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 江戸の街中。しけた蕎麦屋に客が1人。喧騒が麺を啜る音を掻き消す。

 店主がソワソワと、小窓から外の様子を伺っていた。


「コイツは、何の騒ぎですかい?」


 黙々と食っていた客がふと、店主に話しかける。


「見てわからねぇのかい旦那」

「見てわからないか、ですかい。ははは、すいやせん」


 不穏なものを感じ、店主が客の方に目を向ける。


「あっしは(めしい)なもんで」


 その両目はしかと閉じていた。店主が言葉に詰まる。


「すいやせん、旦那」

「気にしないでくだせぇ。それより、騒ぎについて知ってるんですかい?」

「ここら辺で騒ぎと言っちゃあ1つしかねぇが」

「何分、放浪の身ですので」

「盲で旅とは」


 そこで喋るのを止めて、店主は咳を1つした。


「すまねぇ、質問してるのは旦那の方だったな。外の騒ぎは花村組の奴らだよ」

「花村組とは?」

「ここら辺を仕切ってるヤクザ者さ。ついこの間、頭が死んでな。兄弟で跡継ぎ争いの真っ最中ってわけだ」

「兄弟間で親決めたぁ、因果な話もあったもんだ」


 声色に浮かぶ喜色に、店主はまた客に目を向ける。

 彼は今まさに食事を終え、代金を置いて席を立つところだった。


「旦那、今外に出るのは危ねぇぜ」

「あっしにはこれがあるんで」


 そう言って客は片手に携えた杖を持ち上げた。思わず、店主も眉間にシワが浮かぶ。


当道者(とうどうもの)とわかって道を譲るような奴らじゃねぇぞ」

「それぐらい、見ればわかるんじゃねぇですかい?」

「わかってて行くってよ、旦那怖いもの知らずか」

「目が見えないあっしは、目が見えるアンタらより怖いものは少ないでしょうね」


 話が通じないとわかって、店主はため息をついた。


「わかったよ、外に出る前に旦那の名前を教えてくれ」

「ふふ、墓に彫るような名前はねぇが、強いて言うなら座頭の市とでも言っておきますかね」


 出ていこうとする(いち)の手に、店主は6文を握らせた。


「釣りだ。持っていきな」

「優しいお人だ」


 それを懐に収め、市は店を出る。


「てめぇら覚悟は出来てるんだろうな!」

「上等だ来やがれ! それとも玉無ししかいねぇのか!」


 感じる殺気は合わせて10。その中に恐れるに足るような大きな気配はない。下っ端の小競り合いだろう。

 口の端が歪む。


「危ないとは聞いていたが、まだ血の匂いはしないみてぇだ!」


 市が張り上げた大声に、男たちの注意が逸れる。


「何だお前」

「あっしは、ただの旅の者でさぁ」

「何しに来た引っ込んでろ!」

「そりゃあちょっと通りがかったまででして、邪魔をするなら押し通りやすが」


 露骨な挑発に、1人が鼻を鳴らした。


「俺たちが誰かわかってて出てきたのか?」

「さぁ。あっしには関係ないことだ」

「ふん、よく見たらアンタ、当道者か。目が見えねぇ奴がどうやってここを押し通るってんだ?」

「そりゃあ、これしかねぇでしょうよ」


 市が杖の端を掴み、ゆっくりと引く。中から美しい刃紋を持つ直刀が現れた。


「ははは、当道者が剣客の真似事か! こりゃあ1本取られたぜ、いい芸を持ってるじゃないか」

「これが単なる芸かどうか、見て確かめてみてはどうしょう?」


 派手に皮肉を込めた市に、耐えきれなくなった男達が刀を抜く。


「花村組を舐めるなよ!」

「良い。単純な方があっしも助かる」


 既に殺気はすべて市に向いている。答えて、市は刀を構えた。


「なんだそりゃ」


 刃渡りの短い仕込み刀を逆手に掲げる。おおよそ一般的な剣術とはまるで違う異様な構え。歪んだ口は馬鹿にしているようにしか見えなかった。

 痺れを切らした男が市の背後から斬りかかる。

 振り下ろされた刀を躱し、市は撫でるように男の首を掻き斬った。口からドス黒い血を吐きながら、男が倒れる。


「テメェ!」


 戦いの火蓋が落ちた。

 側面から走り寄る敵の腹に刃を突き立て、そのまま引き裂く。その勢いのまま足を運んで斬撃を躱し振り下ろされる刃を受け止める。

 数瞬のやり取りで下っ端の男達は悟った。この盲目の男は、想像も絶するほどの達人であると。挑んでも無駄死にをするだけだと。

 しかしそれでも、組の名前を背負ったものが当道者相手に逃げるわけにはいかなかった。


「ちく、しょう」


 やがて最後の1人が倒れ、あれほど騒がしかった街は静けさを取り戻した。

 刀を払い、震える手で杖に戻す市に、蕎麦屋から出てきた店主が声をかける。


「旦那、やっちまったな」

「向こうから斬りかかってきたので、仕方のないことです」

「そんな言い訳が奴らに通じるかよ。早くこの街から出ていきな、死ぬぞ」

「ここで死ぬなら、それまででさぁ」

「バカ言ってんじゃねぇ、旦那何がしたいんだ。ただ殺し合いがしたいってわけじゃないだろうに」


 戸惑う店主に何も答えず、市はニヤリと笑った。立ち込める血の匂いが耐えきれなくなって、店主は店に戻っていく。

 さてどうするか、まずは宿でも取るかと市が歩き始めると、そこに立ち塞がる気配があった。


「ここの奴らを斬ったのは、アンタかい?」


 女の声。殺気はない。美人局のような不穏な臭いも感じ取れない。


「そうですが、何か用ですかい」


 であれば何故声をかけたのかと、市は問いかける。


「ふぅん、アンタ目が見えないのかい」

「へぇ。すいやせん」

「謝ることはないよ。その割に、随分と腕が立つみたいだ。驚いたよ」


 弾むような声音。女の真意が読み取れない。


「腕の立つアンタに頼み事があるんだ」

「ほう。この様を見て頼み事とは、アンタもヤクザ者かい?」

「ああ。アタシは花村組の女だよ」


 市の眉が跳ねる。自分が斬った相手は花村組のものだったはずだ。にも関わらず、その花村組の人間が頼み事があるという。

 何か面白そうな匂いがした。


「詳しく話を聞かせてもらえやすか?」


 市の声もまた、女のそれと同じように弾んでいた。

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