座頭市2
誰にも聞かれたくない話だと、そう言われ市が案内されたのは街の中心にある酒屋だった。花村組のシマなのだろう。女の顔を見るや否や、店主が奥の部屋へと案内する。
時刻は昼過ぎ。客自体は多いが、店は陽気な雰囲気ではない。
突き刺すような視線を感じ、市は杖を握る手に力を込めた。
「アンタも座りな」
女の命令通り、市も腰を下ろす。
そう広くない部屋。部屋の中にも、近くにも、他の人間の気配はしない。どうやらここで襲うつもりはないのだろうと、市は少し警戒を緩めた。
「こんな殺気立った場所に連れてくるたぁ、落とし前でもつけさせる気ですかい」
「そのつもりならとっくにやってるよ。言っただろう。話がしたいって。当道者を騙くらかしたとあっちゃあ、アタシたちもおしまいだ」
「なるほど。じゃあ、コイツは置いておきやすかね」
そう言って、市は放るように杖を置いた。ガシャンと、中に金属が入っているとわかる音。
無遠慮で下品な行為だった。侍としての矜持があるなら、刀を捨てるような真似はするべきではない。
だから、これは挑発だった。
「さっき斬り捨てた奴らにも、そうやってけしかけたのかい?」
「さぁ。女で、刀を持たないアンタには関係のない話だ」
「そうさね。アンタの言うことは正しい。ただ、そういう振る舞いを続けていると、いつか死ぬよ」
「馬鹿言っちゃあいけねぇ、人ならいつか死ぬもんだ」
「そうだね」
呆れたようにタメ息を吐いて、女は本題を切り出した。
「話っていうのは、簡単に言えばアンタに死んでほしいって依頼だ」
「ほう。最近のヤクザは相手に頼み込んで落とし前つけさせるんですかい」
「それとは別の話だよ。今、花村組が身内でやりあってるのは知ってるだろう?」
「詳しくはないですがね」
「なに、よくある話さ。次の頭を巡って兄弟で殺し合いの真っ只中だ。お互い踏ん切りがつかなくなっちまって、どっちかが死ぬまで終わらなくなっちまった」
「無情な話でさぁ」
言葉とは裏腹に、市はクツクツと笑った。他人の不幸が愉快でたまらないというように。
女は続ける。
「もっと面白い話がある。ここら辺には花村組の他にもヤクザの組があってね。当然だが、仲が良くない。花村組は身内で争ってる場合じゃないんだ。
頭を失った今、一刻も早く次の頭が必要だ。しかしそれで死人が出るってんじゃあ本末転倒。そこでだ」
「あっしに、その頭の代わりをやれということですかい?」
「ああ。話が早くて助かるよ」
あくまで冷徹に言葉を吐き出す女に対し、市の喜色は深みを増していく。
「一週間後。互いの頭が代理を立て、死合をすることになった。それに勝ったほうが次の頭だ」
「死合というと」
「1対1の斬り合いだ。アンタは得意だろう」
「何の恩義もない、くだらないヤクザ者のいざこざに命を張れと」
「だから死んでくれと言った」
「あっしが勝った場合はどうするおつもりで?」
「100両支度する」
「ほほう、下らないという言葉は訂正しやす。花村さんはどうにも、金は持ってるみてぇだ」
たかが斬り合い1つで法外な報酬だ。その分、怪しさもある。
さてどうするか。
笑みを浮かべたまま黙った市を、女は問い詰めた。
「やるのかい? こっちにも準備があるもんでね。返事は早いと助かる」
「あっしの相手は、決まってるんですかい?」
「それは知らない。この件については不干渉の取り決めだ」
「強い相手が来るんですかい?」
「向こうが頭を捨てるような腑抜けでなければ、来るだろうね」
「ふむ」
市が顎に手を当てる。
「質問が2つ」
「あいよ」
「あっしはその兄弟喧嘩の、どっちの代わりをやるんで?」
「弟の側だが、アンタには関係ないことじゃないかい?」
「アンタはどっちの味方で?」
「アタシかい? アタシは勝った方の味方、頭の味方だよ」
「はは、ズルいお人だ」
「女だからね」
その言葉の響きはどこか悲しげだ。強がりに聞こえる。
「決闘をやるってのは、花村組の奴らは全員知ってるんですかい?」
「ああ」
「なんでさっきはあんな小競り合いが起きたんで?」
「代表が決まってなかったからね。いくつか首でも取ったら、なれると思っていたんだろう」
「違いねぇ。現にあそこで全員斬ったあっしが、こうして代わりをやらされてる」
市は声を上げて笑ってから、続けた。
「下の奴らには、代表が決まったと広めといて下せぇ」
「いいのかい? アンタがそうだとわかったら、襲われるかもしれないよ?」
「そりゃあ好都合だ。寧ろ花村組は何処の馬の骨とも知れない当道者を雇ったと、そう言えば良い」
「決闘の日までに無駄な怪我は負いたくないだろう?」
「そうでなければ、この話は飲めやせん」
長い沈黙。女の混乱が手に取るようにわかる。
「わかった。いいよ。好きにしな」
「アンタが話せる人で良かったよ」
「ここまでおかしな奴だとは思わなかったけどね。精々派手に死んでおくれ」
女はそこで初めて、強張った顔をほころばせた。