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座頭市5

「いよいよだねぇ」


 死合を控えた市に花村組の女が声をかける。

 決闘の場所に指定された屋敷の庭からこの部屋まで、野次馬たちの騒ぎ声が聞こえていた。


「もう始まりですかい」

「そろそろだね。その前に少し、アンタの持ち物を改めさせてもらうよ」


 組員だろう。男が市のもとに近づいてくる。やや不穏なものを感じて、市は立ち上がった。


「持ち物を改めるってのは、どういうことですかい」

「そのままの意味さ。毒や暗器を使って決着ってのは、決闘の作法じゃないだろう」

「仏さんに誓って、あっしはコイツ以外持ってやせんぜ」

「そうは言ってもね、こっちにも組の命運がかかってるんだ。その杖を置いてくれないかね」

「それはできやせん」

「弱ったねぇ」


 女が困った声を出すと、痺れを切らした組員が市に掴みかかってくる。手から仕込み杖を引き剥がそうとする男を、市は鋭く蹴り飛ばした。

 男が倒れる音と、続いて何か硬い棒状のものが転がる音。

 それは数日前、市が女の前で仕込み杖を投げ捨てた時のものと似ていた。


「何すんだテメェ!」

「そいつはこっちのセリフだ。アンタ今、何か落としましたね」

「あ? 何の話だ」

「それだよ。アンタが今拾ったものの話だ」


 市の言葉に男の動きが止まる。

 なるほど。斉藤さんが言ってた嫌な予感ってのはこの事か。

 口元を歪ませながら、市は仕込み杖をすぐ抜ける構えを取った。


「落としただの拾っただの、妙な言いがかりはやめろよ」

「あっしが盲だと思って、何も見えないと思ってらっしゃるようだ」

「何か間違ってるか? ちゃんと目が見えてればよ、こんなトンチキな言いがかりしねぇだろ」


 そこで男はハハ、と大声で笑いかけた。


「当道者のくせによ、人様に迷惑かけるんじゃねぇぜ全く」


 言うべきではない言葉だった。少なくとも、命が惜しいのであれば。

 一閃。距離を詰めた市が、男の腕を切り落とす。

 その場の誰も反応できていなかった。


「え、あ、がぁ?!!」

「ふむ」


 落ちた腕が握っていたものを手に取り、市は声を漏らす。


「あ、アンタいきなり何を」

「よくできてらぁ。本当によく似せてある。あっしでも寝ぼけてたら間違えるかもわらかん。だが抜くとわかるな、コイツは鈍らだ。刃が生きてる気配がしねぇ」

「あああああああああ!! 腕が、よくも腕をおおお!!」


 やや遅れて、耳障りなうめき声が響く。


「で、これはどういうことですかい」

「私が聞きたいよ! なんだいアンタいきなり!」

「こんな子供騙しでなんとかなると、あっしをそこらの当道者だと侮ったな?」

「何言ってんだ、アンタおかしいよ」

「あくまでしらばっくれるんだったら仕方ねぇ。決闘の話は無しだ」

「待てよ!!」


 立ち去ろうとする市に、腕を切り落とされた男が声をかける。


「ここから無事に帰すわけねぇだろ」

「そりゃあそうでしょうな。こんなものまで作って俺を殺そうとしてたんだ」

「この腕の借りは必ず返すぞ」

「羨ましいセリフだ。あっしには、この目の借りを返す相手が居ませんからねぇ」

「バカにし腐りやがってもう我慢ならねぇ!! オオイ!! 誰かいねぇか!!」


 声を張り上げて応援を呼ぶ男に、市が吹き出した。


「そこまで大見得きってアンタ、自分では戦わないのかい?」

「そりゃオメェ」

「片腕失っても、もう片方の腕は残ってるでしょうよ。なら、まだ剣は振れるはずだ」


 仕込み杖を携えながらジリジリと近づく市に、男は思わず後ずさる。

 所詮は虚勢か。片腕落とされたくせに、くだらねぇ。

 このまま一息に殺してやろうか、と市が踏み込もうとした瞬間、その足がなにか大きなものに当たる。

 これはなんだ、樽か何かか?

 困惑していると屋敷の中から人が集まる音が聞こえ始め、組員の男の顔に安堵が宿った。


「はは、もう生きて帰れねぇぞお前」

「そりゃあ残念なことで」


 一度態勢を立て直す、そう思い至った市は先程躓いた木樽の中に体を入れた。


「これ借りやすぜ」

「なっ、おい待て!」


 そう言ってから、樽の中に入った市は転がるようにして屋敷を出る。自然と動きが止まるまで転がっていると、周りから聞こえる音はヤクザ者の怒号とは別の喧騒に変わっていた。

