サチとそうくん
「……うん、でね、ごめん、悪いお知らせがあるんだけど」
そう言った瞬間、画面の向こうの彼女が体を固くしたのがわかった。
「…………なに?」
クッションを抱きしめて顔を突っ込んで、自分なりの「武装」をしてからそう返事をした彼女を見て笑いそうになる。
……いや、ここで笑ったら確実に後の被害が拡大するな、と唇を噛んで平静を装ってから、つとめて淡々と伝えた。
「出張が延びたんだ。帰るの1週間遅れそう」
「…………………………きこえないもん」
「サチ」
「そんなのしんじないもん」
信じる信じないの問題じゃないよね、と心の中でツッコミを入れて、予想していた現実の対処に取りかかる。
「ごめんね」
「颯くんのばか」
「うん……ごめん。申し訳ない」
「…………、」
「サチが怒るのも当然だと思ってる」
「怒ってない」
どこからどう見てもそれはないだろ!といよいよ吹き出しそうになって、もう一度唇を噛んだ。きっと今僕の肩は震えていると思う。堪えすぎて。
顔を上げないままのサチが、ずび、と鼻をすする音がした。
「そうくんのばか」
「うん」
「ばかぁ……」
あー。これはまずいかも、そう思った。
笑いを堪えていた僕の肩から、その波がすっと引いていく。拗ねるとは思っていたし、怒られるとも思っていたけど、本気で泣き出すのは久しぶりだ。
なだめ方というよりも、少々サチが心配になっていた。一度へこむと、サチの復活は遅い。自分の出張自体は正直楽しくて仕方ないし、延びた分のプレゼンもミーティングも、今からアイディアが湧いて湧いて仕方なかった。
だけどサチが心配なのもまた事実で。
「サチ」
「……。」
「ごめんね。帰ったら埋め合わせするから」
「埋め合わせられないもん、時間は巻き戻らないもん」
「そうだけど……サチの行きたいとこ、どこでも行こう。時間作るから」
「そんなのいらないよ!」
ようやく画面に写ったサチの顔は涙やら鼻水やら、べしょべしょだった。少しだけクッションの洗濯が頭を過って……いや今はそれは忘れろ、とサチに意識を戻す。
「そんなのいらないから、かえってきたらずっと隣にいて……」
もう一度突っ伏してそう呟いたその声は、小さいはずなのにものすごく鮮明に聞こえた。
物理的距離もデジタルの雑音も、ホテルの外の喧騒も全部すっ飛ばして、すぐ隣で囁かれたみたいに。
「どこも行かなくていいから、となりにいて」
「……うん」
「サチは颯くんのこと、すきなんだもん」
「……うん」
「だから出張は頑張ってねって思ってるんだもん」
「……うん」
「でも、会えるの楽しみにしてたの、私だけみたいで悲しい」
「……そっか」
「颯くんは、何が“ごめん”なの?」
ハッとした。なんの捻りもないただの問いに、自分があぐらをかいていた事実を突きつけられる。
「…………。」
「私は颯くんがすきなだけ」
「うん……」
「だから、自分で自分に困る」
「うん」
苦しそうなサチが、とても愛おしかった。
「…………仕事、楽しいんだ」
「うん」
「でもサチのことは大切なんだよ」
「うん」
「心配もしてる。本当に。だけど優先はしてあげられなかった。
……“ごめん“、」
そこまで言うと、今度はサチはすぐに顔を上げた。珍しく、もう泣きやんで。
「帰ってきたら、たくさん隣にいて」
「約束する」
「うん」
「サチ、ありがと」
その言葉を言った瞬間、サチがへにゃ、と笑った。
「サチは颯くんが大好きだもん」
とろん、と溶けそうな顔をして笑っている。
ぐしゃぐしゃなままで全然綺麗じゃないはずなのに、素直に可愛いなぁ、と思った。
つられて緩む、自分の頬。
「鼻水拭きなね、僕の可愛い奥さん」
この上なく嬉しそうにはにかんだサチを見て、僕も少しだけ、早く帰りたいなぁ、と――そう、思った。
……帰ったら犬みたいに喜んで機嫌を直したサチが、結局出かけたいと言ってたくさん買い物をさせられたのはまた、別の話。
サチ(24)
24歳の所業ではないと思う!
そして所々冷静さが邪魔をしている颯くんの頭の中。
ふたりは夫婦です。
颯くんは10歳くらい歳上。
きょうだいみたいに育った結果、なんやかんやで結婚しました。という裏設定があったりします。




