第7話 王女の騎士
道場の中央で、俺と爺さんの組み手が始まった。
俺は子供の頃からこの古武術をやっているのだが、最近は週末にしか練習をしないため、爺さんはもちろん師範代や上位の門下生にも歯が立たない。
だが今の俺には、相手のわずかな動きすら手に取るように感じ取れる。だからこそ理解できた。爺さんの構えには寸分の隙もない、まさに達人の域だ。
そんな爺さんが先に仕掛けて来た。
瞬時に俺の間合いに入った爺さんが右手を突き出し、俺の胸部のチャクラめがけて掌打を繰り出した。全く無駄な動きのない高速の拳だが、その動きがハッキリ見えた俺は、それを軽くいなしてそのまま爺さんの側面に身体を移動させた。
そして爺さんののど元にあるチャクラをめがけて、掌打を繰り出す。
だが爺さんは事も無げにそれをかわすと、再び俺の胸部に手を伸ばしてきた。俺はそれも難なく避けたのだか、その時思わず声を上げてしまう。
爺さんの手の先が赤くボンヤリ光っていたのだ。
「これが気功術の正体だったのか・・・。爺さんの手の先に赤い光がうっすらと見える」
爺さんはそれを聞くとニヤリと笑い、
「瑞貴、お前にも見えるようだな。気の色は人によって異なるが、この赤い光はまさしくワシの気だ。お前もワシと同じようにやってみるがよい」
アリスレーゼと出会うまで、気の存在なんか本気で信じていなかった俺だが、幼いころから爺さんと鍛錬していたおかげで、やり方だけは身体が覚えている。
俺は全身に張り巡らせた気を右手に集中させた。
ズズズ・・・
気が体内の一方向に移動を始めると、俺の右手付近に集まり青く光り始めた。
「瑞貴の気の色はやはり青か・・・実に面白い。ではそのままの状態を維持してワシを全力で打ってみろ」
そう言って爺さんは仁王立ちに構えて腰を深く落とすと、両腕を交差させて俺の掌打を真正面から受ける体勢を作った。そんな爺さんの両腕が赤く輝きだし、俺は言う通りに全力で爺さんに掌打を当てた。
「はあっ!」
ドゴーーーンッ!
俺の全力の拳が爺さんが構える両手に触れた瞬間、信じられないようなパワーが炸裂し、衝撃音と共に爺さんの身体が宙に浮いた。
そして数メートルほど宙を舞った後、腕をクロスした体勢のまま着地してその構えを解いた。
「いきなりこれだけの力を出せるとは正直驚いたな。さすが幼少から鍛練を続けてきただけのことはある。では今度は両目、両耳に気を集中させて感覚を研ぎ澄ませ、余った気を四肢と体幹に割り振ってみよ」
「わかったよ爺さん」
言われた通り両目、両耳に気を集中させると、視界全体が一瞬青みがかったもののすぐに元に戻った。その代わりに周りの景色がスローモーションのようにゆっくりと見え、周りの雑音が一瞬大きくなったもののすぐにそれも消えて、代わりに爺さんの呼吸や心臓の鼓動が聞こえてきた。
「わかるか瑞貴。お前の気の力で視力と聴力がかなり底上げされていて、周りの動きがゆっくりと見えるとともに、ワシが発する音にも集中できているはずだ」
「確かに・・・すごい!」
「では今からワシが全力で攻撃を仕掛けるから、お前は攻撃をせずにそれを全て避けて見せろ」
「わかった。爺さんいつでもやってくれ」
そして爺さんの猛攻撃が始まった。
爺さんはいつもと同じぐらいの速さで動いているように見えるが、道場の壁時計の秒針はかなりゆっくりと進んでいる。
つまり爺さんは相当速いスピードで俺に攻撃をしかけているということだ。だがその動きが手に取るように分かり、俺は全ての攻撃を紙一重でかわしていく。
だが・・・。
「身体が重い・・・」
どうにも身体の動きが鈍く、脳からの指令に即応できていない。それを察した爺さんは俺に、
「身体が重いと感じるならば、四肢や体幹への割り当てを少し増やして自分のベストな状態を探せばいい。できるか」
「やってみる」
言われた通りに気を四肢や体幹に移動させると、身体の動きが少し楽になった。だがその分、爺さんの動きも早く感じ出した。
だが動体視力は少し落ちものの、爺さんの攻撃が道着を掠める程度で身体に当たってはいない。つまり、今の俺にはこっちの方がバランスが取れている。
それを爺さんも感じ取ったようで、
「しばらくはこのまま組み手を続けるぞ」
「おう!」
その後も組み手を続けていき、爺さんの攻撃の回数が50を超え始めた辺りでその身体がフッと消えた。気がつくと掌打が俺の胸元を直撃していて、後ろに大きく吹っ飛ばされてしまっていた。
