第6話 覚醒
前園家の本宅は新興住宅地にあるウチとは違って、古くから栄えた旧城下町の一角にある。
黄土色の壁に囲まれた広い庭に松の木が生えている伝統的な日本家屋であり、祖先はこの地域を治めていた殿様に仕える武芸指南役だったらしく屋敷の中には道場も建てられている。
この道場、江戸時代には剣術の鍛錬をするためのものだったが、明治に廃刀令が出されて剣術をさっさと捨てた当時の前園家当主は、若い頃に清国の奥地を放浪して身に着けた古武術の道場に変えてしまった。
今ではすっかり地域に親しまれ、近所の主婦や会社員たちが健康増進のために通うジムと化しており、ネットでの口コミ評価もかなり高いらしい。
そういう俺も父さんの強い勧めもあって、小さい時から爺さんに古武術を叩き込まれており、今でも週末はここに通って指導を受けている。
そんな前園家本宅に俺たち4人が到着したのは朝の9時頃。正面玄関で靴を脱いでいると、それに気づいた伯母さんが割烹着姿で奥から出て来た。
「・・・あなたたちもう来たの。早いわね」
彼女は父さんの長兄の嫁の幸子さんだ。40代半ばの伯母さんはごく普通の日本人女性・・・ウチの母さんが外国人なのが珍しいだけなのだが・・・であり、本家を切り盛りしているしっかり者だ。その伯母さんがアリスレーゼの方をチラっと見たものの、すぐに母さんの方に向き直って用件を言うよう無言で促した。
「お義姉様、おはようございます。昨夜お電話した通りお義父様に相談があるのですが、今どちらに」
「はあ・・・エカテリーナさん、あなたは本当に礼儀作法がなってないわね。深夜にいきなり電話をかけてくるのもどうかと思うけど、昨日の今日でお義父様の予定を無理やり押さえるなんて、そろそろ日本の作法にも慣れていただかないと」
「・・・それは失礼しましたお義姉様。ですが午後9時は深夜とは言わないですし、お義父様からはすぐに来るように快諾をいただきましたので、お義姉様が心配なさることはなにもございません」
「お義父様はあなたに甘いから、無理をして予定を空けてくれたのよ。だからお義父様に直接お願いせず、先にこの私に話を通しなさい」
「ですがお義姉様にお話ししても、中々お義父様の予定を取っていただけないではないですか」
「それはお義父様が忙しいからです。全くあなたはすぐに口答えをするし、どうしてお義父様はあなたのような者をウチの嫁に迎えたのかしら」
またいつもの言い争いが始まったところで、俺は愛梨に合図を送り二人の間に割って入らせた。
「お母さんも伯母さんも、いつまでもこんなところで立ってたら疲れちゃうよ。早く中に入ろ」
愛梨はそう言って二人の背中を押すと、広間の方へと連れていった。
アリスレーゼは母さんと伯母さんの言い合いに少し面食らったようだが、それ以上に本宅に興味を持ったらしく、中をキョロキョロ見渡している。
「珍しいだろ、この家」
「中は全て木でできているのね」
「ああ。俺たちの家も実は木造だけど、内装が洋風だからアリスレーゼには違和感が少なかったかもしれないな。でも伝統的な日本家屋はこんな感じなんだ」
「わたくしはまだまだ日本のことを理解できてないようね」
「こっちに来てまだ2日目だし、ゆっくり勉強するといいよ」
「そうさせていただくわ。色々教えてねミズキ」
アリスレーゼを連れて広間に入る。部屋の真ん中には大きな座卓があり、その周りに座布団が敷かれている。本家では座る場所が決まっており、長男である俺が上座の向かい側に、その両側に愛梨とアリスレーゼが座る。
一方、嫁の母さんは台所に近い場所に座って、みんなの湯呑にお茶を注いでいる。
伯母さんは母さんの隣に座ってそれを当然と言った表情で見ており、それを憮然とした表情でにらみ返す母さんを見るに、本家の封建的なしきたりには全く納得していない様子だ。
もちろん、こんな古くさい風習は普通の日本人女性であっても絶対に嫌がるだろうが。
