42. 希望
光の揺らぐ先を見つめる。地下であるというのに、天井から光が降り注ぐ。光の御柱が一点に降り注ぎ、足元を濯ぐ冷水が無数に煌めく石の欠片を光の下へと運んでいく。最早どれが誰であったかなどもわからない。その呆気なくも神聖さを伴った景色にカシェは無意識に息を吐いた。
「……俺、葬儀の裏側を見たの初めてだ」
しんみりとした気持ちを抱えていると、隣でヴァイスハイトが感心したように呟いた。
「ちょっと、こんなのが正式な葬儀だとは思わないでちょうだい。本来であれば、魂の核に還った者たちをもっと長い時を経て徐々に神水に馴染ませてから光の下へと送るんだから」
文句を言いながら、ジョゼが手に持っていた残りの石の欠片を冷水に浸した。欠片が手を離れ、流れのない水の中をまるでそれが自然であるかのように光の下へと運ばれていく。その途中、欠片は形を失い、更に細かな粒となった。
「……魂の核というのは、あまりにも脆いんだな」
「カシェも核までは見たことあるでしょ? すぐに形を崩すようなものじゃないわ。……こんなやり方、普通じゃ信じられないような行いだけど、この崩れ方じゃ狸親父どもの言う通りにしておいて正解だったわね」
魂の送り方は、送り人である教会の人間と肉親が粛々と行うものであり、他人が見物することなどできない。本来であれば。ヴァイスハイトもジョゼも知らないだろうが、今回カシェとヴァイスハイトが立ち会えたのは外に漏れてはいけない災厄という異常事態が原因であった故に、表向きは感染症によるものと処理されたからである。
一応、この数日間教会で隔離され、カシェとヴァイスハイトには黒血の影響がないことが判明した。他の者も治療に当たっているが、血から感染するとわかった手前、極力他の人間をこの場に呼びたくはない。よって、今回亡くなった者を送る人間がいないために選ばれたのであった。
「ジョゼが狸親父って言うってことは、上の人間だろ? いいのかよ、そんなこと言って」
「いいわよ、事実なんだもの。大体こんな偏物の巣窟なんてね、他所からは近寄るのも嫌がられてるんだから狸親父の耳もいないわよ」
魂を見送り気があるのかないのか、他愛もない雑談をするヴァイスハイトとジョゼに呆れていると、視界の端にチカリと光るものが見えた。光の御柱か何かが光ったのだろうと思うのに、何故だか妙に違和を感じる。
「…………?」
「カシェ、どうしたの?」
「……いや、今何か光が柱を登っていったような……」
「ああ、鋭い人は偶に感じるのよ。魂が還る瞬間をね」
それにしてはやけに後ろ髪を引かれるが、ジョゼが言うのならばそうなのだろう。カシェが自身に言い聞かせると、ジョゼがカシェに向き直った。
「さて、見送りも終わったことだし、ちょっと来てもらうわよ」
ジョゼの言葉に首を傾げる。一体何の呼び出しだろうか。カシェが疑問に思っていると、ヴァイスハイトが揶揄うようにジョゼに尋ねた。
「俺は呼んでくれないって? 仲間外れは哀しいぜ」
「そんないいもんじゃないわよ。……もう御家族は呼んでいるのだけれど、カシェは身内だからね」
歯切れ悪く返すジョゼにカシェはぱっと顔を上げた。ジョゼが連れて行こうとしている先は、もう長くは保たない患者が隔離されている場所だ。そして、そこにいるのがアデールであるということを確信した。
もう長くはないのか、あるいは既に儚くなったのか。それはジョゼの表情からは窺えず、妙に喉が渇く。先程まで明るく振る舞っていたヴァイスハイトも神妙な表情でカシェの肩を叩く。それに励まされるようにして、カシェはジョゼの後を追った。
「……ったく、行くの早すぎるってなぁ……。俺、まだお前らに昇格祝い、何も奢ってないだろ……」
