41.︎︎ 未知の罪
「連戦はきっついって! 勘弁してくれよ!」
「同意だ! 私だって勘弁願いたい!」
飛び掛かってくる魔物をヴァイスハイトが大剣でいなしながら叫ぶ。それに同意しながら、カシェも着実に魔物の急所を狙っていく。時折飛んで来るイルヴァの攻撃を躱しつつ戦うのは至難の業であり、連戦の疲れか他の騎士の動きもあまり宜しくない。
一方、魔物は無尽蔵に湧き出ているのかと錯覚するほど多く、場は混乱を極めている。ソウレイとベルナールはレイモンが守りながら戦っているため大丈夫だろうが、それよりも最早指揮すら通らない乱戦状態のこちらの方が危うい。
(先程と同じように戦えばまだ一時しのぎにはなるだろうが……)
それでも、魔力の消耗も激しく、回復も追いついていない今無理に魔力を使ってしまうとカシェの身が持たない。魔法が使えなくなるだけならばいいが、身体強化まで解けることは避けなければならない。他の騎士より力の劣るカシェでは、生身の攻撃など取りに足りない攻撃力に違いない。
使えない味方というのは、それだけで自陣の士気を下げかねない。それが上に立つ人間ならば尚更だ。
「いっそ直接流し込んだ方がいいか」
他の物質を通さない分、余剰な魔力も必要ないし細かな魔力操作が可能となる。そうしよう、とカシェが剣を持ち替え、嚙み千切ろうと向かって来た魔物に手を差し向けたときであった。
「馬鹿な真似はよせ!」
カシェが手を加えるより先に、眼前の魔物が吹っ飛ばされた。魔物が飛び掛かった瞬間、その腹部に剣の腹を宛がわれ、力任せに跳ね上げられたのだ。こんな真似ができる者など一人しかいない。
だが、名前を口にする前にカシェはその人物に襟首を掴まれた。そのまま斜め上に持ち上げられ、一瞬喉が閉まる。苦言を呈そうと睨み付けると、それよりも厳しい顔をしたヴァイスハイトと目が合った。
「……カシェ、よく聞け。この村を襲った病の発生源はあの魔物に流れる血なんだ」
「……血が、媒介に」
見ろ、とヴァイスハイトが無理やりカシェの首の向きを変える。その先には、動きの鈍くなった騎士がいた。決して深手ではないが、額に怪我を負っている。苦しそうに咳き込む口からは、黒血がぼたぼたと滴った。
「傷に血が触れるとすぐに発症しちまう。あいつらだってついさっき、傷を負っちまったばっかりだ。……だから傷を増やすような真似はよせ」
症状の重さは人によってまちまちだが、魔物の血が原因というのは大きく外れてはいなさそうだ。それが確かなことかは不明だが、少なくとも怪我を負うのはできるだけ避けた方がいい。だが。
「どちらにしても、それではジリ貧だろう」
「だな……いつもみたいに遠隔で動きを縛れないか?」
「……一瞬だ。私ももうあまり魔力が残ってない」
この数相手ではほんの数秒留めておくのが精々だ。そう告げると、ヴァイスハイトは自信満々に答えた。
「十分だ」
短剣に魔力を込め直し、投げる先を見据える。先程よりも魔物も多く、何より混戦している。間違えて味方に当ててしまうと事だ。
カシェは刺突剣を仕舞い、投擲に集中することにした。武器を仕舞ったカシェを格好の得物と考えたのか、魔物がカシェを狙い始める。だが、カシェは気にせずに短剣を投げた。
「……おっと、悪いな。此奴は狙い目じゃないぜ」
カシェが身を守れずとも、ヴァイスハイトがどうにかするだろうという厚い信頼があった。現に、ヴァイスハイトは「一対多数はきつい」と愚痴を垂れながらも魔物の首を刎ねている。魔物も流石に分が悪いと気付いたのか、すぐに攻撃の手を止めて様子見に切り替えてたようだ。
「魔物の割りには賢明な判断だが、それでは格好の的にしかならんな」
