座頭市4
時は過ぎ、翌日に決闘を迎えた日の夕暮れ。
街に出ていた斎藤が、市の居る部屋に帰ってきた。
「よう市さん。アンタも聞いたかい」
「何のことですかい?」
「何やら街が騒がしいもんでよ、聞いてみれば明日、花村組の頭を決める決闘があるっていうじゃねぇか」
「へぇ。そりゃ初耳だ」
「とぼけんなよ。それには盲の侍が出るって聞いたぜ」
斎藤の言葉に市は答えなかった。
ただ静かに仕込み杖の手入れをしている。
「アンタ、持ってる武器はそれだけかい」
「ええ。あっしにはこれで十分でさぁ」
「そうかい。だったらコレをやるよ」
前に何かが置かれた気配がして、市はそれを手に取った。
鞘に納められた小ぶりの刀。脇差しと呼ばれるものだ。
「あっしは2本差しする身分じゃないですぜ」
「今更アンタが身分を語るのかよ。いいぜ、持っていきな」
「しかし、こんな高価なもんをタダで受け取るわけには」
「嫌な気配がするんだ」
斎藤が言葉を遮る。それに市が反応した。
「あっしが負けると?」
「そうじゃねぇ。アンタほどの凄腕が負けるとは思えん。だが、負かされるってんなら話は別だ」
「何か仕組まれてると?」
「あり得ない話じゃないだろ。ヤクザ者の頭を決めるのに、部外者のアンタを使おうってんだ。本来ならおかしな話だぜ」
それは市もわかっていたことだ。そもそも異常な報酬の量からして、この話が順調に行くはずがない事はわかりきっている。
しかし、市にはそれが望ましいことだった。どんな手を打たれようとも全て刀で斬り伏せる。その自負がある。
それでも死ぬようなことがあれば、それはその時だ。
「ありがてぇ話だが、断らせてもらう。すまないな」
市は手に取った脇差しを斎藤に前に置いた。
「そこまで言うなら構わないがよ、受け取らない理由でもあんのかい?」
「脇差しってのはアレだ、町民の武器でしょう」
「そりゃあ町民でも握るのが許されてるが、アンタの場合はそれこそ2本差しだろう」
「あっしは、コイツが折れたときにゃあ一緒に死にやすよ」
笑いながら、市は仕込み杖を指で弾いた。
「あっしはここまで身一つ刀一つでやってきた。今更それを裏切るってぇのは、性分じゃねぇ。あっしがそれを使うときがあれば、それは腹でも裂く時でしょう」
「あまり納得いかないが」
「そうですねぇ。備えってのは聞こえは良いが、それはコイツが使えなくなった時の話だ。刀を握る前に、刀が握れなくなった時の事を考えてるようじゃあ、剣が鈍る。あっしはそう思いやす」
斎藤はふむ、と目を細めた。
「完全にわかったわけじゃないが、まぁ納得はしたよ」
「いざその時が来れば、その時に何とかしますよ。できなければ死ぬ。それだけで」
目蓋を閉じた市の表情は読み取り難いが、斎藤は静かにそれを見つめていた。
別れを惜しむように語らいは続き、やがて夜も更け、静かになる。
日が昇り、決闘の日。
市が目覚めた時には、部屋に斎藤の姿はなかった。