その時、廊下をバタバタと走る音が聞こえた。障子を力いっぱい開け放って入って来たのは、俺の爺さんだ。
「エカテリーナちゃん早かったな! 今日も相変わらずのベッピンさんじゃが、お客さんなんだからお茶出しは幸子に任せて、早うワシの隣に座れ」
上座に座った爺さんが隣の座布団をバンバン叩くと、母さんがニッコリ笑って爺さんに挨拶した。
「おはようございます、お義父様。もうお茶出しは終わりましたので、お言葉に甘えさせていただきます」
そう言って堂々と爺さんの隣に座る母さんに、ムッとした表情の伯母さん。本家に来るたびに繰り返されるいつもの風景だが、この嫁二人が仲良くなることは生涯ないだろうと俺は思う。
「さて、昨日電話で言っていたのはその子じゃな。名は何という?」
爺さんがアリスレーゼの方を向き直る。母さんからは電話で事情を聞いているはずだが、改めて挨拶をせよということだろう。
俺はアリスレーゼに合図を送ると、彼女は座布団から後ろに下がって設定上の自己紹介を行った。
「わたくし、アリスレーゼ・ステラミリス・フィオ・ティアローズと申します。お母様の親族であるティアローズ家に養子に出されておりましたが、東欧情勢の緊迫化に伴いこの度養子縁組を解消してお母様に引き取られる形で日本で暮らすことになりました。日本の常識はこれから学んでいきますので、ご指導賜りますようよろしくお願い申し上げます」
そして綺麗なお辞儀をして見せると、伯母さんが感心して思わず声を上げた。
「まあまあまあ、誰かさんと違って礼儀マナーがしっかりした素晴らしい娘さんじゃないの。ようこそ日本へ、ヨーロッパは大変だったでしょ」
よしっ!
伯母さん的には今の挨拶が好感触だったようだ。
事前にネット動画をアリスレーゼに繰り返し見せたかいがあり、アリスレーゼも手応えを感じたらしく、伯母さんの質問にアドリブで答えていく。
「はい伯母様。隣国が突然攻めて来たため、国民総出で死力を尽くして戦ったのですが、奮戦むなしく王都・・・いえ街が陥落してしまい、この世界・・・いえ日本に逃げてまいりました」
「まあっ! その戦争ってテレビのニュースで毎日やってるアレよね。本当によく無事に生きて逃げて来れたわね。でも日本に居れば安全だし、困ったことがあればすぐに伯母さんを頼るのよ」
これで本家の影の支配者である伯母さんを攻略することができたな。本丸を攻め落とせば、残る他のメンバーは特に問題ないだろう。事実、爺さんの方は終始にこやかな表情でアリスレーゼを見ている。
「幸子さんも気に入ったようだし、ワシももちろん大歓迎じゃ。アリスちゃんを我が前園家の娘として正式に迎え入れよう」
「ありがとうございます、お爺様、そして伯母様」
そしてもう一度きれいなお辞儀をして見せたアリスレーゼだった。さすが王女様はマナーが完璧だ。
しばらく世間話をした後、早速俺たちは爺さんとともに道場へと向かった。広間に母さんと伯母さんの二人を残していくことになるが、まあ大丈夫だろう。
庭に面した縁側を歩いて行き、本宅と別棟になっている道場への渡り廊下に差し掛かった所で、先頭を歩く爺さんが振り返ることなく俺たちに話しかけた。
「瑞貴、エカテリーナちゃんから事情は聞いている。ワシは異世界とか魔法とかのことはよくわからんが、アリスちゃんに気功術を教えてほしいと頼まれた」
「母さんはそんなことまで電話で話したんですか。じゃあアリスレーゼの正体のことも」
「本当の娘ではないのだろ。じゃがエカテリーナちゃんが面倒を見たいというのならワシは反対なんかせんし、こんな金髪美女がワシに弟子入りしてくれたら、さぞかしいい看板娘になってくれるじゃろうよ」
そして爺さんがこちらを振り向いてウシシとほくそ笑んだが、そんな態度に愛梨が怒った。
「お爺ちゃん! 金髪美女ならこの愛梨様がいるし、こんな女いらないでしょ」
「じゃが愛梨は練習に来んじゃないか。その点アリスちゃんは真面目に道場に通ってくれそうだし・・・さては瑞貴を取られると思って警戒しとるんじゃな」
