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24. 陰湿なるランダル王のささやき

 同日の午後一番に、ランダル王の一行はテルポシエを後にした。


 王を囲む近衛騎士が八騎、相変わらずゲーツはしんがりである。ランダルのすぐそばを、近衛騎士長ディルト侯が行く。他の者は顔も名もほとんど知らない連中ばかりで、皆ゲーツを黙殺しているような妙な雰囲気があった。途中、会話を交わす者もおらず、行軍はまるで葬列のような静けさである。


 帰路の一日目は、静かなうちに何事もなかった。しかしオーランに宿を取って明けた翌日、風が出て雨がしとつき始める。もちろん行軍に支障はないが、ゲーツはニアヴの船が心配になった。順調に行けば今日中にマグ・イーレ港に着くはずだが、相当に揺れるのは間違いないだろう。特にあのぼろ船では……!



「浮かない顔だね?」



 いきなり言われ、内心だけでぎょっとしたゲーツが顔を上げると、先頭部分にいたはずの王がいつの間にか側に来ていた。


 外套の頭巾をすっぽりかぶった中から、ランダル王は陰気なぼそぼそ声で続けてくる。



「何を考えているんだい」


「……海の心配をしていました。この風では、王子様方の船も、王妃様の船も揺れるだろうと」


「ティルムン通商船なら、このくらいではびくともしないよ。あの大きさだからね。まあ、ニアヴの方は……何とも言えないけれど」



 青白く肥ったランダル王は、そこでひひひと妙な忍び笑いをもらした。



「風くらい、嵐くらい何だね。生きて帰りつくことができれば、御の字じゃないか」



 その意味をはかりかね、ゲーツは黙っていた。するとランダル王は外套頭巾を少し持ち上げて、街道から時々垣間見える海の方を見やったらしい。



「ほうら、ファダンの岬を越えるぞ。今夜は、ガーティンローの少し先で宿泊だ」




・ ・ ・ ・ ・




 ランダル王が言った通り、一行はガーティンロー大市ではなく、その先の小さな村で足を止めた。雨はやんでいたが道はぬかるみ、夜のとばりの中、じっとりと冷たい空気が淀んでいる。


 小さな村の小さな宿に、十人もの騎馬一行が来るのでは大変である。あるじである小太り親父は、あからさまにうろたえていた。部屋数が足りない、いや寝台数すら足りないのかもしれない。


 今日は厩に寝るよう言われるかもしれないな、とゲーツは腹をくくっていた。明日はまたグラーニャの所で寝られるのだから別に構わない、そう呑気に考えて馬の世話をしていると、騎士のひとりが呼びに来た。



「陛下がお呼びだ」



 宿の居間は、むっとする暖かさだった。大きな暖炉に火が入っており、そのすぐ前の安楽椅子にランダル王が座っている。くつろいだ姿で、短衣の腹部分は大きく膨らんでいた。



「来たね。ここに座って、いいから」



 そう言いつつ、すぐ側の腰掛を示す。


 居間の中には五人の近衛騎士たちがいたが、王とは少し間を開けて座っている。ゲーツはためらいつつ、腰掛に座った。



「ゲーツ・ルボというんだったね。この仕事は長いのかい」


「……はい」


「ずいぶん色々な場所を巡ってきたようだが、今まで働いた場所をすべて覚えているのかな? そして、それをニアヴには言ったのかな」



 独特の喋り方と抑揚だ。しかも、問うていることの意味がよくわからない。ゲーツが戸惑ったままでいると、ランダルは向こうをむいて、小さなくしゃみをした。



「失礼。ニアヴはね、君を雇った時に採用の理由として、諸国での経験豊富な手練れだからと言ったんだ。だがそれが本当なら、君みたいな有能な男が、うちの薄給で雇われてくれると言うのは、変な話じゃないか」



