序章(前編)
平和で豊かなティアローズ王国。そこに突然、隣国のグランディア王国が進攻を開始した。
長年に渡って周辺の国々と良好な関係を築いてきたティアローズ王国にとって、この進攻はまさに寝耳に水であり、グランディア王国に対し即時兵を引くよう再三申し入れた。だが彼らの軍隊が次々と国境を越えて怒涛の如く流れ込んでくると、ティアローズ王国の貴族たちの所領を次々と占領していった。
話し合いに応じる意思のないグランディア王国に対し、ティアローズ王国は武力を持ってこれを排除すべく、国王が諸侯に呼び掛けて騎士団を集結し、王都の南方に広がる平原で敵の軍隊を迎え撃つこととなった。
グランディア王国軍約3万に対して、ティアローズ王国軍はおよそ6万。
グランディア王国軍は短期間で王都まで到達したこともあり、兵站が伸びきっている上に兵士の消耗も大きい。一方のティアローズ王国軍は約2倍の兵力とそれを十分に養えるだけの補給物資がある上、南方平原から王都に至るまでには天然の要害があり、守りやすい地形にも恵まれて戦いは圧倒的に有利に運ぶものと考えられていた。
だが大方の予想に反して戦いは数か月以上にも及び、さらに敵軍の奇襲によってティアローズ国王が戦死してしまったことで、その趨勢が決してしまった。
ティアローズ王国王城、謁見の間。
その玉座には、誰もが思わず息を飲むほどの美しい少女が座っていた。
この少女こそ、父王の代理として戦時中のティアローズ王国の統治を一手に引き受けていた、王位継承権第一位、アリスレーゼ・ステラミリス・フィオ・ティアローズ第一王女である。
その彼女に父王の戦死を知らせたのは、ともに王国軍司令部で敵の奇襲を受けながらも一命をとりとめた兄のマクシミリアン第一王子であった。
兄から父の戦死の報を受けた瞬間、アリスレーゼは思わず玉座から立ち上がった。
「まさか・・・お父様がお亡くなりになった。ウソでしょお兄様」
わずかばかりの王家親衛隊を伴って王城に帰還を果たし、だが負傷して傷口から血を流しているマクシミリアンは、さらに悪い報告を彼女にしなければならなかった。
「最後までよく聞くのだアリスレーゼ。・・・母上も父上の後を追って自害なされた」
「お、お母様までっ!」
「私が傍に居ながら、どうしても止めることが出来なかった。・・・すまん」
愛する両親の死を知って床にしゃがみこんですすり泣くアリスレーゼの姿に、マクシミリアンの頬を一筋の涙が零れ落ちた。
ティアローズ王国の歴史はとても古く、世界最古の王朝とされている。まさに神話の時代から続いてきた王家であり、王族には特別な血が受け継がれている。
当代のティアローズ王家には、アリスレーゼ王女の他に2人の兄がいる。王国騎士団長である第一王子のマクシミリアンと、彼と共に王城に帰還を果たし先ほどから兄の後ろに控えている第二王子のロベルトだ。
本来なら長男であるマクシミリアンが王位を継ぐべきところだが、アリスレーゼは生まれながら王家の血を色濃く受け継ぎ、幼い頃から特別な能力も発揮していた。そのため古くからの王家の定めに従い、次の王位はアリスレーゼが継ぐことが早々に決まっていた。
そのことに二人の王子が不満を持つことはなく、歴代王家でも比類ない才能を持つ妹を女王として戴くことをむしろ誇りにさえ思っていた。
アリスレーゼが即位すればティアローズ王国に永遠の繁栄がもたらされる。国王夫妻も二人の王子もそして臣下たちもそう信じて疑わなかった矢先に、隣国の侵略によって国があっけなく滅びようとしている。
だがグランディア王国にむざむざと負けるつもりのないマクシミリアンは、後ろに控える弟のロベルトと目を合わせると、ある決断をアリスレーゼに伝える。
「間もなくグランディア王国の軍勢がこの城に攻め込んで来るだろう。彼の国王アレクシスの狙いはアリスレーゼ、そなた自身なのだ。ヤツはそなたに自分の子を産ませ、我がティアローズ王国の統治者として君臨するつもりだ」