その後ろ、一人残されたヴァイスハイトの濡れた声が水に攫われ、溶けていった。
***
「ゼノとグリフももうその場にいるのか?」
「いいえ、二人は呼んでないわ。事が事だもの……あまり知られない方がいいのよ」
国王と教会だけが災厄の伝承を代々受け継いでいるという話ではあるが、教会側とて一部の人間しか知らないはずだ。にも拘わらず、所詮地方の司教程度であるジョゼがまるで災厄のことを知っているかのような口ぶりで話したことにカシェは目を丸くした。
「君は、知っているのか……」
「……その話は後よ」
ジョゼが扉の前で足を止めた。そして振り返り、覚悟を持てとカシェを見据える。軋んだ音を立てて開いた扉の向こう。二つの寝台の上にはそれぞれアデールとレイモンが横たわっており、すぐ側でマルクとオデットが椅子に腰掛けていた。
各々が顔色を悪くさせており、その強張った表情にカシェの足が一瞬入室を拒もうとする。それでもすぐに立ち直り、部屋に入って扉を閉めた。
「……これで、揃ったわね」
扉が閉まるのを確認した後、ジョゼが部屋を見渡して告げた。何故、呼び出されたのかなど、それぞれ察しがついている。マルクは祈るようにアデールの手を握り、オデットは俯いて動かない。アデールとレイモンは眠っているようで、蒼白く表情のない様子からは生気を感じない。
「主力は尽くしたわ。……でも、御覧の有り様よ」
「……彼女は、あとどれくらいですか」
マルクがアデールから目を離さずに尋ねる。聞きたくはないが聞かずにはいられないといった風だ。それに対し、ジョゼは一拍置いた後、淡々と答えた。
「……あまり勿体ぶるのもどうかと思うから単刀直入に言うと、今夜が峠といったところかしら」
ジョゼの言葉にマルクが唇を噛み締めた。あまりにも早すぎる別れの宣告に、脳が揺らぐ。だが、アデールとレイモンは最早抵抗力すらも失っていることは見ただけでわかる程で、内心では本当に死期が近いのだと悟ってしまった。
どうしてこの二人だけがこんなに重症化してしまったのだろうか。偶然黒血に対する抵抗力がなかった、身体に合わなかった等考え出すと尽きない。それが二人を救うわけでもないというのに。
カシェが黙り込んでいると、突然オデットが立ち上がり、カシェの胸倉を掴んだ。力が入って白んだ手が服を持ち上げ、気道が狭まる。だが、掴んだ手は徐々に力を失い、やがて震えた力の入らない状態で胸を叩きつけた。
「どうして……どうして、レイモンは……」
「……すまない」
「私は約束を守った……! なのに、あんたは……!」
「……ああ」
足元に水滴が滲んでいく。決して痛くはない力のはずだのに、どうしてか胸が痛くなる。
カシェは一切抵抗をしなかった。今一番痛みを抱えているのは自身ではないとわかっていた。他に、気持ちを向ける矛先がないのだ。それをカシェ自身が一番理解していた。
「……憎んでくれて構わない。私は確かに約束を守れなかったのだから」
カシェはオデットに告げると、マルクに視線を向けた。アデールも、カシェがあの日指示を出さなければこんな目に遭うこともなかった。アデールの目元を優しく拭うマルクの姿にカシェは爪が刺さるまで手を握り締めた。
(全て、私の責任だ)
俯いてアデールを見ていたマルクが顔を上げる。その拍子にカシェと目が合うと、カシェの考えていることなどお見通しなのか、首を静かに横に振った。そこにはカシェに対する怒りも憎しみもない。ただ、悲しみだけが目に宿る様を見て、カシェは唇を噛んだ。
「御取込み中申し訳ないけど、そろそろ説明させてもらうわよ!」
突如、ジョゼが空気をリセットするように態と明るい声を発した。自然と三者の視線がジョゼに向かう。それにジョゼは満足そうに笑みを浮かべた。