カシェの挑発にヴァイスハイトが笑い声を溢す。それに魔物が反応するよりも早く、魔物の首筋を短剣が撫でた。魔物が困惑の表情らしきものを浮かべたまま動きを止める。そして、そのままヴァイスハイトの剣によって絶命した。
「なんだ、大丈夫そうじゃん」
「……ヴァイス。軽口を叩いている暇があるなら、早く討ち取れ」
ヴァイスハイトに釘を刺しながらも短剣から意識を外さない。指を動かしながら、器用に魔力を操作していく。額から滝のように流れる汗が目に沁みる。身体が重みを増し、魔力の枯渇が近いことをカシェに伝えてくる。
武器に魔法を付与させるというのは、何もその一度で魔法を完結させるというわけではない。魔法の付与というのはあくまでその物質を身体の延長線上に捉えるための儀式であり、触れた場所を起点に発動させるのはその都度となる。一度ならまだしも、同じ魔物相手に何度も魔法を発動させられるほどの余力はない。
幸い、ここにいる騎士はカシェと共に戦った経験も多く、その魔法の性質も理解している。騎士たちは急に動きを止めた魔物や戦場に舞う短剣に戸惑うことなく、魔物を屠っていく。
「いけない! 矛先を変えましたよ!」
イルヴァと対峙していたレイモンから声が上がった。それとほぼ同時に、騎士の間にイルヴァが降り立つ。突然現れたイルヴァに騎士が一瞬攻撃の手を止めると、イルヴァは騎士の鳩尾部分を手で抉った。獣人族とはいえ、とても非戦闘員の女の力とは思えないほどの力によって騎士の身体に穴が開く。
血を吐いて倒れた騎士にはもう興味がないのか、次の獲物を探している。そして、顔色が悪く、動きの鈍っている相手を見つけると、再び襲い掛かった。
「彼奴……発症者を狙っているな」
騎士や兵士も必死に戦おうとするが、弱った身体では獣人族の速度には追い付かない。目の前に現れたと思った直後には、獣の爪が、魔法でできた氷の礫が、自身の身に降り注ぐ。一矢報いることなく、命が刈り取られていく。
その後の死体は魔物に群がられ、あっという間に姿を消した。他の騎士が駆け付けようとするも、魔物に憚られ、その様をただ目を見開いて見ているしかない。
「くそ……!」
「お姉ちゃン! おねえ、チャン……!」
ヴァイスハイトが痛みを伴うような悪態をつく。遠くからはソウレイの悲壮な叫び声が聞こえてきた。
何もできず仲間が殺されていく様に、誰しもが臍を嚙む。騎士の数が減ったことにより、魔物との力の均衡が危うさを増す。傷を負う者も増え、発症した騎士の内の幾人かが口から黒血を吐いた。
「う、あぁ……ッ!」
また一人、魔物に斬り付けられた兵士が地面に倒れる。仲間が死んだ場所に倒れたようで、地面に突いた手が血に染まっている。その指先を見て、兵士が悲鳴を上げた。戦えるどころではない程に錯乱している。最早戦意を喪失した兵士に魔物が群がり、あっという間に姿が見えなくなった。
カシェはひりつく喉を無理やり抉じ開け、ヴァイスハイトに囁いた。
「ヴァイス……すまないが」
「任せろ」
何も言っていないのに、カシェの考えていることなどわかっているとばかりにヴァイスハイトが頷く。全く敵わないな、とカシェは瞼を閉じ、自身に掛けていた身体強化を解いた。そして、空間から短剣を更にもう一本取り出す。後のことやカシェ自身の身の安全を考えている余裕などない。
カシェを狙う魔物はヴァイスハイトが全て倒すのだから問題ない。それよりも魔力の残量が心配だが、これ以上引き延ばしても被害が増すだけだ。
カシェが短期決戦に切り替えたことに気が付いたのか、レイモンが近寄って来た。
「私も微力ながら助太刀しましょう」
「心強いですが……」