「わたくしに子を・・・」
アレクシスはグランディア王国第3代国王で、30代半ばの血気盛んな男だ。王妃との間には既に世継ぎもあり、何人かの側室との間にも子をもうけている。
そんな男がティアローズ王国を侵略し、わたくしの両親を殺してまで自分に子を産ませようとしている。
想像しただけで背筋に悪寒が走り、激しい嫌悪感と憎悪を感じずにはいられなかったが、そんなアリスレーゼにマクシミリアンは沈痛な面持ちで話を続ける。
「そなたが普通の王女であれば、アレクシス王との間に子供ができても王家を継承できるほど濃い血が発現することはなかった。だがそなたは特別。そなたが産む子供は、たとえ相手が平民であっても王位継承が可能なほど濃い血を受け継ぐと母上がおっしゃられた」
「まさかそのようなことが・・・」
「いわんや仮にも王であるアレクシスの子となると、私やロベルトが王国を取り返したとして、我が王家の古い定めによりその子が王位を継承するはず。つまり我が国の正統な支配者は、その子の両親であるアレクシス王と妻のアリスレーゼとなってしまう」
「そんな・・・」
王家の血が濃すぎるがゆえに、他国の王であるアレクシスにティアローズ王国の支配者となる可能性を与えてしまった。
つまり自分の存在がこの侵略戦争を引き起こしたのではないのか、アリスレーゼはそのことに思い至ってショックを受けたが、同時に今の兄の発言の中にはまだ語られていないある前提があることに気がついた。
「今お兄様は王国を取り返すとおっしゃいましたね。つまりお兄様たちは、グランディア王国軍が攻めてくる前にこの城から撤退し、再びこの国を奪い返すために戦いを挑まれる。そうですね」
「さすがアリスレーゼだな。我が王国はティアローズ王家の血を持つ者のみが統治者として認められる神聖な国家であり、例えこの王城を占領して王国の民を従えようとしても、アレクシス王では完全に統治することはできないだろう」
「おつしゃる通りだと存じます」
「うむ。だから古き血を引く我ら王族が生きてさえいれば、いずれこの国を取り戻すこともできるはずだ。だから我ら王族は友好国に身を隠し、軍を再編した後に再びこの国を奪い返すための戦いを起こす計画だ」
マクシミリアンの言葉に、王国の滅亡を受け入れかけていけアリスレーゼの心に、希望の光がともった。
一度は民を置いて国を逃げ出すことになるが、何が何でも生き延びて、必ず王国を奪い返す。
そう決意したアリスレーゼは、涙を拭いて立ち上がると真剣な面持ちで兄マクシミリアンに告げた。
「承知いたしました、お兄様。わたくしもすぐに撤退の準備をいたします」
そして謁見の間から退出しようとしたアリスレーゼを、だがマクシミリアンは彼女を制止すると、玉座の傍らに立つ王国宰相のヴァリヤーグ公爵に目くばせをした。
この初老の公爵は、マクシミリアンの瞳をじっと見つめて全てを悟ると、何も言わずに一礼して玉座の裏にある王家専用の隠し通路を使って謁見の間を退出した。
ヴァリヤーグ公爵家はティアローズ王家の分家にあたり、王国の長い歴史の中で多くの宰相や王妃、王配を輩出してきた名門中の名門である。そして当代の当主である彼の娘こそが現王妃でアリスレーゼたちの母親であり、アリスレーゼにとって公爵は実の祖父であり、側近中の側近であり、そして幼いころからの先生であった。
そんな彼が自分に何も言わずに奥に下がってしまったことを不審に思ったアリスレーゼだったが、次に続く兄の言葉に公爵のことなどすぐに意識の中から消え去った。
「アリスレーゼ、そなたは連れて行けない」
「連れていけないって、どうしてですか!」
「そなたには母上が自害された理由がわかるか」
「それはお父様の後を追って・・・」
「違う。そんな理由で王族の使命を放棄されるほど、母上は甘いお方ではない。母上が自害されたのは、グランディア王国に囚われてアレクシス王の子を産まされることを避けるためだ」
「お母様がアレクシス王の子を・・・」
