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13. ピクニック昼食は節約の基本なり

 重厚な市外壁にうがたれた市門をくぐる。派手見た目の臙脂えんじ色の外套を着た衛兵役の騎士らに、キルスが率先して丁寧に目礼をした。なにごとも問われない。ガーティンローの赤い街並みに入り、市門の脇にある公共厩舎に馬を預けた。



「ではこちらで、午後一番にまた」



 キルスはそう言うと、ひょろひょろした姿を大通りの人混みの中に紛れこませて、行ってしまった。


 マグ・イーレに比べても道々の幅がゆったりと広く、石だたみにもほころびが見えない。商家の軒先には赤い花々のあふれる鉢がどっさり吊り下げられている。そこかしこでは、華やかに着飾った老若の女たちが笑いさざめいていた。



「お前、ここにはどの位いたのだ? ゲーツ」



 グラーニャに軽い調子で話しかけられた時、ゲーツは護衛の定石として、その二歩先を歩こうとしていた。しかし自分の体躯でグラーニャを隠そうとしても、彼女はすぐに追いついて真左に寄り添ってしまうので、仕方がない。



「……二年間です」


「ずっと前か?」


「……はあ、かなり」



 それにしてもこの町は、自分がいた頃とは打って変わっている、とゲーツは思う。


 近郊にある貴石の採掘場のおかげで、ガーティンローには潤いと活気がある。だから次々に新しく外見を変えていけるのだ。



「俺は時々来ているが、すれ違っていたのかな」



 グラーニャは何気ない動作でふっと髪をかき上げ、耳にかけた。そこにいくつもの銀環と、小さな貴石とがきらめいている。石の名前や種類は、ゲーツにはさっぱりわからない。



「こっちだ」



 グラーニャはすいすいと歩いて行く。


 いつもと変わらぬ質素な男装姿に、うすい柳色の外套をふわりと引っ掛けている。道行く人々は、彼女を全く気にも留めないようだ。一方のゲーツは普段の墨染上衣に軽い革鎧という、いかにもな傭兵姿である。同業者がちらほらいるガーティンローの街で、まず浮くことはない。  



「実家にいた時、世話になっていた侍女の娘がここに住んでいるのだ。俺は実家からは断絶同然だが、昔の知人筋と付き合い続けることまでは咎められない。だから時々、話を聞きに来る。公の使いが伝えてくる言葉や親書だけでは、とても情報が足りないからな」



 実家、というとどうにも地味に聞こえる。しかしグラーニャの場合、実際にはテルポシエという国であり、その王室のことだ。



「……昨日の件についてですか」


「そうだ」



 グラーニャは小さな一軒家の前で立ち止まると、扉を軽く叩いた。



「ゲーツ、お前も一緒に来い。キルスには、しじゅう玄関先に突っ立っていたと言えばいいからな」



 すぐさま扉を開いて、中に招じてくれたのはでっぷり太った年かさの女である。



「姫様、お待ちしていました」



 入ってすぐの所は工房のようで、何に使うか知れない大小さまざまの道具類が、小さな炉端の周りに置かれていた。



「主人はお得意様の所ですから、どうぞお気兼ねなく」



 裏側にある台所の食卓につくと、グラーニャは目配せをしてゲーツを隣に座らせた。



「このメリウは、俺の侍女だったネリウばあやの末の娘だ。ネリウは今でも城内で働いていて、城下の長女夫婦と暮らしている。その長女がメリウに便りをよこして、俺に色々と伝達してくれるのだ」



 がたがたと木箱のふたを開いて、メリウは中から取り出した幾枚かの通信布を卓上に並べた。



「こちらが半月前に、そしてこれが二日前に届きました」



 グラーニャは、示された順に布切れを手に取った。


 はじめ平然としていたグラーニャが、次第に緊張していく。すぐ隣にいるゲーツには、その気配がよくわかった。さすがに便りを横からのぞき読むまではできないものの、呼吸の仕方から、グラーニャが動揺を押さえつけているのが感じられる。