ソウレイとベルナールの護衛はどうするのだと眉を顰めると、レイモンが後方を振り向いて苦笑した。見ると、強風が二人を囲うように吹いている。そのおかげか、魔物も迂闊には踏み込めないようだ。
「これ以上、私も部下が傷付く様を黙って見ているわけにはいきませんからね」
「はは、やっぱり副団長には敵わねぇっすわ」
「ひよっこ隊長にはまだまだ劣りませんよ」
そう言うや否や、レイモンが駆け出した。今にも魔物に殺されそうになっている騎士を庇うように間に割り込み、圧倒的な強さをもって魔物を殺していく。
レイモンに遅れを取らないようにと、カシェも二本の短剣をそれぞれ動かし、魔物をその場に縫い付ける。一瞬の隙ができた分、押し負けそうであった箇所が持ち返す。
「ぐ…………か、は」
それでも尚、被害を完全に食い止めることはできない。また一人、イルヴァの攻撃を受ける。
「オ姉ちゃン! もう、やめテ!」
「イルヴァ! やめるんだ!」
風の間からソウレイとベルナールが必死に叫ぶ。その声が聞こえたのか、イルヴァがぴたりと動きを止めた。
「ア……アァ、……ゥァァ“」
イルヴァが空を見上げ、声を漏らす。イルヴァの双眸から、黒い雫が落ちた。理性も感情も失ったような先程までの様子とは異なり、震えた悲痛な声が鼓膜を震わせる。
「泣いているのか……?」
唖然としていると、ソウレイがカシェに叫んだ。
「カシェ……! お姉ちゃン、助けテ……! 殺したくなイ、助けテって、……!」
カシェがハッとしてイルヴァを見ると、何かと葛藤するかのように頭を抑えて蹲っている。
(助けられるだろうか)
カシェは浮遊させていた短剣を手元に戻し、己の手を見つめた。魔力不足を身体が訴えるように指先が震えている。あと魔物数匹であれば食い止められるだろうが、全魔力を掻き集めてもこの短剣でイルヴァの動きを完全に封じられる自信はなかった。
それでもと、一縷の望みを賭ける。
「……カシェ?」
短剣を仕舞い、横を通り抜けるカシェにヴァイスハイトが問い掛ける。足取りが重いが、イルヴァも蹲ったままその場を離れない。訳がわからないながらも魔物を近付けまいとヴァイスハイトとレイモンが周囲を警戒し、カシェはイルヴァの元に辿り着いた。
動かないイルヴァの手を持ち上げ、自身の魔力をイルヴァへと流し込む。ジリジリと警鐘が脳内で鳴り、これ以上は危険だと心臓が痛みを訴える。それでも、魔法の発動にはまだ足りない。
痛みを無視し、尚も魔力を流し込む。十全に魔力が行き渡り、魔法を発動させようとしたときであった。
「く……ッ!」
バチン! と音がして、カシェの魔法が弾かれた。その衝撃で、カシェの身体が吹っ飛ぶ。何とか受け身を取り、イルヴァに向き直ると、頭を抑えて暴れる姿が目に入った。その身体から、途方もない魔力が放出されている。
「ア゛、アア゛ア゜ア゜!!!!」
「魔力暴走……? まさか、こんな時に……!?」
イルヴァの周囲に氷の礫が浮かび上がり、本人も周囲も見境なく攻撃する。早く止めなければと思うのに、その術すらない。普段ならまだしも、今のカシェでは暴走状態の魔力を鎮めることはできない。
呆然とただ眼前の状況を見つめるだけであったカシェに喝が飛んで来た。
「カシェ! 剣を取りなさい!」
魔法で封じることができない以上、現状を打破するにはイルヴァを倒すしか道がない。イルヴァの魔力が尽きるまで耐えるのか? 魔物を捌きながら? ——否。最早自身は足手纏いなのだ、そんな選択肢がないことは頭では理解している。
(だが、イルヴァはファーガス領の領民で……)
守るべき対象であった。己の庇護下にあるのだ、自身が守らなくてはどうする?
