23. 王子たちのティルムン留学出立
「見たか? 公共の厩舎でさえあんなに馬鹿でかいんなら、城の中のはどんなに……!」
傭兵のひとり、若いエンジが興奮ぎみに言った。
「厩舎だけじゃねえや。店も家も、華々しくてごつい建物ばかりだ。この宿だって、相当なもんじゃねえか~?」
もう一人のゾートも言う。二人ともマグ・イーレ西部の農村出身で、他の都市に来たのはこれが初めてと言うから、いかにもお上りさんになってしまうのは仕方ないかもしれない。
テルポシエ到着後、三人の傭兵は街はずれの宿屋をあてがわれ、滞在中は馬の世話を言い付けられていた。王はニアヴと合流し、近衛騎士たちに守られて、格式の高い宿に滞在している。さすがにこういった場では、ある程度の出費をしておかなければ王族の体面が保てないのだろう。
ゲーツはひとり、露台に出てみた。暮れかけた晩秋の夕陽が、大港湾都市を赤く染め上げている。
ガーティンローよりはるかに多い釣り下げ植木鉢が微風に揺れ、あふれるように咲き誇った花々が、まるで炎のようだった。
――テルポシエ人が園芸好きというのは、本当なんだな。じきに冬が来ると言うのに。
建物の屋根に樹を植えている所が多い。テルポシエの城を遠景に見る。難攻不落の貫禄を示しているこの巨大城塞からも、窓や露台など、ところどころに豊かな緑が吹き出しているのが垣間見えた。
――こんな所、本気で攻めるつもりか、グラン。
このまま穏やかな天気が続けば、定期通商船は四日後に出航し、フィーランとオーレイの門出の時となる。
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十頭の馬の世話というのは、相当に骨の折れる仕事だ。
慣れないテルポシエの厩舎で機嫌を損ねている馬も多く、ゲーツたち三人の傭兵は代わる代わる近郊の浜辺を走らせる。
そうこうしているうちに、ティルムン行通商船の出航する日が来た。テルポシエらしく、小雨がぱらつく日である。乗船が開始される時間までにも、降ったりやんだりがせわしない。
久しぶりに護衛の任務についたゲーツは、近衛騎士たちの後方にいた。目立たないようにしながら、周囲に目を配っている。これだけマグ・イーレ騎士がかたまっているのだから加えての護衛も必要なさそうだが、大きな港いっぱいに人があふれていた。用心に越したことはないのである。
そのマグ・イーレ騎士らの群れの中心に、一張羅に外套という出で立ちのランダル王とニアヴ妃がいた。その傍らにひとり、高官らしき長身のテルポシエ騎士が付き添っている。当地の正規騎士のお仕着せである草色の外套が、湿気にくすぶった港の中でもあざやかだった。同様の草色外套を着た騎士たちが、そこかしこに見える。港には見送りの市民たちも多くいるのだが、雑踏の中でもテルポシエ騎士たちの上質な外套は、ぱりっと群を抜いて際立っていた。
マグ・イーレの近衛騎士たちも、大事に携えて来たらしいお仕着せのよそゆき外套を一様にまとってはいる。しかし濃ねずみ色のみすぼらしい生地は、ゲーツですら値打ちの知れるような代物であった。これまでの道中のように、皆ばらばらに自前ものを着た方がまだましかもしれない。
王はテルポシエの高官と鷹揚に話しているようだったが、ニアヴは息子たち二人を言葉少なに見つめ、時折肩や手に触れている。
とうとうフィーランが、思い切ったように母を抱き締め、父に深く一礼して甲板への渡し板を踏んだ。慌ててオーレイがそれに倣う、こちらは満面の笑顔で、冒険に乗り出すのが嬉しくてたまらないといった感じである。同行する三人の貴族の少年たち、目付役の若い騎士三人が、続いて乗り込んでゆく。
渡し板が片付けられ、人々の間にざわめきが起こる。ついにもやい綱が解かれ、通商船は動き出した。
ティルムンまでは二週間以上の長旅である。ゲーツは後ろで組んでいた左手の指を交差させ、こっそりと傭兵特有の幸運の祈願をかけた。
そして再び、周囲に視線を走らせた――その時。
港の組合があるという建物の露台に、前に見た時になかった人影があった。
ゲーツは凍りついた。