 やがて大きな溜息をつくと、グラーニャは静かに立ち上がった。



「お姉様のことは、心からお悔やみを申し上げます」



 心配そうな顔のメリウが、両手を揉みしだきながら、絞り出すように言った。



「ありがとう、メリウ。また近いうちに、お邪魔するかもしれない。……行こうか、ゲーツ」



 脇に置いた長剣を掴んで、慌ててゲーツも立ち上がった。




 メリウの家を辞してから、暫くの間グラーニャは無言で歩き続けた。もう少しで市門に出るという区画で、ようやく「ゲーツ」と声がかかる。



「そこの高台に行こう」



 初夏の日差しが高くなっていた。菩提樹てぃゆうるが何本か植えられた一画に、小さな飲料水の泉があることは、ゲーツも憶えていた。真っ黒な石の怪物像が、変わらぬ姿でごぼごぼと清流を吐き出している。


 グラーニャは、肩に提げていた袋の中から革の水入れを取り出して中に水を受け、いっぱいになると口をつけた。ゲーツもそれにならう。正午の鐘が、遠くで響いた。


 グラーニャは木陰の石台に腰掛け、ここでも隣に座れと目線で示した。高飛車な印象はないのだが、むしろあまりに自然にふるまわれて、ゲーツの方が疑問を感じる。



――あのー、皆さん、ここにいらっしゃるのはマグ・イーレ第二妃のグラーニャ様です。隣に座っちゃってますが、俺は護衛の傭兵ですんで、そこんとこよろしく……。



 まばらな人通りに向かってそう叫んだら、どういう反応が返ってくるかと、ばかばかしい想像がゲーツの脳内をめぐった。誰も真に受けないんじゃないのか。それほどグラーニャのたたずまいは地味で素朴で、さらに目立たなかった。


 当のグラーニャは屈託なく、袋の中をごそごそ探っている。



「リラが、何か包んでくれたのがある。食べるかゲーツ?」



 木綿の布巾にくるまれていたのは、山羊の乳蘇ちーずを挟み込んだふすまのぱんだった。 



「やはり美味いな、リラの処のやぎは器量よしだ」


「……器量が良いと、乳もうまいんですか?」 



――というか、山羊の器量って何だ。



「うむ。あそこのやぎは人に慣れていて、みなかわゆいのだ。乳を搾る時にも自然と優しくできるから、味がまるくなると爺さんが言っていた」


「……実家の山羊は、いかつい奴らばかりでした」


「何! ゲーツはやぎを飼っていたのか?」



 そこからしばらく、ゲーツは故郷の話をさせられた。


 話下手を自覚している上に、相手はグラーニャだ。すぐ脇で同じ物をぱくついているとは言え、仕える先の王妃様であることには変わりない。頭と舌がもたつく。 


 けれどグラーニャは、「へえ」、「それで」と、やたら聞き上手だった。本当に興味を持って、聞き入っている様子なのである。



「そうかそうか、フィングラス方面のやぎは、こちらのとは全然違う毛長種なのだな!」



 しまいには一人で感心しきっていた。



「……王妃様は、動物が好きなんですか」



 こちらとしても、だいぶ気負わず話せるようになってきている。



「王妃様はやめろ。グラーニャで良い」



 ふっと笑った。



「うむ、生き物はたいがい好きだ。もじゃもじゃ毛深いどうぶつが、特によい。あまり珍しいものは知らんのだが、へやでねこも飼っている。オーレイが城下で拾ってきたのを、そのままくれた」