「当たり前だよ! 愛梨はこの女からお兄を守る義務があるんだから! ・・・この女が道場に通うのなら愛梨も通う」
「ほほう、それは結構なことじゃ。看板娘が二人も増えれば、ネットの口コミ評価も急上昇間違いないな」
爺さん、ネットの口コミ評価を気にしすぎだよ。
俺たちは早速道着に着替えると、入口で一礼して道場に入る。今は平日の朝でスクール生は誰もおらず、完全な貸し切り状態だ。午後には近所のオバさんたちがやってくるけど。
道場の一番奥の床の間の前に正座した俺たち3人。爺さんはホワイトボードを持ち出して、人体の模式図を指差しながらレクチャーを始める。
「まずは気の流れについておさらいをしてみよう」
この古武術は、爺さんのそのまた爺さんが大陸で武者修行をした際に清国の奥地で習得したらしい。だが多くの中華拳法とはその流派を異にし、チベットやインドの流れをくむものだ。
その奥義は気功術にあり、気の力で身体能力を強化して必殺の一撃を繰り出す。
その名も「煌流翔波拳」。
ただしウェブ広告にはヨガスクールと銘打って、健康ビジネスとして展開しているが。
「つまり全身の気孔から吸収した宇宙の微を丹田に集めて自己の気に転じ、それを7つのチャクラを通じて全身に循環させ、攻撃あるいは防御に必要な身体の部位に集めて力と成す。これを発気という」
爺さんの話を聞いていつも思うことだが、この古武術は中華なのかチベットなのか、はたまたインドなのかがはっきりしない所が胡散臭い。だがそんなことを言うと爺さんが怒り出すので気にしないようにしてきたが、昨日のあの体験をしたことで爺さんの説明がやっと腑に落ちた。
やはり魔力のコントロールと爺さんの古武術には共通点がありそうだ。
俺は隣で正座をするアリスレーゼをちらっと見る。彼女は驚きの表情を浮かべながらも、爺さんの話を真剣に聞いていた。彼女も俺と同じことを考えているのだろう。
「それでは鍛錬を行う。・・・アリスちゃんは初めてなので、ワシの言う通りにやってみてくれ」
爺さんも含めて4人全員で座禅を組むと、俺は静かに目を閉じて一人鍛錬を始める。
まずはいつもと同じように心を無にして宇宙と一体化するイメージを持ち、大気中を満たす微粒子を身体全体で感じとる。それを取り込んでいくのだが、
ズズズズズ・・・・
おおっ! いつもは漠然としか感じなかった気が、今日はハッキリと感じられる。しかも昨日感じたマナと明らかに同じものなのが分かる。
よしよし、次はこれを丹田に集めて自分の気として練りなおす。
ゴゴゴゴゴ・・・・
凄い・・・下腹部の辺りから強いパワーを感じる。こんなことは今での鍛錬の中で初めてだ。
よし、今度はこの気を全身のチャクラに送るんだったな。丹田に加えて腹部2箇所に、胸部、頸部、眉間、頭頂部の全7箇所をつなぐイメージで。
・・・よしできた。
バリバリバリバリッ!
「うわっ!」
突然、全身を電撃が貫いたような衝撃が走り、俺は思わず座禅を崩して目を開けた。
「痛ってー・・・何だったんだ今のは」
大の字に寝転がって息を整える俺だったが、気が付くと爺さんと愛梨とアリスレーゼが驚きの表情で俺を覗き込んでいた。
「瑞貴、お前いつの間にそんなに上達したのじゃ」
「お兄、どうやってるのそれ。身体全体がうっすらと青く光っているよ」
「ミズキ、あなたはやはり魔力を・・・」
3人のこの反応を見るに、俺は気を練ることに成功したようだ。右手を見ると、昨日アリスレーゼから借りた指輪が青く光っている。
「よし瑞貴、そのままの状態を維持して、今からワシと組み手をやるぞ」
「組み手か。これまで爺さんには全く敵わないけど、今なら少しは身体が動きそうだ」
「ほう? そう思えるなら、何かが実感できているということだな。よろしい全力でかかって来なさい」
次回、爺さんとのバトル開始。お楽しみに。
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