29. マグ・イーレ王妃たちの野望
正午を回りかけた所で会議はようやく解散となり、マグ・イーレ騎士の面々は騒がしく広間を出て行った。代わりに女たちが数人、きびきびと入って来て、乱立した腰掛や椅子の整理を始める。
「お昼の準備は……」
マグ・イーレ正妃ニアヴは言いかけて、革の書類入れを持ち直しながら頭を振った。
「テイリーに任せたんだから、大丈夫だわ」
布帳面の束と筆記具の入った包みを持って、第二王妃グラーニャもニアヴの後を追う。
「そうだ。ニアヴは、ニアヴにしかできない仕事を全うする時が来たのだ。他の色々は、皆に手伝ってもらって任せておけ」
二人は広間の後ろにある、あの室に入っていった。
天蓋付きの寝台を処分してしまったから、室は全く見違える外見となっている。中心に据えられたごつい机の上に書類入れを置くと、ニアヴは大きく窓を開けた。ここは今現在、マグ・イーレ正妃の執務室になっている。
グラーニャは窓辺に近寄り、そこから見える空を見やる。穏やかな初冬の陽光が、心地よい冷気とともに彼女の頬をなでた。
「換気はとても大切なのよ」
ニアヴが言う。
「古く淀んだ空気は、元気な人でも病気にしてしまうからね。家には、まめに風を入れなくては」
これはもちろん、夫への当てつけだ。少し前、ランダルは体調不良を理由に、国政への関与を少々休むと言い出した。以来第三妃ミーガンと一緒に、離れに引きこもっている。そして息子たちを巣立たせたニアヴが、その元首代役を≪しばらくの間≫引き継ぐことになったのだった。
「結局のところ、あなたの恋人は誠実に寝返ってくれたのよね」
王妃ふたりは、窓際に肩を並べて立った。
「王が、二手に分かれてテルポシエに行くことを提案した時から、これはどうにも手を出してくるんだろうな、とは思っていたわ。ディルト侯も、まさかエノと通じていたとはね……」
「実際にはディルト侯も含めて皆、エノに馬鹿にされていたということなのだがな」
「本当にね。でも海賊どもが、遠巻きに船を進めてついてきた時は、さすがに怖かったわよ? 少し荒れてきた中を、船長さんが飛ばしに飛ばしてくれてねえ。船が海中でばらばらになるのが先か、海賊に捕まるのが先か。ニアヴ史上最大の冒険だったけど、途中でふいっと追手が消えちゃって。帰港してから、ようやく皆そろって吐いたんだったわ、あはは」
ニアヴはこの経験を、よっぽど気に入っているらしい。
海賊の出現を目の当たりにしたニアヴは、マグ・イーレの埠頭に到着するなり、真っ先にグラーニャとキルス、ウセルを呼びつけた。
不穏な動きに備え、留守役の騎士と馬、傭兵たちを武装させ、闇に眼を慣らすべく港と市壁外に待機させておいたのはグラーニャだった。
陸路のランダル一行が、何らかの災難に遭った時に備えてと強調したのである。何もなかったらなかったで良い、とグラーニャは騎士・傭兵の面々に頭を下げた。
――そして、その読みが正しかったと判断された。
「ゲーツさんがうまく立ち回ってくれたおかげで、だいぶ駒が揃い始めたわ。……でも彼、この先もわたし達の側にいてくれると思う? キルスやウセルのように」
「あいつは多分、大丈夫だと思う」
「がっちり、繋ぎ止めておいてね。グラーニャ」
ふふん、とグラーニャは鼻で笑った。
「エノの間諜だったことは、ひた隠しにしたいようだから。俺たちも十分に気を付けて、気づかなかったふりを続けよう。でも、あいつは根が悪いやつではない。海賊山賊に明け暮れる悪党生活は、すぐに嫌気がさしたろうな」
「何言ってるのよ? わたしとあなただって、十分に悪党じゃないの」
うふふ、とニアヴは屈託なく笑って、グラーニャの肩をぽんと叩いた。
「ご近所の皆さんが知らぬ間に、貧乏国は着々と力を蓄えていくのよ。……そして良いきっかけさえあれば、ある日突然、理不尽な戦争だって始められる」
「嫁の実家を、吸収したりするのだな?」
「テルポシエの大きな港は、何としても欲しいわ」
グラーニャの腹がぐうと鳴って、ニアヴは口角を持ち上げた。
「野望を持つと、腹が減るのだ」
「それ、どこの格言?」
笑いじわが深くなり、ふっとまなざしに慈しみが満ちた。
「あなたがマグ・イーレに来てくれたこと。わたしは誰よりも感謝してるわ。グラーニャ・エル・シエ」
肩に置かれた手に、少しだけ力が入った。
「俺を生かしてくれたのは、ニアヴ・ニ・カヘルだ」
ぶにーん、と鳴き声がして、窓の端に太いしっぽがちらつく。
次いで城猫こうしが、巨大な頭をのぞかせた。