——今度こそ、私が守らなくてはならないのに。
(でも、その力が私にはなくて……)
できない。ただ、その考えだけが頭に過る。
「……あれは駄目ですね。総員! 数人で固まって行動しなさい!」
中々剣を取らないカシェにヴァイスハイトからも剣を取れと声が飛んで来る。カシェが躊躇していると、イルヴァがしゃがみ込んだ状態から突然飛び上がった。今まで以上に長く跳躍し、遥か後方まで飛んでいく。
その間にも途切れることなく氷の礫が飛び、その内の一つがソウレイの張った風の防壁に当たる。ソウレイが驚き、思わず魔法を解除した。
慌てて魔法を発動しようにも時すでに遅く、ソウレイの背後に立ったイルヴァがソウレイの首を掴んで持ち上げた。じわじわと首が閉まっているのか、ソウレイが苦しそうに顔を赤らめ、手を外そうと藻掻く。イルヴァと同じ飛鼠族特有の手がイルヴァの手を引っ掻くが、力は微塵も緩まない。
ベルナールが必死に手を外そうとするが、ベルナールの力では手を開かせることもできない。
徐々にソウレイの力が弱まっていく。しかし、ソウレイの意識が途切れる前にイルヴァの手が離れた。
「ヒュッ、……ごほ……ッ、げほ……!」
地面に落とされたソウレイが必死に息を吸う。その身体をベルナールが抱き上げ、震える足で後方に後退った。
無表情なイルヴァが苦しむソウレイを見下ろす。ツウ……と透明の雫が頬を伝った。
「おねえちゃん……」
「……と、メテ……」
たった一言。叫ぶしかなかったイルヴァが意思のある言葉を放つ。しかし、意思に反してイルヴァの腕はソウレイに振り下ろされた。
思わず手を伸ばすも、何もできない距離。ヴァイスハイトも駆け寄ろうとするが、カシェの傍にいたのだから当然、間に合わない。他の騎士とて、魔物を抑えるだけで手一杯だ。
「…………!」
誰も、間に合わないはずであった。
「……ふ、ふ……結構効きますね……」
喋るごとに、びしゃりと口から血が噴き出す。地面に赤と黒の血だまりができる。
イルヴァの爪が、レイモンの身体を貫通し、その腕にかけて赤い血が滴った。反対に、レイモンの剣もまた、イルヴァの心臓を突き刺し、黒い血が刀身を濡らしている。
先にレイモンが剣を引き抜くと、イルヴァが後ろ向きに倒れる。イルヴァの自重で、レイモンに刺さった爪が抜けた。
どしゃりと地面に強く叩きつけられた背中から黒い血が止めどなく溢れている。
「お姉ちゃン……! 嫌、いやダ……!」
ソウレイがベルナールの腕から抜け出し、イルヴァに駆け寄る。その身に縋りつこうとするのをイルヴァが力の入らない腕を持ち上げて止めた。
「……そ、うれい……生き、……よか……タ…………」
ソウレイの頬を撫でようとした手が、そのまま血だまりの中に落ちる。
ソウレイの慟哭が空に響いた。
イルヴァが亡くなったためか、魔物は急激に力が衰え、逃げるように背を向けた。元の等級通りの強さに戻れば退治することなど容易く、あっという間に片が付いた。
だが、被害は甚大で、騎士の中にも死傷者は多く出た。何より、幼子の目の前で家族を死なせてしまった。未だ泣きじゃくるソウレイの声に、胸が締め付けられる。
(……私に、もっと力があれば)
もっと魔力が多ければ、他の騎士のように力があれば。助けられた命があったかもしれない。
カシェが無力感に苛まれていると、俯いた視界の中に誰かの足が入ってきた。
「……ほら」
手を差し伸べられ、緩々と顔を上げる。すると、ヴァイスハイトが「ひでぇ顔」と笑った。
無理やり手を握られ、重たい身体を持ち上げられる。ふらつきながらもヴァイスハイトに肩を借りて、何とか立ち上がった。
酷い光景だ。誰もが通夜のように暗い表情を浮かべている。誰一人として、勝利したことを、生き延びたことを喜ぶ者などいなかった。
魔物と仲間の死体を処理する騎士の間を通り、カシェとヴァイスハイトはイルヴァの前に立った。
「……こいつはひでぇな」
「イルヴァ……君は、どうして……」
問い掛けてもイルヴァは答えない。血だまりに浮かぶ顔は、生前と変わりなく、穏やかな表情を浮かべている。だが、穴の開いた胸部から、血に触れた場所から、徐々に崩壊が始まっていた。
惨憺たる有り様に顔を顰める。その途端、ズキンと脈打つような痛みがして、カシェは瞼を閉じた。
(……魔力枯渇の弊害か?)
