思われる。しかし何の術なのか、どうやってかけたのか、ヘロイーゼの単独なのか、他に協力者はいないのか、わからないことは沢山あった。

 相手は先先先代のではあるが王族の血筋の公爵家の令嬢で現在アーベルの婚約者でもある。迂闊な事は出来なかったし、怪しまれるわけにもいかなかった。味方が誰かわからない今の状態では打ち明けるのも憚られた。




「しかし君は不思議な能力を持っているんだな」


 学園の図書室の奥、一部の特権階級だけが使用することのできる一室で文献を調べながらアーベルはベティーナに話しかけた。

 部屋にいるのはアーベルとベティーナの二人きり、扉は施錠され誰も入ってこれない。

 発覚したら醜聞になりそうだが、秘密を要する今の段階では致し方なかった。もちろん対外的にはこの部屋はアーベル一人で使っていることになっているし、ベティーナが入室するときは誰にも見られないように気を配っている。そしてベティーナは二人きりでいることに全く警戒感を持っていなかった。それはそれで男として意識されていないようでなんか傷つく、いや、もちろん不埒な事をするつもりはまったく無いし、そんな場合ではないけれど。……けれど。


「ああ、この能力ですか? 不思議なんですか? 魔術院の方々は解呪や解術が出来ると聞きましたけど」


 きょとんとした顔でベティーナが問い返す。何度か過ごすうちに緊張は解れ、ベティーナはやっとアーベルと普通に会話できるようになっていた。


 もちろん魔術に特化した魔術院の者の中には解呪や解術を得意とする者もいる。しかし火や水の魔術と違って稀有なものであるし、ましてやその者が術にかかっていることを一瞬で見抜ける者などアーベルは知らなかった。


「我が家はちょっと変わり者が多いんです、父は魔道具開発に特殊な才能を持っていますし。一般的な魔術の実力はクラスの中間ぐらいです」


 ベティーナの話によるとこの能力が分かったのは五年前、彼女の父親が魔道具研究の一端で怪しげな古代魔道具を調べていて呪いに罹ったことが発端だという。父親に触れた途端、彼の周りに怪しげな魔方陣の様なものが見えたそうだ。だからベティーナは魔力を流してその魔方陣の一端を壊した。一端を壊すとそれは連鎖的にガラガラと壊れて消えた。


「偶にいるんです、うちの父のように呪いに罹ったり怪しげな術にかかったりする人が。普通の生活をしていればまずそんなことは無いんですけど平民だった時は父の研究の関係で冒険者たちともよく交流していましたし」


 ベティーナは軽い調子で話す。


「でもアーベル王太子殿下の術は他と違っていたんですよねえ。最初は気づかなかったんですけど」


 アーベルの術は意図的にかけられたもの、そして長年にわたりかけられたものだそうである。アーベルには心当たりがある。王太子の婚約者選定の折、あの時から術は掛けられていたのだろう。だからアーベルは熱烈にヘロイーゼを望んだ。

 ベティーナはアーベルの表面に出ている術はすぐさま解術した。しかし長年かけられた術がアーベルの奥底に蓄積しており、それは時間をかけて少しずつ解術しなくてはならないらしい。


「こんなの私も初めての経験です、やりがいがあって燃えちゃいます!」


 ベティーナはふんと力こぶを作ってみせる。華奢な細腕は少しも盛り上がってなかったけれど。


「君には負担をかけるな、申し訳ない」


 アーベルの身体の奥底に蓄積する術を解術しなければならないし、様々な事を調べる協力者も今のところベティーナだけだ。そして気をつけてはいるがアーベルはちょくちょくまた術にかかってしまう。体内に蓄積があるのでかかりやすいらしい。その度にベティーナに解術してもらうので、ベティーナに出来る限り傍に居てもらわなくてはならなかった。





ーー♦♦♦ーー


 その日の放課後もアーベルは図書室奥の部屋でベティーナと過去の文献を調べていた。自分の症状に当てはまる魔術を探しているのである。

 現在の王国では精神に作用する魔術を使用することは禁止されている。故にそんな術を知る者も使える者も稀有である。アーベルが知っているのは重篤な犯罪者に自白を強要する魔術や王家の諜報員が使う認識祖語の魔術など国家機密レベルの魔術ばかりである。もちろんアーベルは使えないし、ベティーナも解術は出来ても術をかけることは出来ないそうである。


