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10. マグ・イーレ第二妃

 ごおん……!!


 あてがわれた傭兵宿舎の一室からゲーツが出たとき、町に時鐘が低く響いた。


 マグ・イーレ大市は海にほど近い。しかし丘の上にそそり立つ城を中心に、二重に張り巡らせた城壁の中では視界が遮られる。ごちゃごちゃと重なる建物が邪魔をして、海の眺望がこれほど臨めない港湾都市も珍しかった。


 内側の城壁は居住のできる砦状のつくりになっていて、傭兵のほとんどはこの一角にまとめて住まいを与えられているらしい。



「よう」



 声をかけられて振り向くと、昼間叩きのめしたのっぽ二人のうちの一人、丸刈り男だ。



「あんたも食事かい」



 屈託なく話しかけてくる。



「……右手は?」


「ああ、もう何ともないよ。あんたこそ、大丈夫か? 俺は見てないけど、グラーニャにこてんぱんにやられたって皆に聞いたぞ」



 ゲーツは黙ってうなづいた。そのそっけない動作を、どうとるかわずかに躊躇したらしい。丸刈りは首を傾げていたが、やがて続けた。



「俺はジーラだ」



 城へと続く、石畳の路地をともに歩く。


 さっきの鐘を合図に、どこも店じまいの喧騒で忙しい。外側に張り出した品物や陳列棚をばたばたと片付けて、外扉を立てつけようとする者たち、それらを避けながら行き交う女房や職人風の人々。


 小国とは言うが、城壁内の街の中には、およそ二万の民がひしめき合って暮らしているのだ。そして城下一帯は夕餉どきである。晩春の薄闇の中、家々の台所から漂ってくる匂いが、次々とゲーツの鼻腔をくすぐる。多くは潮の香りが混じっていて、魚料理らしかった。そんな騒がしさをものともせずに、ジーラは道々自分の話をする。


 マグ・イーレには二年ほど前にやって来た独り者で、以前は北の山地で農夫をしていたと言う。



「家には老いた両親を残してきたがな、今はこれといって戦の気配があるわけでなし、いい出稼ぎになっているよ」



 いくつかのイリー都市で傭兵として雇われてきたゲーツには、マグ・イーレの出す報酬がとんでもない安価であるとわかっていた。それでも、その安さに見合う楽な仕事であるのなら、悪くないかもしれないと思っている。



「けどな。ほれ最近は、例の海賊ども……何と言ったかな。徒党を組んで、周到な略奪をする奴らがいるじゃないか。そいつらの一派らしいのが、テルポシエやオーランの方にも現れて物騒になってる。うちのお偉いさんたちは、それに少しでも備えようとしてるんだろう。だからあんたも歓迎なんだ。いい時に来たよな」



 城の内門をくぐり、地上階にある食堂に入る。長い食卓二つにはすでに二十余人が着席していて、思い思いの礼儀作法で食事をしていた。


 角にある大鍋を載せた台の前で、大柄な女が傭兵達に椀を配っている。ジーラに導かれて、ゲーツも椀によそってもらった。野菜の煮込みの中に、麦の粒が浮いている。



――期待はしてなかったはずだぞ。ここはマグ・イーレだ。



 席に着くと、横から「よう、よう」と声がかかる。新入りの自分に対して、猜疑心や敵意を投げつけてくるような雰囲気は全くなかった。



「やあ、俺もいい?」



 滑り込むように隣に座ったのは、ジーラと一緒に手合わせをした男だ。長い髪をひっつめて、女のように頭頂でまとめている。顔の下半分は、ものの見事にごわごわした褐色の髭に埋もれていた。



「ゲーツ、つったっけ? 俺ハナン、よろしくなー!」



 途端、ものすごい勢いで椀の中をがっつき始めた。ジーラも同様である。一瞬呆気に取られたが、ゲーツもともかく啜ってみた。



――あれ?



