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座頭市6

「斬り合うってアンタ、まさか」

「おう。俺も花村組に呼ばれた客人だ」


 その言葉を聞いて、市はクク、と声を漏らした。


「斎藤さんよ。アンタも悪いお人だ。あっしが相手だとわかってて、あの宿に呼び込んだんでしょう?」

「お前さんにだけは悪い人と言われたくねぇな。旦那以上に悪いヤツはそうそういやしねぇ」

「冗談がお上手だ。貴方だって人を斬ったことの一度や二度あるでしょう」

「そりゃ、あるとも」


 斎藤は快活に答えてから、だが、と低い声で続けた。


「俺は斬る相手は選んでるぜ」

「花村組は斬るに値しないと」

「そこに転がってる奴らは仮にも剣を取ってアンタに斬りかかった。殺されても仕方ねぇ。だがその女は違うだろ」

「何が違うと?」

「剣も持って無い。戦う意志も無い。その力も無い。だから斬る必要は無い」

「だがコイツは、俺の刀を奪いナマクラを握らせようとした。俺を殺すつもりはあった」


 斎藤はすぐには答えられなかった。やや間があって、ようやく答えが返る。


「花村組の女だ。どんな筋書きだろうと従わざるを得ないだろう」

「従わざるを得ない? 斎藤さんは本当に冗談がお好きなようだ。仕方がなければ人を斬ってもいいらしい」

「仕方があるのに人を斬るのか」

「俺は、俺が斬る相手は俺が決める。それとも何かい? 斎藤さんが斬ってきたヤツは全員、仕方がなく斬り捨てたとでも?」

「……俺も、俺が斬る相手は俺が決めたよ」

「そうだろう? そうあるべきだ。刀を持つものなら。斬るか斬らないかは己が決める。仕方なく斬ることなどあってはならない」


 そこで深く息を吐き、斎藤は重々しく答える。


「旦那。アンタの信念はよくわかった。だがこの女は斬るな」

「何故だ? 何故アンタが俺を止める?」

「俺と旦那は同じだからだ」

「ははっ、では何故この女は斬れない?」

「旦那も女も被害者だからだ」

「何の被害者だ?!」

「俺もよく知らねぇが、旦那から目を奪っていった者の被害者だ」


 市の目は生まれつき見えなかった。生まれ落ちたその日から暗い世界の中に居た。

 それは言うなれば天命。神か、仏か、あるいは定めか。そう呼ばれるもの。

 市は笑った。ハハハ、と声を漏らして。

 何も楽しそうではなかった。心底不愉快だとわかる笑いだった。


「俺の目と同じように、この女は花村組に従ったと?」

「ああ」

「抜かせ。この女が幼き頃に剣を取り、鍛えていれば俺を斬っていたかも知れない。だがどうだ、剣を取った俺の目は今も暗いままだ!」

「だけどアンタは、そんじょそこらの目明きより多くのものが見えるはずだ。そんな事を言えるのは、アンタが強いからだ」

「俺は自分が強いと思ったことは一度たりともない」

「弱くはないだろ。アンタは自分で道を切り開ける人間だ」

「道ねぇ。赤色すらわからない俺が?」


 市は刀を天に掲げた。刃を伝う血が陽の光に照らされて艶めいていた。


「なぁ、教えてくれよ斎藤さん。アンタ、赤は血と女の色って言った」

「ああ。言ったな」

「俺には赤色がわからねぇ。きっと今俺の刀は赤いんだろ。この女も赤だ。この違いは何だ。目の見えない俺に教えてくれよ。なぁ」


 沈黙。市は今度、少し楽しそうに笑った。


「答えられないか」

「旦那がもう答えを知ってるものを、わざわざ答える気にならなくてな」

「そうかい。あっしには何も変わらないように感じるが。斎藤さんがそう言うなら違うのかもな。よし、斬って試してみるとしよう」

「罪なきを斬るは、人ならざる修羅の道ぞ」

「そりゃありがたい。この身で修羅に至れるなんて、願ったり叶ったりだ」

「もう言っても聞かねぇらしいな」

「始めからそうだったさ」


 斎藤が刀を抜く音がした。そして、何か軽いものが地面に落ちる音。

 鞘を落とした音だ。それで刃渡りがわかる。随分と長い、太刀のような刀だ。


「思い返してみれば、俺が見たことある仏さんも、市の旦那みてぇに目を瞑ってたよ」


 双方、刀を構える。空気がピンと張り詰めた。

 斎藤が剣を担ぐように上げる。大上段の構えだ。それが市を盲と侮っての事ではないのは、放たれる殺気でわかっていた。


「ハアアアアアアアアアア!!」


 裂帛の気合と共に斎藤が刀を振り下ろす。市はそれを受け流そうとした。だが。

 重い。

 想像を絶する衝撃。市は身を捻るようにして無理やり躱した。しかしそれでは斎藤の二の太刀までは受けきれない。

 呆気ないものだが、幕引きというのは得てしてそういうものかも知れないと。

 市の頭は冷静に捉えていた。

 体は足掻く。

 例え心が折れていようと、細胞の1つに至るまでが戦いを覚えている。


「くあっ!」


 市の刀が走る。狙いは斎藤の左腕。斬撃が避けられないのならば相手より早くその腕を切り落とし、狙いを狂わせる。

