25. 絶体絶命の曙光前線
全員が武器と外套をひっつかみ、厩へと走る。
ともかく王の馬に鞍をつけてランダルを乗せ、ゲーツ自身は一番最後に残ったのにそのまま飛び乗ると、近衛騎士らの後を追った。
重い夜の闇の中、北の方角に火が上がっている。村の者たちは無言で夜道を駆け抜け、南にある林へと逃げ込むつもりらしい。
彼らを護って賊と戦うのだとばかり、ゲーツは思っていた。しかしランダル王と近衛騎士達は、一目散に西を目指す。
――まさか、マグ・イーレまで逃げ帰る気か?
確かにここは、マグ・イーレ領ではない。しかしガーティンローの騎士らがやって来るまで、いや村人たちが安全な所へ行きつくまで、何故時間稼ぎをしないのだろう、とゲーツはいぶかしんだ。こういった状況では国籍を越え、野盗山賊の狼藉から一般市民を守ることこそ、イリー騎士の基本行動ではないのか。
街道を駆け、見晴らしの良い高みに出た所で、一行は馬の足を緩めた。今までいたあの村に、炎のちらつきが見える。だが、全ての家々が派手に燃やされている、というわけではなさそうだった。
それよりも、点々とした松明の灯りが、街道沿いにこちらを追いかける形で続いている。
「全力撤退!! 陛下を囲んで、マグ・イーレまで疾走」
近衛騎士長、ディルト老侯の硬い声が響いた。
――はあ? 何てことを言うんだ、あほじじい。夜通し駆けて、馬をつぶした所でたどり着けるかどうかの距離だぞ?
ゲーツは珍しく胸の中で毒づいた。
守るべき王が一番の足手まといであることは、誰の目にも明らかだった。普段遠乗りなどなかなかしない人間が、明かりもない道を行く、しかも早駆けするというのは無理がある。
夜更け、ランダルを取り巻くようにして走ってきた一行は、目に見えて速度を落としていった。最後尾にいるゲーツには、追手との距離が刻々と迫っていると感じられる。
道が蛇行し始めたあたりで、いよいよ差が縮まった。向こうの気配はやたらに多い、三十騎から四十騎もいるのだろうか? 対してこちらは、たった十騎しかいない。
あっははははは……ひゃっはー!!!
賊たちの野卑な叫びと笑い声が、近衛騎士たちを絡めとるように響き渡る。
「おい、皆、そこの曲がりで止まりなさい!!」
蛇行する上り坂で、ランダル王が金切り声を上げた。これまでのぼそぼそ調と打って変わって、わかりやすい。
坂の切り返し点の前と後、お互いに最低限の距離を置く形で、近衛騎士団と賊とは対峙した。
「何者かッ」
荒い息の中で精一杯の威厳を込めつつ、近衛騎士長ディルトが叫ぶ。
――ああ、こりゃまずいだろ。
ゲーツは素早く、覆面布を目の下まで引き上げた。山賊相手に名乗りを上げるのは馬鹿げている。そして賊が応じて名乗り出た場合は、間違いなく自分の知る限り最悪の相手なのだ。
「身分の高いお偉いさんなら、まずは自分から名乗っちゃどうだい?」
よく通る低い美声が、からかうような調子で言った。
賊の集団から一騎が進み出てきた。わずかに雲間からのぞく月の光が、その男の乗る巨大な白馬を柔らかく照らす。
「まあ、俺としてはあんたを知ってるが。初めましてランダル王。俺は『島』のエノだ」
覆面布のうちで、ゲーツは溜息をついた。
――嫌な予感が当たっちまったよ、助けてくれグラン。
「ああ? 何だ何だ、どういうことだ。盟友よ、海上の件の報告なら、こんなまねをしなくても……」
安堵と不安の入り混じった声で、ディルトが応じている。
「いや、その事で文句をつけに来た」
エノの周囲で、笑いがさざめき起こる。
「あんたらに言われた通り、ファダン岬のところで行儀よく船を待っていたんだがね。ありゃ何だ? 沈まないのが不思議なくらいのぽんこつに、奴隷の足しにもならないような、もやし男どもが乗っているばかり。まさかあの貧相なおばさんが、王妃様とはがっかりだ」
男たちの笑いが、げらげらとさらに野卑になった。
「こんな船を掠奪したり、沈めるなんざ時間と労力の無駄でしかない、と思ったんだ。だから計画を変えて、王様を捕まえに来たんだよ」
「何と……」
ここだけランダル王はぼそぼそと驚いている。つぶやいた王を、賊の首領はまっすぐ見つめたらしかった。
「あんただって、一国の主だ。ひっ捕まえてつつけば、マグ・イーレは身代金を出すだろう? いいや、国そのものを代わりにもらい受けたっていいんだぜ」
「……!!」
