9. 新規傭兵の採用試験
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練兵場、とは名ばかりの空き地に、湿っぽい風が吹き渡った。
その大男は目を細めて、ばらばらに体を動かしている十数人ほどの男たちを横目に見やる。
皆、薄汚れた短衣を着て、棍棒とも木の模擬刀とも区別のつかないものを振ったり、互いに打ち合ったりしていた。地面には、そこかしこに雑草が生えている。白い小さな花が、大男の目に留まった。
――げっ、貧乏菊……。
ほとんど期待はしていなかったが、マグ・イーレとは噂通りのしみったれた国のようだ。
本当にここは、王室直属の城内練兵場なのだろうか。土地の手入れすら、まともにできていない。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
ごく年若い少年が呼びに来る。
男は重い荷袋を担ぎ上げ、少年の後に従って厩舎と隣接する建物の中に入っていった。
石床張りの部屋は、一隅の窓が開け放たれて案外に明るい。片側の壁には恐ろしく背の高い書類棚があり、上には天井近くまで書類や箱類が積み上げられていた。とりあえず、地震の心配は少ない土地のようだ。
奥まったところは小さな書斎らしくしつらえてあり、二人の騎士らしき男たちと、一人の女性が机の周りに集まっている。
「母さま、連れてきたよー」
少年が告げる。
「お連れしました、と仰いな」
もさもさと豊かな髪を高く結い上げた、年増の女が顔を上げて答える。
その女が進み出て、男に笑いかけた。
「マグ・イーレへようこそ。我が国の軍に傭兵として志願して下さったのは、あなたですね」
男は頭を垂れた。
「お顔を上げて下さい。わたしは、マグ・イーレ第一妃のニアヴです」
内心で驚いて、男は顔を上げた。
――いきなり高貴な御方が、採用するかどうかわからん傭兵にお目見えするものだろうか? いや違う、これは普通じゃないだろう。
ニアヴはすぐに机の後ろに回り込み、上に置いてあった公式書類用の角形布を前に引き寄せた。丸い腰掛を手で示す。
「どうぞお座り下さい。お名前は?」
「……ゲーツ・ルボといいます」
「あら、ティルムン方面のご出身?」
「……はい」
年齢は、今までどこの拠点を巡って来たのか、云々と手際よく質問してくる。やがて王妃は角形布をくるりと回して、ゲーツの手前に押しやった。
「年俸はこんなものですけど、納得できますか」
――安っっ……。
内面ではわりに軽い男なのだが、ゲーツは幸か不幸か、心の裡を顔に出さない性質だった。風に揺れる貧乏菊の姿が、頭をかすめる。
「ああ、でも住まいと食い扶持はこちら持ちですから」
脇に立っていた好々爺風の太っちょ騎士が、しゃしゃり出てくる。
「病にかかった時の医師見代、薬代もかかりませんよう」
かまきりのようにひょろりとした、もう一人の中年男も畳みかけてくる。
――まあ、そんな所だろうなあ。
ゲーツは頷いて、了承の意を示した。
「それじゃ」と、笑顔のニアヴ妃が、硬筆を持ち上げたその時。
「待て、ニアヴ」
別の低い声が、奥の方から発せられる。
気が付かなかった。好々爺とひょろ長かまきりの後ろに、小柄な女がいたのである。
痩せぎすの体に細身の短衣、股引と男のような恰好で、白金髪をでたらめに短く切り詰めていた。
「契約をする前に、多少実力を見たい」
「ああ、それもそうね。じゃあゲーツさん、ちょっと外に出ましょうか」
荷物を残して長剣だけを手に、ゲーツは一同に従って外に出た。
痩せぎすの女が例の少年に何か言い、彼はたっと駆けて行く。空き地にいる男たちの手が止まっていき、やがて背の高い二人が近寄ってきた。
ゲーツとその二人の周りには、いつの間にか遠巻きの人の輪ができている。一人ずつの手合わせとばかり思っていたら、のっぽ二人は同時に打ちかかってきた。
ゲーツは、跳んでそれをかわした。
すぐに態勢を立て直した丸刈りの方が、木刀を一閃して水平に切り込んでくる。鞘に収めたままの長剣で受けると、即座に右足で相手の腕を蹴り上げた。
「うっ」
丸刈りはうめいて、木刀を手放す。
その脇ですかさず、もう一人が大きく振りかぶった。
相手がゲーツに焦点を合わせたその一瞬を狙って踏み込み、鳩尾を切先で鋭く突いた。
「おえっ」
突かれた男は後じさってよろめき、へたりこむ。わっ、と歓声が起こった。
何人かがのっぽ二人を助け起こして、連れ出して行く。怪我はさせていないはずだった。
「割といいな」
不意に、ごく近くで誰かが呟く。
「俺とも、いいか」
先ほどの痩せぎすの女だ。
女はさらりと腰の細剣を抜いた。銀の剣身と、白金色の髪とが陽光に柔らかく反射する。
「お前も抜け」
はっきりと言ってから二、三歩退くと、改めて踏み込んでくる。挑発とは思えない、厄介な太刀筋である。
――変な女だ。
突きに力はない。女のこの体躯ならば当然なのだが、その分やたらめったら、軽やかに攻めてくるのがうるさい。
受けを素早くするために、ゲーツは長剣を抜き放った。女がやや跳躍ぎみに、強く踏み込んでくる。
ぎいん!!
剣身同士のぶつかる音が弾け、女はぱっと細剣を手放す。痺れたのだろう、無理もない……。
と、次の瞬間に長剣の下をくるりと潜り込んできた。
ゲーツの左脛の内側には、女の脚がぴったりと貼り付いている。女が力を込めれば、自分の均衡をたやすく破壊できる位置だ。
胸の中に抱かれこんだような姿勢のまま、女は上目遣いでゲーツを見上げてにやりと笑った。小さな短剣を握った左の拳が、ゲーツのあご先に押し当てられていた。
「戦場で生き残るのは、俺かな」
女は低く囁いた。
ゲーツの全身を、未知のおののきが駆け抜ける。
すすっ、と軽い足取りで女が身を引き、周囲から拍手喝采が沸き上がった。
少年が走り寄ってきて、嬉しそうに女に言うのがゲーツの耳に入る。
「やったね、グラーニャ!」




