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4. 波風が立つ(下)

「そういえば、結局何の用だったんですか?」


 話もキリが付いたところで、本題を聞き出す。言外に、何もこんな世間話をするために呼び出したわけではないだろうと伝えた。


「カシェ、もう少し叔父さんに寄り添ってくれてもいいんじゃないか」

「自業自得ですし……何なら副団長の方が気の毒でなりません」


 真面目な副団長のことだから、出費が嵩む未来を想定してさぞ胃を痛めたことだろう。

 少しも味方をする気のない様子に、アレクサンドルはこっそりと肩を落とした。


「やれやれ……。お前、以前手渡された徽章は保管しているな?」

「はい。丁度返還しようと持って来ましたが」


 胸ポケットから、翡翠の徽章を取り出す。引き出しの奥に仕舞われていたものだ。階級を示す徽章を粗雑に扱っている様子に、アレクサンドルが片眉を上げる。先程までのふざけた空気はすっかり消え去っていた。


「お前のことだからそうだろうと思っていたよ。だが、それはやめておいた方がいい」

「何故です? 過分だと思いますが」

「過分だと? 王族を救った報酬が昇格であることが過分ならば、昇格など一生できんぞ」

「それでも構いませんが」

「まあ、まずは聞け。……そもそもこの話は第三王子殿下がご提案くださったものだ」


 第三王子殿下。今回の戦で、初陣を飾った王子殿下だったはず、と記憶を掘り起こす。まるで興味のなさそうな反応に呆れるも、アレクサンドルは気にせず説明を続けた。その説明をする最中、第三王子の話を思い出していた。



 戦は、王子殿下が出る程簡単に終わるはずのものであった。というのも、アルヒ王国の軍事力は近隣国の中でも比較的高く、対する隣国は近年食べ物の不作も続き、士気が低い状態であったからだ。兵力もなく農夫などの平民も参加している統率のない状況下の相手が、余力も十分にある騎士団を脅かす存在に成り得るはずもなかった。


 しかし、当初の予定とは大きく異なり、戦は冬が到来しても続いていた。できるだけ農民に被害を与えないようにと戦ってきたことを逆手に取り、農民達を盾にし出したのだ。

 隣国は、北の大地(イーオン)に面していることもあり、厳しい寒さにも慣れていた。一方で、アルヒ王国は中央大陸の中でも東の方に存在する。冬の寒さも味わうことはあるものの、温暖な気候が多いために冬の寒さには往生する他なかった。


 慣れない戦場と気候に体力は奪われ、降り積もる雪のせいで兵糧も届かなくなった。魔術の使えない者から弱っていき、やがて手足の感覚がなくなっていく。魔術の使える者が何とかその身体を温めようと試みるも、キリがない。

 魔力の多い王族である第三王子も少しでも命の灯が消えないようにと必死に戦場を奔走し、動けずにいる騎士に駆け寄った。

 最早、名目上の参加などとは言っていられない戦況だ。魔力が尽きるのが先か、灯が消えるのが先か。そのようなギリギリの日々が続いた。


 もう何日目か。戦っても戦っても終わりが見えない。日に日に士気は下がり、気力が失せているのを感じた。そんなときだ。

 自陣が襲撃を受けた。こちらの有利性などは疾うの昔に消えていた。連携が乱れ、混沌とした戦場に変わっていく。

 敵に押され、たたらを踏む。すると、背が誰かとぶつかり、咄嗟にバランスをとることもできずに地面へと倒れ伏した。雪に身体を取られ、すぐに起き上がることができない。

 そんな第三王子の眼前に剣の切っ先が向いていた。


 ああ、死ぬのだ————……。


 死を覚り、力なく目を閉じた。しかし、いつまで経っても痛みは襲ってこない。どういうことだと目を開くと、目の前の剣が空に浮いたまま止まっていた。

 驚きに身を固める間もなく、誰かに引き起こされる。その背後に、また別の兵が肉薄する。残酷な光景が脳裏を過った。

 だが、またしてもそのようなことが起こることはなかった。目の前の男が素早く身を翻し、細身の剣で敵の頑強な剣を受け止めていた。在り得ない光景だが、男が交えていた剣を離しても、敵は少しも動くことができないようだ。

 そして、男の剣を受けて絶命した。


「聞け! アルヒ王国の騎士よ。貴公らは強い。この厳しい冬にも、愚かな敵国にも負けることはないと私が誓おう。今こそ反撃のときである!」


 胸が熱くなる思いであった。誰しもが、強い光を見たことだろう。その後、この雪のような色をした男の指揮によって、アルヒ王国の騎士団は勢いを盛り返した。

 こうして季節をまたぎ、長く続いた戦は終わりを迎えたのであった。



「というわけで、殿下の存命もアルヒ王国の勝利もお前の貢献があってのものだと殿下が陛下に告げられてな」

「それは全て殿下が騎士を見捨てずにお助けくださった結果かと。そもそも私は一騎士としての職務を全うしたに過ぎません」


 本当に利益などを考えずにできるからやっただけだと考えているのだろう。王族に褒められても一切の嬉しさもその目に滲ませていなかった。

 アレクサンドルは、できればカシェの望むようにしてやりたいと思っていた。


「ですから、この話は取り下げていただきますようお願いいたします」


 それでも、今回ばかりはそういうわけにはいかないのだ。


「この褒賞を受けなかった場合、お前には別の褒賞が与えられることになっている」

「…………?」

「陛下が、貴族会議でお前と末の姫との婚約を褒美とすると告げられた」


 カシェはぴしゃりと雷に打たれたような衝撃を受けた。


「は……それはあんまりでは……実質の強制じゃないか」

「そうだ。それを第三王子殿下が止めてくださったのだ」


 正直、アレクサンドルは今でも数週間前のことを思い出しては冷や汗が流れる思いであった。本来、婚約の打診は両家の承諾を得てから話を進めるものだ。そのため、他家の人間がいる場での婚約の打診は、実質的には裏で承諾を取った後の決定事項と言っても過言ではない。