「私が貴方たちを呼び出したのは何も最期の別れをしてもらうためじゃないわ」
「……違うのですか?」
「もしそうなら貴方たちが今ここにいるわけがないでしょう! 未知の感染症扱いなんだから!」
ジョゼの物言いにマルクが首を傾げる。オデットも眉を顰めた。原因不明で森に倒れていたアデールと戦いで負った傷によって倒れたレイモン。その共通点が未知の感染症などと、寝耳に水だろう。
その上、未知の感染症であるならばその感染者の近くに連れて来るとは何事か裏があると考えてもおかしくない。カシェは頭を抱えそうになったが、ジョゼは気にした様子もなく話を続けた。
「最近、辺境地で流行っている病をご存知かしら。特に平民の間で流行っているものだから、貴方たちはあまり知らないかもしれないけれど……」
「情報としては耳にしておりますが……あれは平民の罹患率や重症化率が高い割に貴族は発症することはほとんどないのでは?」
そう言ってマルクがレイモンに視線を向ける。すると、ジョゼが「じゃあどうして貴族の罹患者が少ないと思う?」と質問を返した。
「……衛生環境とかじゃないのかい。平民の暮らしじゃ貴族程身綺麗にすることはできないだろうから。……あと、戦場でもね」
オデットが椅子に腰掛け、仏頂面で答えた。アルヒ王国民の貧富の格差は大きい。それは、近年各地で相次いでいる干ばつなどの災害によるものだ。リッシュ村のように土地が使い物にならなくなり、農業や家畜業を行っている者が仕事にあぶれる。ものが市場からなくなり、加工業を行っている者も材料費の高騰によって貧しい者から店を畳み始めている。
今はまだそれほど問題視はされていないが、種類は違えど実際に加工業を営むオデットは特に肌で感じていることであった。
「そうね、それもあるわ。でも全部が全部、それでは説明がつかない部分がある。そう、例えば今回病の発生源となった場所でも罹患していない住民もいることとかね」
それは、原因が黒血であると知っているカシェでさえも疑問に思っていたことだ。黒血を体内に取り込むことで発症する病。村人たちは罹患した者を看病する中で手の小さな傷口や経口で取り込んだのだろうが、それにしては症状の重さに差がある。身体の弱い人間だから発症や重症化するわけではないことは盗賊となった村人や騎士が証明している。
「教会側は何か知っているということですか?」
「私たちが治療しているんだもの、嫌でも気付くわよ」
「その割には公表されていないようですが……」
「公表したところで無意味だもの。……この病はね、魔力保有量によって症状が変化するのよ」
魔力の保有量は人によって異なる。だが、ほとんどの貴族が平民よりも多くの魔力を保有していた。いざというとき、自身の領地を守れるようにという古来からの考えによるものか、貴族同士はより魔力量の多い者との婚約が望まれたからだ。そして、魔力量の多い子どもは魔力量の多い者の間に生まれるという考えは概ね正しかったらしい。
「なるほど……それが原因ならば平民と貴族の間で病の発症に差が生じるのはわかるが、魔力量によって症状が変化するとはどういうことだ?」
「そもそも病と言うからややこしいのだけど……そうね。これはね、魔力量を肥大させるのよ」
「は……?」
病の症状が思っていたものとは違うことにカシェだけではなくマルクとオデットも目を点にする。魔力量は体調によって変化することはあるが、たとえ溜め込みすぎたところで耐え切れなくなれば自ずと暴走という形で発散される。それこそ、ゼノやイルヴァのように。
そこまで考え、カシェはハッと思い至った。
「……急激に増えた魔力に、身体が耐えられなくなっているのか?」
「そう、肥大した魔力は宿主の許容範囲を超えると暴走する。魔力がない……つまり、魔力を受け入れる器が小さい程、その波に身体は耐えられなくなって崩壊するわ」
