20. 疑惑の護衛人選
二日後。王子渡航送迎隊の人員配備が正式に決まり、騎士団と傭兵団の双方に指令が出る。その名簿を見て、グラーニャは首をひねった。
船隊では、若手騎士たちが正妃ニアヴとオーレイ第二王子、および同行の少年たちを警護する。一方で陸路をゆくランダル王とフィーラン第一王子の護衛には、近衛騎士らに加え傭兵数名の名が連なっていた。そこにゲーツの名があるのだ。
――妙な人選だな……。何だこれは??
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「くじ引きだったんじゃないの~? この人選」
その日の昼餉の時間、ハナンは熱い豆の煮物をすすりながら言った。
「いや。ゲーツは実績もあることだし、やっぱり指名だろうよ」
ふすまぱんを噛みながら、ジーラが反論する。
毎度のことで、この二人と食卓を囲みながら、ゲーツ自身も困惑していた。今回の行軍にはゲーツともう二人の傭兵が参加させられるのだが、別の傭兵組に属する男達で、特にこれと言って腕が立つわけでもないらしい。
「まあ、テルポシエまで順調に行って二日半。むこうに八日間滞在して、帰って来て、半月くらいの出張ってわけだろ。時間外勤務で、少し余計に稼げる機会じゃない。ゲーツ」
人選にキルスが関わっているとしたら、たぶんその辺りが理由なのだろうと、その時のゲーツはさほど深くは考えなかった。
一定料金内でそれ以上のお得な働きをする男、それがゲーツ・ルボだ。だが、半月グラーニャと離れるのもかなりの苦行に思えた。ふと気が付くと、ハナンとジーラがじっと自分を見つめている。
「……何」
「いや、お前が珍しく渋面作ってるな、って感心して……」
「お豆が苦手なら、俺にちょうだい?」
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渋面は、グラーニャも作っていた。
怒った時でも美しい女だが、眉間にしわを寄せると額に亀裂が入ってしまい、老けて見える。やめろと進言したいのを、ゲーツはぐっと我慢した。
うすら寒い夜の部屋、グラーニャは寝台の端に腰掛け、両腕いっぱいに巨大猫こうしを抱えている。
萌黄色の夜着を着て(ゲーツが知る限りこれが最も可憐に見える、唯一の女性服姿なのである)いるが、白黒ぶちの巨大な毛玉が邪魔だった。
「キルスは俺同様、留守役で人選には関わっていない。そもそもこの隊の準備はニアヴ達の手を離れて、近衛騎士長のディルト侯が仕切っているのだ。もしお前のことを誰ぞが邪魔と思っているなら、こっそり始末する気でいるかもしれん。気をつけろよ」
「……グランとのことが、王様にばれてるのかな」
質素な居室にひとつきりの、椅子の背に両手をもたせかけてゲーツはぼやいた。
「……この国で、不義密通はどんな刑になるんだ」
「これと言って聞いたことがないな。王本人が三人も娶っておいて、その逆をどうこう言うというのは、傍から見てもみっともないだろう」
それは正しくそうなのだが、心のどこかでゲーツは危惧してもいた。
例えば自分が死に、キルスやウセル、ニアヴといった味方がいなくなってしまったら、グラーニャはマグ・イーレから簡単に放り出されるのではないか。意志は屈強な女だが、身体には限界がある。
自分が一念発起して死霊になり、近辺を護れればいいが、そうなると今度は肝心の同衾ができなくなる。どころか、彼女が他の男と一緒になるのを見守る羽目になりかねない。この案は駄目だ、絶対に駄目だ。生きて、側にいてこその物種である。
「本当に気を付けるんだぞ、ゲーツ。無事に生きて帰って、俺の野望達成を手伝え。あの都市……テルポシエを、恐怖のどん底に突き落とした後、全てを分捕ってニアヴにやるのだ」
薄笑いを浮かべてこれをいう時、グラーニャは結構な邪悪さを醸し出す。それでも、まだまだ駆け出しの悪者ぶりでしかない。いつか、板につく日が来るのだろうか。
ぶにーん、と間の抜けた声でひとつ鳴いて、こうしがのそりとグラーニャの膝を降りた。すかさず右手を伸ばして、彼女の左頬に触れる。肌の接点でお互いの体温が融けた瞬間、グラーニャの額の亀裂がふっと消えた。
「……とっとと行って、帰ってくる」
グラーニャの翠の瞳が、うなづいた。
「……グランと離れているのは、つらいから」
手のひらの中の女の顔は苦笑した。たぶん照れ隠しだ。
「ゲーツお前、……いつも通りの真面目な顔で、そういう素直なことを言われてもなあ」
――グランが惨禍を見たいんなら、俺は一緒に行くまでだ。例え、それを作り出すのが彼女自身であったとしても。
屋根の下、壁の中で暖かく眠ることができて、しかも腕の中に女がいる。これまで見た誰とも似ていない唯一の女、恐らくこれが自分にとっての最後の女だ。これまで生きてきた目的は果たしたし、グラーニャがこれから生きていく理由になるのだろう。だからゲーツは満足だった。
――ひとりの女のために生きるとは、俺もなかなか、出世したじゃないか。