 不思議と、匙の止まらなくなる味だ。見てくれは貧弱そのものなのに、これまで各地で食してきた賄いの中でも、群を抜くうまさだった。



「うまいだろ、ここんちのめし?」



 ハナンが目を細めて言う。



「俺、ここに来て一年半経つけどさ、毎日めしの時間が楽しみなんだ」


「ああ、俺もそう思う」



 ジーラもしみじみ頷いた。


 その時、ふっと気配がして、真横に誰かが割って入る。目の前に、黒々としたぱんの入った籠が置かれた。顔を見上げると、何とニアヴ妃である。



「たっぷりありますからね、皆さんどんどん召し上がってね」



 はきはきと、だが親しみのある声で言うと、礼を告げる暇も取らせずに行ってしまう。


 驚きの表情こそ出さないものの、ゲーツが固まっているのを見て面白く感じたのか、ジーラがくすりと笑って言った。



「あの人は、良い人だ」


「……王妃様なのに、傭兵の給仕をしてるのか」


「給仕だけじゃない。机仕事も洗濯も武器の手入れ発注も、ニアヴ様は何でもかんでも率先してやっている。もちろん一人でやるわけじゃないが、他の奴に任せっぱなしにしない人なんだ」


「……そんなに金がないのか、この国は」


「ようやく喋るようになってきたな、あんた。うむ、金がないのは誰が見てもわかることだが、あの人はそれを別の形で補おうとしてるんだ。それ以上に、元々ができた人だ」


「旦那とは雲泥の違いだよね」



 低く落とした声でハナンが言う。



「ゲーツさ、うちの王様のことは知ってて来たのかい?」



 ゲーツはかぶりを振った。



「……少し、病がちとしか……」


「うん、それは本当だ。だから公の場にはほとんど出てこないよ。俺らは、ニアヴ様の言うことだけ聞いてりゃいいんだ」



 さらに声を落とし、もじゃもじゃの毛深い顔を寄せてくる。



「城の裏に離れがあるんだけど、王様はそこで第三妃と暮らしてんだよ。ニアヴ様や王子様たちとは、食事も別々」


「……へえ」


「俺は見たことないんだけどね。この第三妃ってのがもう、絶世の熟美女らしいよ、ふぉふぉふぉ」



 ハナンの語尾がいささか下卑る。つられてジーラもにやにや笑っていた。



――三人も妃を持つとは、貧乏国なのに何という贅沢をする男だ。というか本当に病なのか。



 色々な意味でゲーツは憤慨し、同時に引っかかる。……あれ? 第三妃・・・??



「……それじゃ、第二妃もいるのか」


「いるぞ。ほれ、あそこの奥」



 示された方に首を伸ばした途端、ぎくりとした。 


 二人の少年に挟まれる形で、あの痩せぎすの女が黒ぱんを頬張っていた。練兵場で案内をしていた少年と、もう一人はやや年かさである。そこにニアヴが椀を持って加わり、何やら四人で談笑をしながら食事をつついている。



「もう会ってんだろ? うちの第二妃グラーニャだよ」



 ハナンは敬称もつけずにそう言う。



――あの、筋張った変な女が第二妃だと?



「……傭兵団長まで、王家の人間で自給するのか。ここの国は?」


「いや、グラーニャは好きで俺たちの鍛錬に参加してるだけだ。いざという時には、騎士団のお偉いさんが傭兵たちの指揮を執る」


「とりあえず、ニアヴ様の手伝いを色々してるって感じだよね。第二妃って言っても、実際にはあんまり権力はないんじゃないの」


「……あの、わけのわからん強さは何なんだ」


「俺に聞かないで。変わってて何考えてるのか全然わかんない人だけど、害はないよ」



――害がない、だと? 冗談じゃない、俺には大有りだ。



 昼間当てられた、拳の感触が顎にまざまざと蘇る。


 不覚を取られた、という悔しさではない。これまでにも女性の傭兵は何人か見てきているし、中には相当に腕の立つ者、頭の回る者もいた。彼女らを、素直にすごいと敬えることも多々あったのだ。 



――ただあの女、グラーニャは。



 自分の中に未経験の違和感、いびつな感触だけを残していった……。内心で憤然として、ゲーツは目の前にある黒ぱんを取り、口に突っ込む。


 口の中でぞわぞわと転がるような食感の、粗末なふすまのぱんだった。 



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