とは言っても例外はあるけれど、とジョゼはアデールを見た。アデールは魔力保有量の少ない人間だ。先程の話が事実であるならば、獣人族のイルヴァでさえ耐えられないくらい膨れ上がった魔力をアデールが耐えられていることが不思議でならない。
マルクもそう思ったのか、ジョゼに問い掛けた。
「……アデールの魔力量は平均よりも少ないんです。彼女が生きているのは、奇跡のようなものなのでしょうか……」
「ある意味では奇跡に近いわね。彼女の中に混じった魔力とは異なる力が抵抗してるのよ」
恐らく、アデールの中にある精霊の血のことだろう。精霊からはあまりにも遠い血筋であろうに、血縁を守らんとしているのかもしれない。マルクが震えた、音にもならない声を漏らす。一方で、ジョゼは今度はレイモンの方を指し、「彼がまだ生きているのもまた、奇跡よ」と告げた。
「……どういうことだ。レイモン副団長は子爵の出だが」
レイモンは生粋の貴族だ。魔力量が少ない貴族というのは欠陥品として噂になることもあるが、レイモンがそうだとは聞いたことがない。
「メルシエ卿は使える魔力自体がないのよ」
「……魔力がない?」
魔力がないというのは言葉の綾で、魔力を持たずに生まれることはほとんどない。魔力回路が機能していない子どもが生まれることもあるが、生きられるのはその中でもほんの一握りだ。それ以外で挙げるとすれば、人工的に魔力回路を焼いて魔力を使用できなくなった馬のように、後天的に壊れてしまった場合だろう。
「正確にはメルシエ卿は……」
「私の、せいなんだ」
ジョゼがカシェの質問に答えようとしたとき、オデットが口を開いた。自分を追い詰めるように頭を抱え込み、背中を丸めて自責の言葉を呟いている。これ以上、話ができるような様子ではない。
「……原因が何にせよ、二人が今危篤状態なのは間違いないわ。ただ、それはさっきも説明した通り、魔力が肥大して制御下から外れているせいよ。魔力の波を抑え、正常にすることで一時的に症状は改善するわ」
ジョゼが話を変え、そのために肉親の二人を呼んだのだと説明した。血が近い程、魔力は寄り添いやすくなる。外部から魔力を循環させ、魔力の波を正常に戻そうと言うのだろう。
カシェが呼ばれたのは、マルクとオデットの魔力をアデールとレイモンに馴染ませる補助を行うためであった。決して楽なことではないが、マルクもオデットもそれで二人が助かるのならばと魔力を流し込む。何度か弾かれることを繰り返した後、アデールとレイモンの顔がほんの少し血色を取り戻した。
だが、このやり方ではマルクとオデットの消耗も激しく、いずれはこちらの魔力が先に尽きてしまうことが目に見えている。マルクとオデットもそう感じているようで、表情があまり浮かない様子だ。
「……どうにか、救うことはできないのか」
思わず、我儘にも似た願望がカシェの口を衝いて出た。そんなカシェに、ジョゼが致し方のない子だというような表情で笑い、カシェを外に出るようにと促す。
あの場で、ジョゼが首を横に振ろうものならマルクとオデットの希望を捨てるようなものだ。愚かなことをした、とカシェは自身の行為を悔やんだ。
「ふふ……バカね、カシェ」
後悔が顔に滲んでいたのか、外に出るとジョゼがカシェの顔を見て笑った。
「すまない、ジョゼ……」
「いいわよ。貴方の気持ちもわかるもの。……だからこそ、私は貴方に残酷なことを伝えないといけないわ」
貴方にその覚悟があるのならば着いて来てちょうだい、とジョゼが廊下を歩き出す。間髪入れず、カシェはジョゼの横に肩を並ばせた。
途中、緩い風が脇を抜ける。何処か嗅いだことのある花の香りが残った。