そのおぞましい言葉に口に手を当てて驚くアリスレーゼだったが、マクシミリアンは母からの最期の言葉を愛する妹に伝えた。
「アリスレーゼ、母上のご命令を伝える。・・・そなたもここで自害せよ」
アレクシスはそう言うと、両手の拳を固く握りしめてアリスレーゼを見つめた。
「自害。わたくしはここで死なねばならぬのですか」
「そうだ。できることならこの兄たちとともに国を脱出し、いずれこの国を取り戻してそなたの元で王家を再興させたかった。だがそなたの身体は玉璽以上の価値を持ち、敵に奪われれば取り返しのつかないことになってしまう。それを恐れていたからこそ父上と母上は自ら兵を率いて戦われていたのだ。ここに母上の遺書がある・・・読んでみろ」
マクシミリアンから渡された母の遺書を、震える手で読むアリスレーゼ。母の筆跡で書かれたその遺書には確かに自分に自害を命じる言葉が綴られていた。
まだ17歳になったばかりのアリスレーゼは、これまでの人生を女王になるための勉強にのみ費やしてきた。他の貴族令嬢たちがお茶会や舞踏会で楽しんでいる時も、自分は次期女王として父王の隣の玉座に座り、帝王学を実地で学んできた。
だがそれも全て無駄に終わった。自分は何もなさないまま、その人生が終わる。
こんなことになるなんて夢にも思わなかったアリスレーゼは、間もなく訪れる死に救い難いほどの恐怖を感じた。
「お、お兄様・・・わたくしはまだ死にとうございません。どうかわたくしも一緒にお連れください」
すがりつくような目で兄に懇願するアリスレーゼ。
だがマクシミリアンは目をつぶって頑なに首を横に振ると、後ろで控えて沈黙を守っていたロベルトも、悔しそうに唇をかみしめるばかりだった。
「マクシミリアン王子。例のものをお持ちしました」
先ほど奥に下がったヴァリヤーグ公爵が再び隠し通路から謁見の間に姿を現すと、小瓶を一つ携えてアリスレーゼのもとに近付いてきた。マクシミリアンは静かに息を吐くと、恐怖に震える妹に向けてその言葉を発した。
「アリスレーゼ、その毒を仰げ」
「毒っ!」
アリスレーゼはヴァリヤーグ公爵が持つ小瓶を見て、その表情を強張らせた。
その小瓶は紫色のガラス製で、中に黒い液体のようなものが入っているのが見える。ヴァリヤーグ公爵はそんな彼女の目を見て穏やかに話しかけた。
「姫様、この毒は古代より我が王家に伝えられしものであり、最後の一人となった王族が自らの命を絶つ際に用いるものとされています」
「最後の一人って・・・だってお兄様は!」
「姫様。マクシミリアン王子やロベルト王子がティアローズ王国を奪還されるかもしれませんが、古の血を色濃く受け継ぐ血族は姫様ただお一人。我が公爵家を始め分散した王家の血をかき集めても、今のような王家が復興できるとは限りません。ですので・・・」
「だったらなおのこと、わたくしが是か非でも生き延びて」
「確かにその可能性にかけた方が正しいとは思います。ですが国王陛下と王妃殿下のお二人がそうご判断されたのです。・・・おそらく姫様は逃げきれず、アレクシス王の子を産む未来が見えたのでしょう」
「お母様の能力・・・」
王族だけが持つ特殊能力。
ヴァリヤーグ公爵家でも比類なき天才と呼ばれた母親は、父王よりも王家の血が濃く発現した公爵令嬢だった。アリスレーゼを除いて、当代最強の能力者である両親がそう結論付けたのなら、自分は間違いなくアレクシス王の手に堕ちるのだろう。
であれば王国再興の夢は、自分ではなく二人の兄に託す以外に方法がない。
全てを悟ったアリスレーゼは、ヴァリヤーグ公爵からその小瓶を受け取った。
その彼女の頬に、一筋の涙が伝った。
新連載開始です。
前作から引き続きの読者様も、今回初めての読者様も、早速本作をお読みいただきありがとうございます!
次回は序章の後編です。ここから物語は始まりますのでお楽しみに。
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