 もし致命傷を免れたのなら、片腕となった斎藤よりも市に勝ちの目があるだろう。

 刃が空を斬る音。手応えがない。

 しくじったか。

 市は腹を括るが、予期していた二の太刀は襲ってこない。

 体勢を立て直し後ろに飛び下がる。合わせて、斎藤も後ろに下がる音がした。


「なぜだ」


 市は構えを整えながら考える。振るった刀は確かに斎藤の左腕を斬り落とす太刀筋だった。

 なぜだ。

 どうにか市の剣を躱したとしても、斎藤は刀を振らなかった。あの豪腕の持ち主だ。返しの二の太刀が無かった理由がわからない。

 なぜ。


「気になるかい、市の旦那」


 斎藤が声に喜色を孕ませて続ける。


「アンタ、目が見えない割に全部見えてるみたいに動くときがあるからよ、とっくに気付いてると思ったぜ。初めて会った時も俺の左に敢えて突っ込んできてたし」


 初めて会った時。市は思い返す。確か斎藤との出会いは街中ですれ違った時だったか。

 そうだ、あの時何か違和感があった。腕をぶつけるつもりで歩いていたのに、そうはならなかった。

 まさか。


「俺は隻腕だよ。右腕しか無い。だからこの戦いも、さっきの一撃でアンタを殺すつもりだったんだけどな。

 でも、良かったよ。アンタが俺を両利きだと思ってくれたなら、俺の剣も捨てたもんじゃない」


 見えていなかった。この俺が。

 斎藤の言葉に市は愕然とした。当然だ、市は盲なのだから。斎藤の左腕が無いことに気付くことの方が稀なはずだ。

 だが、それでもだ。市はこの刀で斬り結び、刃を合わせた。相手の重心の移動や気配も読んでいた。そうすれば相手の事など、目を開いて見るよりも明らかに理解わかると自負していた。

 見抜くことができなかったのは、斎藤の隻腕剣が両手の剣技と遜色が無いほどの領域に至っていたからだ。体捌きから太刀の重さまで、全てが。

 どこかに綻びがあればその時点で気付いていた。


「隻腕ってのは不便なもんでな。返しの刀が振りづらい。だから仕留めるなら一撃に全てをかけなきゃいけねぇ」

「今までもそうやって殺してきたと」

「ああ。全員、一太刀で葬った。躱したのは旦那が初めてだ」


 斎藤の剣は、まさに必殺剣と呼ぶに相応しいものだった。

 自分が殺すと決めたものを一太刀で斬り伏せる。

 それはまさに市が欲していたモノだった。


「斎藤さんが殺してきたのは、どんな奴だ」

「そうだなぁ、強いて言うならどうしようもない奴ばかりだったよ。死ななきゃ救えないようなヤツばかりだった。だから俺が殺した」

「なるほど。じゃあ、俺も死ななきゃ救われないか」

「俺にはそう見える」


 言葉に反して、斎藤の声色は楽しそうだった。


「何となくわかるが、市さんはどんな奴らを殺してきたんだ」

「あっしの、道の前に立ち塞がった全て」

「誰かがアンタの前に立った、それだけでか」

「生憎目が見えないもんで。それ以外の道は知りやせん」

「それで身についたのがその剣か。皮肉なもんだ」

「どういう意味ですかい」

「旦那のそれは護身剣。自分に迫る斬撃を全て防ぎ、返しの刀で斬る。決して自分からは斬らず、斬りに来た者だけを殺す」


 その剣は身を守る為の剣だと、そう言われて市の眉が跳ねた。


「俺は自分の身など惜しくはない」

「アンタの剣技は惜しいだろう」

「それは……」

「盲だからかな。いや、きっと違うな。殺し合いの中に身を置いてきたからだ。だから、護身剣にならざるを得なかった。殺さなければ殺される」


 その言葉には市自身も妙に納得できる。

 刀を取らなければ、人を殺すために生まれた呪われた武器に魅入られなければ、きっと市は死んだように生きていただろうから。


「その剣技。それこそ俺が求めていたものだ」


 斎藤が寂しげに言葉を締める。


 市は必殺剣を欲していた。自分が斬りたい何かを、嫌う何かを憎む何かを斬り伏せる絶対の剣が欲しかった。

 殺したかった。己がこんなにも憎む、巨大で歪な得体の知れない何かを。


 同じく。


 斎藤は護身剣を望んでいた。自分が守りたい何かを、信じる何かを誇る何かを守り抜く絶対の剣に至りたかった。

 守りたかった。己がこんなにも想う、得体の知れない大切な何かを。


 きっと、こんな事にならなければ、市も大切な何かの1つだっただろう。

 だがそうはならなかった。

 何度繰り返してもそうならなかっただろう。

 望む剣技を手に入れた者が、互いに決して相容れない生き方を選んでいたのだから。

 それはもはや越えなければいけない敵だ。殺し超えることで、自分の選んだ道が、生き方が、自分の理想よりも正しかったことを証明するしかない。


「御託を並べるのは、終わりにしやしょうか」

「そうだな」


 だから、二人は再び刀を構えた。

 この戦いでどちらかが死ぬ。

 どちらが残ろうと、その手に刀を握り続けるだろう。

 道は続く。

 永遠と。

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