「……オーレイ?」


「継子だ、小さい方の」



 一瞬たって、それがニアヴ妃の下の息子、第二王子のことなのだとゲーツは気づく。グラーニャがしょっちゅう一緒に連れている、あの爆発とび髪の少年である。



「それはそれは立派な白黒ぶちでな! 牛っぽいから、【こうし】と呼んでいるのだ。今度、俺のへやに見に来い」



 山羊同様、ゲーツの頭に牛と言って思い浮かぶのは褐色の毛長牛なのだが、そんなことは激しくどうでもよかった。 



――いや、へやに来いって……。



 ゲーツが内心、動揺の嵐に翻弄されているのに対し、当のグラーニャ本人は意に介した風もない。満足そうに水を飲んでいる。


 そして一拍の沈黙を置いてから、前を向いたままぽつんと切り出した。



「俺の姉と、義兄の死因がわかった」


「……え」



先ほどの訪問で読んだ、便りに関する話らしい。つまりはテルポシエ女王夫妻の死の詳細である。



「ここ数年ほど、義兄が病んでいたらしいことはネリウから伝え聞いていた。酒に逃げて、度を超した飲み方を続けたようだ」


「……酒毒で亡くなったんですか」


「いいや。心神を喪失するところまで飲んだ時に、姉と衝突したようだ。そのまま姉の居室の窓から、海に向かって跳んだのだという」



――それじゃあ、自死じゃないか。イリー諸国の≪東の雄≫と誇る、テルポシエの王が……?



「姉はそれを眼前で見ていたようだが、こちらも動転して倒れた。その時に家具に頭を打ち付けてしばらく寝込んだ。侍医の隙をついて緊急自決用の蘭毒を飲み、そのまま逝った」


「……」



 ゲーツは何も言えなかった。ぎざぎざの不揃いな毛先がグラーニャの横顔を隠していて、表情がわからない。



「こんな形で死なれてしまうとは、心外だった」


「……お悔やみ申し上げます」


「俺が殺すはずだったのだ」



 その言葉の意味というよりも、乾ききったグラーニャの低い声の調子に、ゲーツは内心で大いに驚く。ゲーツは静かに身を乗り出して、グラーニャの顔を覗き込んでみた。


 みどりの瞳の中で、怒りの炎が燃え盛っているようだった。さっきまで朗らかに話を聞いてくれていた女とは、別人のように見える。二人は束の間、見つめ合った。 


 やがて、グラーニャの表情がかたりと虚ろになり、ついで悲しげなままに微笑した。



「……さて。もうじきにキルスも戻るだろう」



 ゆっくりと立ち上がる。



「このすぐ近くにある書店をのぞいて、オーレイに頼まれていた本を探してくる。ゲーツは先に行ってくれ、午後一番に市門で落ち合おう」


「……ご一緒しなくてもいいんですか」


「いや、いい。人目の多い行きつけの界隈だから、危ないこともない。……では、後でな」



 くるり、と行ってしまった。


 その小さな後ろ姿を見送ってから、ゲーツも立ち上がった。優しい、柔らかい面があるとわかったが、やはりグラーニャは底の見えない女だ。



――けれど。



 市門に向かって歩き始める。昼の陽光はきらきらと眩しく、屋内や物陰のくっきりとした濃さを際立てる。



――俺はその底を、見たいと思ってるんじゃないのか?



 ふっ、と視線を感じた。


 極力自然にその方向へ目を向けると、男の影が狭い路地に消えるのが見える。近寄ってみると、その先にある商家の扉が、ふわりと内側から開け放たれたところだった。


 知人と呼べる程の者は、この街には既にいない。用心しつつ、近づいて行く。半開きになった扉越しに、小さな勘定台の奥で手を振っている男の姿が見えた。敷居の所までゆく。周囲に、他の人影は見当たらない。



「やあ、ゲーツ・ルボ」



 正しく発音された自分の名を耳にして、ゲーツはさらに緊張を覚えた。



「島で会ったはずなんだが、君は私を憶えてないだろうね。気にしなくていい、調子はどうだ」



 ゲーツは一挙に安堵した。



「……ありがとう。順調に行っています」


「今日は、仕事で来たのかい?」



 暗がりに向かって、ゲーツはうなづいた。



「そうかそうか、ご苦労さん。じゃあ、あんまり引き留めちゃいかんな」



 男がそう言った時、午後一番の捨て鐘が、ごおんと鳴り始めた。



「時期が来たと見えたら、いつでもマグ・イーレの奴に合流してくれよな。港にいるよ」


「……ええ。……それじゃ」



 ゲーツはきびすを返して路地を後にし、市門を目指して大股に歩いて行った。




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