 たとえ決定事項であったとしても、他家はファーガス家の権限が大きくなることに黙っているわけにはいかず、反対の意を示した。

 その反論を受け、第三王子殿下が提案したことが司令官への昇格という褒賞であった。これにも待ったをかける声が出たものの、如何にカシェの戦いや指揮が素晴らしかったのか、国の勝利に貢献したのかを伝え、説き伏せてしまった。

 最終的には他家の貴族もファーガス家ではなく、カシェ個人の力が増す方がマシかと考え、昇格を支持するに至ったのである。


(何故殿下が別の褒賞を呈示してくださったのかはわからんが……あのときの殿下の瞳には、崇拝の色が見えた。恐らくは……)

「なるほど、それでこの話を断ることはできないと……」


 漸く硬直が解けたカシェが、アレクサンドルを思考の海から引き上げた。それでもまだ衝撃から抜けきっていないのか、顔色が芳しくない。


「断ることも可能ではある。その場合は末の姫君と婚約を結ぶだけだが。そうだな……お前ももう結婚を考えてもいい年じゃないか。どうだ、この機会に」


 いたずらを仕掛ける子どもの様な顔でアレクサンドルが答えた。そのわざとらしい声音にカシェは少し苛立ちを見せる。


「わかっているでしょうに」

「……まだ誰も信用できない、か」

「当たり前でしょう……父上の件は依然として解決していないんですから」


 しん、と静まり返る。組んだ手にぐっと力が入り、爪が皮膚を刺す痛みがジワリと広がる。


 5年前、カシェの父親は領地を視察すると言って失踪した。いつまで経っても帰ってこない父親に、何か事故に遭ったのかもしれないという胸騒ぎを感じ、捜索願を出した。

 しかし、終ぞ父親は見つかることがなかった。共に出かけた御者が遺体の状態で発見されたことから捜査は引き上げられ、カシェの父親も死亡と推定されたのだ。


「おかしいでしょう……貴族の、それも当主が行方不明だというのにこんなにもあっさりと捜査を打ち止めにされるなんて」


 無暗に口にするな、とアレクサンドルが首を振る。もしも本当に作為的なものが働いているならば、今度はカシェが狙われているかもしれない。今はカシェ自身の立場を盤石にするべきだ。


「……今後、お前にはこの立場が必要になってくるはずだ」

「ですが、余計な反感を買っては動き難くなります」

「無論、お前の心配する通り、若造に騎士団の指揮を任せることに反感を示す者もいた」

「やはり……」


 だが、とカシェの話を遮る。


「司令官と言っても、お前の所属が大きく変わるわけではない。あくまでも私の下に所属したまま、戦場に出て指示を出す特殊司令官という立場だ」

「特殊司令官……?」


 聞き覚えのない言葉だった。

 それもそうだろう、とアレクサンドルが頷く。


「これは新しい……実験的な試みなわけだ」


 従来の司令官は、本部から魔術を使用して命令を出している。音や映像の受信、状況判断、指示の送信。これにより、冷静な判断の下で指示を出すことができる。

 一方で、このやり方では各過程でズレが生じ、常に戦況が変わる状況下では混乱を招くことも少なくなかった。時としては、大切な仲間を失うことも。そのため、細やかな判断を下すことはできず、司令官本部と騎士団の間には見えない溝が存在していた。


「そこでお前だ。お前は戦いながらも的確な指令を出すことができる。それを実際の戦で証明した」

「そんなこと、今までの先輩方にだってできたでしょうに」

「かもしれないな。だが、本当にどんな時も落ち着いて判断ができるとは言い切れない」

「それは私だって同じことではありませんか」

「いいや。お前には、その特殊な魔法がある」


 ドン、とアレクサンドルの手が勢いよくテーブルを叩いた。その拍子に、カップが派手に音を鳴らして揺れ、紅茶が溢れる。カップが倒れるよりも早く、カシェの指がカップを掠めた。

 やがて、静かにアレクサンドルが口を開いた。


「お前にしかできないことだ」


 どちらも、意識をカップに向けることはなかった。まるで動揺することもなく、急いで立ち上がることもない。

 カシェは視線を落とした。髪が顔にかかり、影を落とす。


「少し……考える時間をください」



 カシェが出ていった後。アレクサンドルはガシガシと少し硬質の髪を搔き乱し、テーブルの上を見つめていた。

 そこには、紅茶の雫が空中に舞い、今にも中身が机を濡らしそうな状態で止まったカップが放置されていた。


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