27. 白き牝獅子
イリー諸国を脅かしていた海賊エノの一派を、少数精鋭を率いて見事に追っ払ったマグ・イーレの【白き牝獅子】グラーニャの戦いの顛末は、後に≪クロンキュレンの追撃≫として知れ渡った。
ゲーツは後になって知ったことだが、あの草の原一帯を、地元のものはクロンキュレンと呼んでいるのである。
ただ、【白き牝獅子】の呼び名がどう出てきたのかは、誰にもわからなかった。案外本人でないのかとゲーツは思っているが、グラーニャに聞きはしない。元ねたをもたらしたのが自分なのは間違いないから、内心だけでほくそ笑んでいる。
「全くねえ。獅子ともてはやされていい気になる女性なんて、本当にどうかしてますよ」
いつも通りのぼそぼそ調を取り戻したランダル王は、愚痴ともつかない話し方で、安楽椅子にふんぞり返っている。矢を受けた右腕には、晒しが巻かれているらしい。袖がそこだけ、もりもりと盛り上がっている。
王は左肘を曲げると、その内側にくしゃん、と小さくくしゃみをした。すぐそばに置かれたもう一つの安楽椅子の中で、ふくよかな年増の美女がほほほ、と笑った。
城の裏手にある王の住居、いわゆる離れである。脂ぎった輝きを放つ、独特にして醜悪な趣味の内装で、床には臓物色の毛織物が敷いてあった。
「しかしまあ……。君が身を挺して私を救ってくれたのは、本当のことなのだし。今日はその点について、個人的にお礼をしたいと思ってね。そうそう、君をエノの間諜などと疑ったのは悪かった。本当にエノの手の者なら、君はあの草原で私を奴らに渡していたでしょう」
――うん、その通りだ。実にそうしたかったな。
二人の前、腰掛に座ったゲーツは、視線すら動かさないままそう思った。
「何か、望みはあるかな」
王の媚びるような目つきが、まことに気色悪い。
「もちろん、あの子との関係は黙殺します。ただね……、その……。ニアヴ正妃の船の件については、まあ黙っていてもらえないだろうか? これだけ条件をのんでくれれば、私から次の近衛隊長の座に推しましょう」
近衛騎士長ディルト老侯の遺体は、他の犠牲者とともに回収され、すでに埋葬が済んでいた。
「……いいえ。自分は傭兵なので、騎士の役職にはつけません」
「陛下。この方に名誉の叙勲をして差し上げたら、いかがでしょう? 何といっても、陛下の命の恩人なのですから」
鈴を鳴らすような優しい声で、ふくよか美女が言う。第三妃ミーガン、王が心を捧げているとかいう人物だ。王と双子なのかと思ってしまうほど、そっくりの体型をしている。実に似合いの夫婦だった。
「そうか、そうだね! 叙勲くらいなら、お湯の子さいさいですよ」
「……いいえ、辞退します。自分はグラーニャ様に、直属で雇われているので」
ぱこん、と音のしそうな調子でランダルが口を開けた。
その四角さにちょっと感心しつつ、ゲーツは王をじーと見据えた。この男には、ぶちまけてやりたい怒りがずいぶんある。
グラーニャをあの子呼ばわりし続けること。
ニアヴは苦労した母親特有のいかつい体をしているが、決してでぶ女房ではない。
そしてこうしは猫なりに器量良しであり、ぶす猫と言われる筋合いはないのだ。
「……一つだけ、進言をさせていただいてもいいですか」
「な、何だい?」
ゲーツは静かに息を吸い、吐いた。
「心身ともに繊細にして、お優しき陛下のことですから。今後はこちらの美しい奥方様と一緒に、隠居されてはいかがですか。王子様方が成人して戻られるまでは、ニアヴ様とグラーニャ様が、世事を取りまとめられますので」
言い切った!
――我ながら素晴らしい棒読みだ。けっこう練習したんだぞ。
「な……君、一体何を……」
ランダルは呆気に取られている。ミーガンは意味が飲み込めなかったらしく、横で小首を傾げた。
「……いえ、ただの進言です」
「きみ……。私を脅すのか」
「……いえ、……船の件ですよね」
しゃ――っ、と蛇の息のような音がして、王はどすんと安楽椅子の背もたれに背を打ち付けた。
「……下がれ。下がんなさい!!」