王は極度の混乱に陥ったらしい。金切り声ともうめきともつかない音が小さく聞こえたかと思うと、馬の鼻先を変えて、ランダル王はまっしぐらに闇の中に駆けだしていった。
それを見て、ディルトは叫ぶ。
「退け――ッッ!!」
もう、隊形も何もあったものではない。王を追うようにして近衛騎士たちは駆け、それに少しだけ後れてゲーツが続く。そしてエノたちの喧騒が、楽しむように騒がしくついてきた。ゲーツは頃合を見て、街道の脇にそれ、木々の間を縫うように進む。
マグ・イーレの近衛騎士達はすぐに追いつかれ、馬上での交戦が始まった。
ゲーツは当初、多少の希望を抱いていた。近衛の八人が全員キルスなみの才覚を持っていれば、切り抜けられるかもしれない。
しかし、その期待は完全に間違っていた。
エノの荒くれ男たちが振り回す長剣に薙ぎ飛ばされ、あるいは投げられた鎖に絡め捕られ、近衛騎士たちは次々に落馬していく。最後に残ったディルトたち三騎は、果敢にも旋回して迎え撃とうと試みたが、あっと言う間に十数騎に囲まれて姿すら見えなくなり、胸の悪くなる断末魔が響き渡った。
しかしその隙に、ゲーツは脇道を突っ走って王の元へ追いついた。
「お、お、お、お前っっ……私を……私に、触るなあっ、……」
もはや半狂乱になった王は、馬の背にしがみついているだけだった。そこにひゅうん、と風を切る音がする。
「ひゃあああ!」
馬が後ろ脚立ちになり、王の体は宙に躍った。
ゲーツは、その手首を引っつかむ。
そのまま無理に自分の前に引き上げて、荷物のように載せると、林の奥へと入った。
王はうつぶせに、馬の背にへたれたまま動かない。右腕に小さめの矢が刺さっていて、その衝撃で気絶しているらしい。何という厄介な荷物だ。
それでも、ゲーツは前に進んだ。木々の合間を縫って、やがて草地に抜ける。そこで馬に声をかけて、徐々に速度を上げていく。なだらかな起伏の遥か向こうに、マグ・イーレの灯りがうすぼんやりと見えていた。
――リラさんちの石小屋はとっくに過ぎている、いけるかもしれない。
ゲーツは馬を励まして、疾走させた。後ろからはやはり喧騒が聞こえてくる、振り切るまではできなかったのだ。
――俺はいったい、何をやっているんだ。
汗が目に入った。たくましい馬の背も汗で濡れ、ゲーツの内腿もじっとりとして気色が悪い。
――このおっさんをひと思いに殺して転がしておけば、エノにやられたと誰もが思う。俺は独りマグ・イーレに逃げ帰り、グランと仲良くやればいい。
ずるり! 王が落ちそうになり、ゲーツは慌ててその帯を支えた。
――あるいは回れ右をして、エノにランダルを突き出せば、こっそり裏切ったこともふいにしてくれるかもしれない……。俺は勝ち組の海賊様の側に戻れる、ってわけだ。
手綱を再度、強く握りしめる。
視界いっぱいに世界が広がった、ごくわずかな曙光の明るさを感じる。もう、夜明けが迫っているのだ。
この丘を下れば、そこはマグ・イーレの始まりだった。草地を横切って街道に上がろうかと考えた時、不意に市門近くで何かがうごめくのが見えた。そして、そこには――。
「……え」
すさまじい勢いで、十余騎の騎馬が飛び出して来た。ゲーツの方をまっすぐ目指して、横一列となり駆けてくる。
それが、すれ違いざまにさあっと二手に分かれた。
ゲーツは唖然とした。
濃灰色の外套と鎖鎧、黒羽飾りのついた兜で完全武装した騎士たちの姿、その後ろには軽装の傭兵たちが乗っている。
思わず馬足を止めかけて振り返ろうとした時、甲高い怒鳴り声が上がった。
「そのまま市門へ突っ走れ、ゲーツ!」
そう言って最後尾を駆けて行ったのは、小柄な騎士だった。
「グラン!!」
目の下まで鎖鎧に覆われてはいたが、それはグラーニャに間違いない。
白銀の兜に白い羽飾りがひらめき、純白の外套が曙光に浮かぶ。グラーニャが駆っているのは、白馬のポネコだ。
真っ白なその姿は、騎士達とともに遠ざかっていく。そしてエノ達との衝突音が、鈍く彼方で響いた。
ゲーツはがむしゃらに走る。そしてついに開かれた門に辿り着き、怒りにまかせて怒鳴った。
「くっっっ……王を、連れ帰ったぞ!!」
わらわらと寄ってきた守備役の同僚たちが、一瞬ひるむほどのけわしい形相である。
久し振りに外側に放出した感情がたぎったせいで、祖母に禁じられていた呪われし汚い言葉を、ゲーツはうっかり言いかけてしまった。
――くそッッッたれ王!! この馬鹿げた荷物のせいで、俺は、俺のグランの晴れ舞台に後れをとった!!