「よし、ここまでじゃ!」
爺さんが組み手を終えて礼を取る。
道場の天井を見つめながら自分の気の限界を感じ取った俺は、すぐに立ち上がって息を整えると、爺さんに向かって頭を下げた。
「おすっ!」
組み手が終わって再びホワイトボードの前に戻った俺と爺さんは、キラキラと目を輝かせる愛梨とアリスレーゼに迎えられた。
「お兄、今の組み手すごかったね! 愛梨には二人の動きが全く見えなかったよ」
「俺もびっくりしたよ。世界がまるで止まって見えたし、信じられないようなパワーとスピードも出せたんだ。だけど爺さんがそれ以上に凄くて、生まれて初めて爺さんを本気で尊敬したよ」
「ふーん、ただのヨガの先生じゃなかったんだね、うちのお爺ちゃんは」
そんな俺たちの会話に、爺さんが真っ赤な顔で怒った。
「バカもん! 二人ともこのワシを何だと思っておったのじゃ、全くけしからん・・・」
だがアリスレーゼは姿勢を正すと、爺さんへの弟子入りを改めて志願した。
「お爺様、今の組み手で見せていただいたお爺様の魔力コントロールはまさしく達人級。これほどの使い手はティアローズ王国にもいませんでした。わたくしめにその心髄を手ほどき願えないでしょうか」
見事なお辞儀をしてお願いするアリスレーゼに面食らった爺さんは、
「魔法のことはよく分からんが、気功術ならいくらでも教えてやる。今から少し練習してみようか」
「はいっ、先生!」
アリスレーゼと爺さんが呼吸法の練習から始めているのを横目で見ながら、俺は愛梨からせがまれて気の練り方を教えていた。愛梨も基本は身についているはずなのだが、最近は全く練習していなかったためかなり苦戦していた。
「愛梨もお兄みたいにできるかな」
「愛梨って、俺の気が見えたのか?」
「うん・・・青っぽい光がちょっと」
「ならたぶんできるようになると思うけど、今まで練習をサボりすぎたからすぐには無理じゃないかな」
「ええぇ、今すぐ使えるようになりたいんだけど」
「だったら真面目に鍛錬に取り組むんだな」
「仕方がないから、がんばるか・・・」
そして愛梨にコツを教えてたその時、昨日のイタリアンレストランの時と同じ感覚が俺たちを襲った。
「気だ! しかもとんでもないほど巨大な・・・」
さっきの組み手で気の感覚はつかめたし、今ならこれが何なのかがハッキリわかる。地の底から沸き立った巨大な気が、俺たちの身体を突き抜けて道場全体を満たしていく。
その震源と思われるアリスレーゼは座禅を組んで瞑想をしている。その向かいに座った爺さんは、驚愕の表情で彼女を見ている。
「お兄・・・これって昨日の」
「アリスレーゼの言う魔力の正体は、爺さんの古武術で言うところ気なんだよ」
「じゃあ、ちゃんと鍛錬を積めばあの女みたいに愛梨も魔法が使えるようになるのよね」
「そういうことになる」
「よし! 愛梨も頑張ってあの女よりも強力な魔法を身に着けて、絶対にお兄の貞操を守り抜くぞ」
「そんなもの守らなくていいって!」
だが次の瞬間、道場全体を満たした巨大な気が突然消失し、同時に衝撃波が俺たちを襲った。
ドグオーーーーンッ!
また気を失っていた俺は、やはり隣で気を失っている愛梨を起こすと、爺さんの指導を受けるアリスレーゼのそばに寄った。すると爺さんが俺たちを見て、
「瑞貴と愛梨、やっと気がついたか」
「爺さん、今のはアリスレーゼの」
「そうだ。信じられないほどの巨大な気だったが、アリスちゃんはそのコントロールが全くできていない。だからこれから毎日この道場に通って鍛錬を続けることになった。なあ、アリスちゃん」
「はいお爺様。ここでしっかり鍛錬を積んで、一日も早く魔力のコントロールができるように頑張ります。ミズキもわたくしと共にがんばりましょう」
「そうだな、一緒にやろうぜアリスレーゼ」
キラキラと目を輝かせたアリスレーゼに、俺もやる気を出していると、愛梨が間に割り込んできた。
「この愛梨様も道場に通うし、お兄と二人きりにはさせないんだから」
「うむ! 3人ともワシがみっちり鍛えてやる。ついでにエカテリーナちゃんにもワシが直々に指導してやるから、一緒に顔を出すように伝えておいてくれ」
「え、母さんも?」
この爺さん、やたらウチの母さんに親しくするが、まさか父さんの嫁を狙ってるんじゃないだろうな。
だがそんな爺さんの表情が突然険しくなると、懐に隠し持っていた短剣を外に向かって投げつけた。
カキーンッ!