思わず目をこすり、そして再度露台を凝視した。離れたところだったし、その人物は目立たないように立っているようではあったけれど、ゲーツは確かに見た。
グラーニャが、……いや、グラーニャそっくりの少女が、出航する船を食い入るように見つめていたのである。親子か姉妹でもなければ、ここまで似せることは不可能だろうというくらい、おもかげが同じだった。
さりげなく人の間を移動して、ゲーツはさらによく観察した。
年は十一、十二といった所だろうか。すらりとした白い長衣を着て、恐ろしく長い髪が腰のあたりまで伸びている。ちらちらと輝く白金の髪は、まさしくグラーニャのそれだった。
侍女だろうか、ずっと大人びた雰囲気の背の高い娘が脇に控えている。また、反対側には年かさの少年が立っていた。グラーニャ似の少女は、時折その少年を振り仰いで何か喋っているようなので、家族なのかもしれない。三人の身分が高い、ということはたやすく知れた。
だが、やがて少女たちは屋内へ引っ込んでしまう。
港へと目を戻せば、いつしか船は遠くにかすむ影になっていて、見送りの人々もぞろぞろと帰り始めていた。
こっそり元の立ち位置に戻ると、ランダル王はまだテルポシエ騎士と話し続けていた。ニアヴだけが海上を見つめたまま、ぽつねんと立ち尽くし、手持無沙汰の近衛騎士たちががさがさと帰りたい素振りを見せているのにも、頓着していない様子だった。
・ ・ ・ ・ ・
その夜、宿屋に戻っていたゲーツたちに、追って近衛騎士から通達が下る。繰り上げて翌日になった、出立に関してだった。
「傭兵エンジ、傭兵ゾートの両人は、ニアヴ妃の護衛として船で帰国。傭兵ゲーツは往路と同様、陸路で王の護衛」
そう言われて、三人の傭兵は、皆おやっと思う。
「良いんですかい? あたしらが船で楽をしちまっても」
連絡に来た騎士に、ゾートが問うた。
読み上げた筆記布から目を上げて、まだずいぶん若いその騎士はうなづく。
「はい、王子様のご一行が八名抜けて、船にかなり余裕ができましたので。フィーラン様と、エンジさんゾートさんが使用した馬は、船で来ていた近衛騎士三名が引き継ぎます」
「じゃあ、ゲーツさんも一緒に、船に乗っけてってくれりゃあいいのに……」
「僕もそう思って確認したんですが……。近衛騎士長のディルト老侯じきじきに、この通りにしてくれと言われまして」
彼自身も納得していない様子だった。それにしても、やたらもの腰の柔らかい青年である。童顔を曇らせて困っているのが気の毒になるくらい、人のよさそうな相だった。上背はあるが、いかにも文官、というひょろひょろ型である。
「……自分は、全く構いません。そのようにして下さい」
ゲーツがそう言うと、騎士はほっとした様子になる。出立時間と場所を念押してから去っていった。
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翌朝。
ニアヴの船は昼前に港を発つという。ゲーツは他にすることもなし、傭兵の同僚ふたりについてさっさと宿を引き払い、一緒に港までついていった。停泊しているのは、年季の入ったマグ・イーレの国有中型船である。
今日も好天で良かった、とゲーツは思う。国有と立派なのは肩書だけで、船は荒れた海に乗り出すには、いささか不安な代物だった。
「あら、皆さん!」
ニアヴはすでに乗船していて、気さくに話しかけてくる。彼女の他には、昨夕連絡にきた感じの良い青年と、もう一人若い騎士がいるだけだ。
「ゾートさんとエンジさんが来たから、もう出航しようかしら!」
「え、これだけなんですかい?」
エンジが驚いた。
「船長さんと水夫もいますけどね。そう、これだけなのよ。ゲーツさんにも、来てもらいたかったのだけど……」
息子ふたりを旅立たせ、昨日はだいぶこたえた様子だったニアヴが、いつも通りに親し気に話してくれるのを見て、ゲーツは安堵した。
「ディルトがこうとしか聞いてくれなくて。ごめんなさいね」
「……いえ、自分は馬の世話係ですから」
船長とおぼしき毛むくじゃらの老人が、水夫に渡し板を外すよう指示をする。
「ゲーツさん、またすぐにね。本当に、気を付けて帰ってちょうだい」
出航する船を見送ると、ゲーツは東の市門近くにある厩舎へ向かった。




