侵略脱却 その2
1960年
神戸市内
(既に日本は30万人以上の死者を出し不利な状況に陥っており政府は国民に反感を買うともう対抗できない状況になっているため被害を少なく抑えたいと考えていた)
淡路島全体を軍事基地としそこからB-29を動かすことを政府は決めた
「博、確か今日出発やね。俺は明日だ。博って最前線で戦うんだろう?羨ましいぜぇ!」と剛。
「ああ...母さんに黙って家を出てきたから死ぬことは許されないから...だから絶対生きて帰る!ただそれだけ」
(北本博(16)嫌いな父親が1944年に戦死してから戦争へと興味を示す馬術に長けており町で天才乗騎手と呼ばれていた将来は馬で日本縦断大会をしてみたいと思っている。)
「特攻じゃないからね...生きて帰れる...」
ゴォォォォォオオ...B-29を動かす
「では。」別れを告げる
博、出国
アメリカ サンディエゴ
ウゥゥウウウゥゥゥウウ...
空襲警報だ。
爆弾を安価で生産できるようになった日本軍は空襲をするようになったアメリカの西側にあるサンディエゴ、ロサンゼルスは発展している上に日本からアメリカへ飛んで行った時に最初に通る場所なので爆撃機が撃ち落とされずに空襲が可能だったため空襲をよく受けていた。
だからと言ってアメリカは無抵抗で終わることはない。
F105サンダチーフが5機出撃。これにより博達は更なる苦しみを得ることになる。