 こりゃあ、決闘場まで転がったみたいだな。

 木樽を斬り捨て、中から市が姿を現す。盛り上がる野次馬たちを他所に、市は静かに仕込み杖を構えた。

 やがて、市に追いついたヤクザ者達が、彼の周りを取り囲む。


「なんで花村組の奴らまで出てきてんだ?」

「なんだ、決闘じゃねぇのか?」


 野次馬のざわめきが別のものに変わっていく。

 躊躇いを感じる。注目を浴びて日和ったか。

 来ないのならばこちらから、と市が足に力を込める。


「おうおう! ちょいと静かにしててもらおうか!」


 斬りかかろうとした市を、聞いたことのない声が遮った。

 決闘場にずんずんと踏み入ってくる気配。構えを整える。


「誰だアイツ」

「お前知らねえのかよ。花村兄弟の弟の方だよ」


 ざわつきの中から聞こえてきた会話に、市は口角を上げた。

 なるほど。この男が雇い主だったというわけだ。


「この盲の剣客は俺の代理で雇った。にもかかわらず決闘から逃げ出そうとし、あろうことか俺の部下を斬り捨てた!」

「ほう。じゃあ花村組は今から大将が殺し合いをするってときに、羽虫も斬れねぇようなナマクラを渡すんですかい?」

「貴様の弁明は聞かん! 臆病者は口だけは達者なものだ」


 なるほど。己がやった事を棚に上げ、全部あっしが臆病風に吹かれて逃げ出した、という筋書きにしたいわけだ。

 ふつふつと湧き上がる怒りが、市の刀を殺気で彩る。


「それで、どうするおつもりか? 臆病風に吹かれたあっしは、ここから逃してくれればそれで十分なんですがね」

「それを俺が許すと思うか! 俺の代わりである貴様が逃げれば、それは俺が逃げたことと変わらない! よって」

「ちょっとお待ち!!」


 花村組の弟が大見得を切ろうとしたところで、今度は市も聞き覚えのある女の声が割り込む。


「なんだ、菊。話なら後だ」

「こんなもの本来の決闘ではないでしょう。日を改めてまた」

「この男は花村組の顔に泥を塗った! ここで生かして返せと!」

「ですから、日を改めて」

「黙れ! 引っ込んでいろ!」


 ですが、と続けようとする菊の声色から市は察した。この花村組の弟は市の手にある刀が真剣であると知らないのだ。

 まだ思い描いた通りに事が進んでいると思っている。恐らく市がナマクラを手に取り、そこで自分の刀ではないと気づくのは想定の範囲内だったのだろう。そこで市が逃げ出すようであればこうしてその場で斬り捨てれば良い。

 女は花村組の頭が誰になるかよりも、他のヤクザ者が花村組に手を出してくることを危険視していた。盲とはいえ優れた剣技を持つものを自ら斬ったとあれば、話題性には事欠かない。

 目の見えぬものであればこのような子供だましにも気づけまい。戦ったところで負けるまい。

 舐められたものだ。


「傲慢なものよ」

「ん? なんだ、辞世の句でも詠むか?」

「目の見えない俺が、お前さんらに思うことが1つある」

「ほほう。なんだ」

「あんたらはそんなに強いのか?」


 市はゆっくりと、刀を構えた。


「目明きを何人か斬ってきたが、刀を抜いて斬りかかってきたくせに、こんな場所で俺にやられて死ぬとは思ってないような奴が大半だった。まさか盲に負けるとは思っていなかったんだろうな。

 だが、俺も刀を持つ以上は剣客だ。それと斬り合って、生きて帰れるという自信はどこから来るんだ? 俺にはてんでわからないね。目の見えぬ俺は、いつどこから何が飛んでくるかもわからねぇ。

 俺は自分が強いと一瞬たりとも思ったことはないぞ」

「それで、何が言いたいんだ? お前は弱いから、見逃してくださいと言いたいのか」

「伝わってないみたいで残念だ。まさかあんたら、死ぬのが怖くないのか?」

「ああ。花村組全員、その覚悟はできてる」


 ため息にも似た、しかし鋭い息を吐き出す。

 市は前に「目の見えない分、目が見える者達よりも怖いものは少ない」と語っていた。だがそれは言葉通りの意味ではなかった。

 目の見えない自分でもこれだけ怖いのだから、目が見えるあんたらが怖くないはずがないだろう? と。

 見えないよりも見えるほうが、単純に失うものは多いのだから。市は持っていないからこそ、始めから欠けていたからこそ他のものすら奪われていくことを恐れた。

 だから剣を取った。

 しかし、全てを持っているものがそれを失うことを恐れないというのなら。


「あんたら目明きの癖に、自分から目蓋を閉じて生きてるみてぇだ」

「あん?」

「一生伝わらないだろうな。それじゃあ」


 言い切る前に、市は地面を蹴っていた。一瞬で距離を詰め、花村組の弟に斬りかかる。


「う、おっ」


 咄嗟に握っていた刀で斬撃を防ごうとするが、市の刃はその刀を容易く両断した。

 驚きに歪む顔。そのまま市は首を刎ねる。

 数秒の出来事だった。静寂。体が倒れる音。それでようやく、他の花村組の男達が吠え始める。


「テメェ!!!」

「何やってんだコラァ!!」

「キャー!」


 あたりは騒然として、ただ市だけが黙って剣を構えていた。

 剃刀のようにチリチリと、向けられた殺気が肌を這う。刀を抜く金属音が雑音をすり抜けて澄んで聞こえる。感覚が研がれていくのがわかる。

 心地の良いと、市は笑った。

 襲いかかる刃を寸でに潜り斬り伏せる。死体を突き飛ばし、敵がよろけたところをそれごと突き刺す。


「貴様よくも、ぐはぁっ?!」

「大将!」


 流れのまま、もう1人の花村組の頭を斬った。

 やがて、市に斬りかかるものは居なくなった。


「あ、ああ」


 震えた女の声が、血に濡れた風に溶けていく。

 決闘場には無数の死体が転がっていた。数えればきっと、花村組の構成員と同じ人数の首があるだろう。


「さて」


 血を滴らせる刃を提げながら、市が女の元へと歩く。


「ひぃっ」


 引きつった声を上げて女は後退りするが、恐怖で足が竦み転んでしまった。

 流れた血が女の着物を朱に染める。


「待ちな。市の旦那」


 静止の声。その声色は知っていた。


「斎藤さん。何故ここに?」

「アンタと斬り合う為だよ」


 一歩進む音。血を踏む音に混じって、腰に提げた刀が鳴るのが聞こえた。

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