一瞬の出来事に何が起きたのか分からなかったが、障子を突き抜けて庭に投じられた短剣が何か硬いものに弾かれた音がした。そして「ガサガサ」と誰かが立ち去る物音。
「・・・曲者じゃな。何者かは分からんが向こうも気功術の使い手、しかもかなりの手練れ」
「曲者ってマジかよ・・・」
この爺さん、普段はのほほんとした好々爺だが、こういう時、絶対に冗談は言わない。
「しかもアリスちゃんを狙っている可能性がある」
「アリスレーゼを?」
爺さんのその言葉にアリスレーゼは顔を青ざめた。
「わたくしを狙ってるって、まさかグランディア王国の手の者がここに!」
「グランディア王国って確か、アリスレーゼの国に突然攻めて来たっていうあの」
俺が尋ねるとアリスレーゼは怯えるような表情で、
「まさかこの日本までわたくしを追いかけて来たのでしょうか。怖い・・・」
「そんなバカなことあるわけ・・・いや」
そんなことあるはずがないのだが、アリスレーゼが異世界から転移してきた時点で全くないとは言い切れない。だが爺さんはそれを否定する。
「さっきの曲者はそんな得体の知れない者ではなく、日本のどこかの組織の者だろう。今まさに自動車で逃走する音が聞こえておるから間違いない」
「自動車の音・・・そう言えば微かに。だとすれば少なくともアリスレーゼの世界からの追っ手ということはないか。じゃあ一体誰がアリスレーゼを狙って」
だがここにいる中にその答えを持っている者はいない。黙って腕を組んで何かを考え込んでいた爺さんが、突然ひらめいたように俺に言った。
「瑞貴、お前がアリスちゃんを守ってやれ。さっきの組み手ぐらい動ければ、多少の敵なら撃退できるはず。もちろん強い奴はいくらでもいるし慢心は禁物だが、今日から毎日アリスちゃんと一緒に鍛錬に励めばもっと強くなれるぞ」
俺がアリスレーゼを守る・・・か。
「わかったよ爺さん。でも新学期も始まるし、俺が学校に行っている間は誰が守るんだ。爺さんか?」
「アリスちゃんをワシの学校に編入させれば、お前がいつもそばで守ってやれるだろう」
「ワシの学校って、俺の学校に編入させるのかよ! でもこのアリスレーゼをいきなり日本の学校に編入させるなんて、さすがに無理があるんじゃ」
「これだけ日本語が話せれば特に不自由はしないだろうし、これから日本で生きていくのだから学校は卒業しておいた方がいい。どうだアリスちゃん、学校に行きたくはないか?」
するとアリスレーゼは目を輝かせて、
「わたくし学校に行きたいです!」
「そうかそうか、なら決まりだな。エカテリーナちゃん、アリスちゃんを編入させるから手続きを頼む」
そう言って爺さんは道場を後にすると、広間の方にバタバタと走って行った。道場に残された俺と愛梨はまさかの急展開に呆気に取られていたが、アリスレーゼだけはとても楽しそうにしている。
「わたくし貴族学園にも通ったことがなかったので、とても楽しみ。わたくしを狙う者がグランディア王国ではないとのことですし、お爺様やミズキたち前園家の方々がわたくしを守ってくださるなら安心だわ」
「俺はともかく爺さんはとんでもない強さだからな」
「いいえミズキも十分に強いし、あなたには魔法の才能があります。わたくしの二人の兄は王家親衛隊を率いる騎士でしたが、ミズキはその兄たちに負けないほどの強い騎士になれるとわたくしは確信しています」
「この俺が騎士・・・王女の騎士か。悪くないな」
右も左も分からないこの日本でアリスレーゼが頼れるのはウチの家族だけ。なら爺さんの言う通り、俺がそばにいてこの王女様を守ってやるしかない。
誰が敵かは知らないけれど、そうと決めたら絶対に彼女を守り抜く。
「アリスレーゼ、その兄貴たちに比べたら頼りないかもしれないが、俺が守ってやるから安心してくれ」
そう言ってアリスレーゼの顔をまっすぐに見ると、彼女は嬉しそうにうなずいた。
「ありがとうミズキ。とても嬉しいわ」
「むむう・・・お爺ちゃんの命令でお兄がこの女の騎士になってしまった。こうなったら女騎士であるこの愛梨様もお兄に密着して貞操を守り抜かなければ!」
「アホか! そんなものは守らなくていいから、お前もアリスレーゼを守ってやれ!」
前園家から逃走したその車はインターチェンジを入ると高速道路を西へ走り、最初のパーキングエリアに車を止めた。そして男は、着信していた調査報告書にざっと目を通す。
「昨日のLSビルでの能力の解放は「リッター」によって引き起こされた可能性が高い。なお、使われた能力とその使用意図は依然不明・・・か」
男は何かを考え込むと次のメッセージを開いた。それはさっきまで潜入していた屋敷の主である前園卓克に関する情報だ。
「私立明稜学園の理事長で「煌流翔波拳」という大陸系古武術の代表も務めている・・・か。聞いたことのない流派だが、いきなり俺に投げつけて来た短剣には強い思念波が込められていた」
男はデータベースにアクセスし、明稜学園の登録情報から前園家についての情報を引き出す。
「前園家は江戸時代にこの地に移り住んできた武家の子孫で、今は地域の名士として名を知られていると。学園には自治体からの天下りを受け入れており、保守系議員の後援会にもその名を連ねている・・・。そんな前園家がどうして「リッター」なんかと関係を持っているのか。よくわからんな」
男はシートを倒して車の天井を見上げた。
「ここは性急に動くべきではない。だがマークすべき対象があの中に潜んでいることは確かだ。さてどうやって「リッター」に接触し、そして確保するか」
次回、アリスレーゼの編入です。お楽しみに
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