「あ、アーベル王太子殿下、ちょっとここを見てください」


 ベティーナが百年以上前の古い文献を差し出したがアーベルからの答えはない。何か物思いに沈んでいるようだ。


「アーベル王太子殿下?」


 重ねて問いかけられてやっと宙に彷徨っていた視線をベティーナに戻した。


「ああ、すまない、少し考え事をしていたんだ」


 今日、ヘロイーゼに言われたのだ、特別に親しくしている女子生徒がいるそうですね、と。この部屋での密会は誰にも知られぬよう細心の注意を払っているが、それ以外にもベティーナと一緒に居ることは多い、そして様々な用事を言い訳にヘロイーゼとの距離を取り始めている。少しずつアーベルの心変わり、不貞の噂が流れ始めているとギュンターにも責められた。


「心変わりなど! 僕の最愛はヘロイーゼ、あなただと知っているだろう? 取るに足らない男爵家の娘などあなたが気にするまでもない!」

「でも最近アーベル様は以前ほど一緒に居てくださりませんわ。わたくしとお茶も飲んでくださいませんし……」

「それは……前も言っただろう、公務に関する調べ物でしばらく忙しいと」

「あの男爵家の小娘と一緒に居る時間は取れるのに?」

「彼女は貴族になって日が浅いから少し相談にのってあげていただけだよ」

「まあ、下々の娘にまでアーベル様はお優しいのですね。でも()()()()()()()()()()()()、アーベル様は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「ああ、もちろんだ、愛しい君の可愛いお願いは何でも叶えてあげたい。だけど今は本当に忙しいんだ、僕も君との時間が取れなくて身を切られるように辛いんだよ」


 甘い言葉を囁きながらアーベルは背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。






「そうですかあ、そうですよね、これだけ私と一緒に居たら疑われるのは当たり前ですよね」


 アーベルがヘロイーゼの話をするとベティーナはうんうんと頷いた。


「それだけじゃない、ヘロイーゼに疑われるだけじゃなく学園内にそう言う噂が流れ始めているのも問題だ」

「やっぱり王太子としては不味いですよね」

「いや、僕はいいんだけど問題はベティーナ嬢の方だよ」

「私ですか?」


 ベティーナはきょとんとしている。


「君は婚約者がいる王太子を誘惑し、惑わせている身の程知らずな令嬢と噂され始めているらしい。このままでは将来の君の縁談にも差し障りがあるだろう」

「私の縁談ですか? うーん別に興味ありませんね」

「いや、問題にしてくれ、僕の都合で君に協力を要請したのに僕と恋仲だと噂されたら君に申し訳ない」

「恋仲? 恋仲……あ!」


 ベティーナはちょっと何かを考えた後、ポンと手を打った。


「恋仲、いいじゃありませんか、そう言う事にしましょう!」

「は?」


 アーベルは真っ赤になった、ベティーナにそんな気持ちが無いことは分かっているけれど。

 ベティーナはごそごそと自身のカバンから一冊の本を取り出す。


「巷で流行っている小説でクラスメイトが貸してくれたんです」


 本のタイトルは『意地悪なご令嬢には負けません、平民だけど王子様との〝真実の愛〟を貫いてみせます!』

 アーベルはスンとなった。


「私危惧していたんです、どうしたってアーベル王太子殿下と一緒に居ることが多いですよね、その内に怪しまれるんじゃないかって。私たちが調べていることがバレたら不味いでしょう、その点〝真実の愛〟で結ばれた二人なら周囲も納得するんじゃないかしら」

「君は……いいのか?」

「乗り掛かった舟というやつです。アーベル王太子殿下のことほっとけないですし、ほっといたら気になって眠れなくなっちゃうし」

「……ありがとう。せめて何かお礼をさせてくれないか?」

「お礼……ですか? あ、じゃあお願い事が一つあります、ご令嬢の所作を教えてください」


 ドレスでも宝石でもなくベティーナは立ち居振る舞いを鍛えて欲しいとアーベルにお願いした。


「アーベル王太子殿下とお食事したときに思ったんです、なんて美しくお食事なさるんだろうって」

「え、いや、意識したことは無かったが……」

「ほら、そうやって座ってらっしゃる姿も、お茶を飲む仕草もなーんていうか優雅なんですよねえ」


 手放しで褒められてアーベルは照れる。幼少の頃より徹底的に躾けられたのだから当たり前だ。


「男性と女性で違うところは多いけど、僕はご令嬢たちも多く見てきたからわかる範囲で君に教えるよ、そうしてこの問題が片付いたら最高の教師を君に紹介しよう」

「わあ! 本当ですか? 約束ですよ!」


 手を打って喜んだあと、ベティーナはハタと気づいたように机の上の本を差し出した。


「忘れるところでした、アーベル王太子殿下、こちらを見て欲しいんです」



 


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