 ランダルは再びくしゃみをする。手巾を取り出して、優雅なしぐさで鼻をかんだ。



「だから私は、君がマグ・イーレに来た本当の理由を知りたいのですよ」


「……職探しの流浪に疲れたからです。それに、マグ・イーレは居心地の良い国ですから」


「居心地がいいのは、マグ・イーレじゃなくて、あの子の寝床でしょうが」



 要人の前では特に、自分の表情のなさが重宝するとゲーツは自負している。


 だからゲーツは今回も、何も言わずにいた。


 ランダルの虚ろな瞳が真正面に控えている。王は再び、手巾を鼻にあてた。



「あのね、私は猫が大の苦手なんだ。あの体毛のせいなのかな。飼っている人間が近づくだけでも、くしゃみが止まらない」



 音をたてて、鼻をかむ。



「君のような傭兵が猫を飼うわけがない。となると、あの子のぶす猫に行きつくんだよ。……証拠としては、弱いかな」



 ゲーツは黙っていた。



「でも、別にそれはいいんだ。石女うまずめだから、疑惑付きの庶子が生まれる心配もないし、大金がかからない限りは好きにしてくれて構いません。あの子は、最後の最後でテルポシエ対策の切り札になる可能性もあるからねえ。まあ、罪人の身分でこれだけ良い暮らしをさせてもらっているんだから、本人も文句は言えないでしょう」



 罪人、というのが引っ掛かったが、ゲーツは黙っていた。一方でランダルの話は止まらない。



「それにしてもだね、テルポシエというのは全くもって好かない国だ。滞在中、一応の挨拶と言う形で、宮廷を訪問したのだが。まあどこもかしこも広い所にごてごてと飾りをくっつけて、気が詰まりそうだったよ。若い王君とその摂政と、それから妹姫に会見したのだけど。……君、私の驚きが想像できるかな? エリンちゃんというその娘がね、粗相をしてマグ・イーレに来た頃のあの子に、生き写しなんだよ。いやはやたまげた、おばと姪とであそこまで似るものかね」



 ゲーツは何とか黙っていた。



――港で見た、あの娘だ。



「それで私はようやく、前テルポシエ王の死んだ理由に見当がついたのだよ。自分の娘が、その昔捨てた女に日に日に似てくるとあれば、男なんて発狂するもんじゃないかね? その妻だって悲痛なもんだ、長年崇拝してやまなかった夫が、実は王座目当てで自分を選んだだけと知れたら。しかも、自分が第一子を宿していた頃、夫は妹とも寝ていた――そんな屈辱を耐えられる器ではなかったのだろうね、女王陛下は」



 難解なぼそぼそ調に何とかついて行きながら、ゲーツはひたすら耐えて黙っていた。



「ま、帰ったらあの子に伝えてやりなさい。話の出どころが私なのはうまく隠してね。その前にニアヴのことでまたしばらくふさぎ込むだろうから、慰めるのは君の役目ですよ」


「……?」



 さすがにこれは、全くもって意味がわからない。


 王は嬉しそうな顔で、そっとゲーツに向かって屈みこむように寄ると、囁いた。



「君の仲間にね、ちょっと手を回しておいたんだ。ニアヴの船は、今頃は海の藻屑と消えているだろうよ。あのいまいましいでぶ女房を、ようやく見ないで済むようになる」



 ゲーツの背筋に、冷たいものが走った。



「ふふ、私にもね、貧弱ながら後ろ暗い情報網くらいはあるんだよ。……それに、テルポシエやガーティンローに入ったエノの者たちをちょっとつついてみたら、君らしき男を我が国に送り込んだと言うじゃないか。表向きは流れの傭兵、その実は間諜として。それを聞いたついでに、今回王妃様が手薄な警備でのこのこ帰途につく所だから、襲うなら今ですよとそそのかしておいたんだよ。彼らは海上でも陸路でも、実に柔軟に動いては略奪をするからねえ」



 かなり遠くで、悲鳴のような声が上がった。空耳だろうか。



「……自分は、エノの手の者ではありません」


「いやいや、しらばっくれてもだめですよ。君はどこまで、あるいはいつまで、私たちと一緒にいるつもりか知らないけれど。こういった諸々の事情をよく飲み込んでくれるなら、私はエノとの共存もあり得る話だと思っている」



 また悲鳴が聞こえた。今度は近衛騎士たちが立ち上がり、何人かが居間から出て行こうとする。その扉が勢いよく開いて、宿屋のあるじが怒鳴った。



「村の北から、賊が!!」



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