ドク、ドクと鼓動が早くなる。心音が耳に響き、瞼を閉じても眼前の光景が浮かび上がる。
(いや、違う……)
これは、目の前の光景ではない。再び目を開けると、イルヴァの姿がブレ、知らない光景が重なり合う。
黒い深淵の中に誰かが力なく横たわっている。その人物もまた、凡そ人族とは程遠い様相をしていた。
知らないはずなのに、カシェはその人物を知っている気がした。鼓動が更に速まる。何か、忘れていることを思い出さなければならないという想いに苛まれる。
(誰、なんだ……?)
あと少しで顔を見られる。その直前、何かの布によって遺体が隠された。ヴァイスハイトが身に纏っていたマントをイルヴァに掛けたのだ。恐らく、これ以上酷い状態になる前に家族であるソウレイやベルナールの視界から隠すためであろう。
カシェは、痛いほどに鳴り響く鼓動を落ち着かせようと息を吐いた。
「また、私のせいで……」
「え? カシェ、何か言ったか?」
「いや……何でもない」
無意識に口を衝いた言葉に、身体が硬直する。ヴァイスハイトには聞こえていなかったようだ。それにほっとすると同時に、カシェは自身が言った言葉に表情を曇らせた。
(私のせいで、とはどういうことだ……?)
初めて見る光景のはずなのに、それを生み出したのが自分だとでもいうかのような発言。そんな記憶はないのに、何故か胸中に酷い後悔と懺悔の念が渦巻いている。
(私には、思い出せない罪がある……?)
カシェは嫌な考えを吐き出すように肺の中の空気を吐き出した。
***
「早馬で司祭を呼ぶように伝令を出したので、直に到着するでしょう」
軽く手当てを終えたレイモンがカシェの横に並び立った。そして、イルヴァの遺体に対し、胸に手を当てて礼をする。レイモンと共に、カシェとヴァイスハイトも暫し追悼していると、背後で遠巻きに見ていた者の内の誰かが小さく呟く声が聞こえた。
「何もあんな魔族の冥福を祈らずともいいでしょうに……仲間が殺されたというのに」
「そうだ……今回の件だって、あの魔族が手引きしたんじゃないか?」
「そうに違いない。あの魔族のせいで……」
不満げな声に同調する者が現れ、口々に誹謗する。負の感情が膨らみ、敵意がイルヴァと、その家族であるソウレイやベルナールに向かう。思わずカシェが振り向くと、糾弾しようというのか、敵意に満ちた鋭い眼差しが突き刺さった。
戦いの後だからだろうか。やけに感情が剝き出しになっている。平常ならばそんなことを言うような者はいないのに、とカシェが困惑していると、すぐ横でレイモンが身体の向きを変えた。
視線を向けると、にっこりと綺麗に取り繕われた笑顔が目に入る。だが、背筋を冷たいものが走るような笑顔に、カシェは全身の肌が粟立った。
「貴方たち。同じく親しき者を……家族を失った人物にそんなことを言うのですか」
爽やかな声音が、氷雪を纏うように辺りを冷やす。不満を述べていた者も、その周りで止めずにいた者も両者ともに凍り付いたようにぴたりと動きを止めた。
「彼女たちは貴方たちと何ら変わらない……今回の事件の被害者ですよ。そんな被害者に向けて、よりによって非難を向けるとは嘆かわしい。いつから騎士団はこうも劣ったのか!」
誇り高き騎士にとって劣ったなどと侮辱的な言葉だが、誰一人として反論できない。それが騎士団の頂点に近しいレイモンから告げられた言葉であるなら猶更だ。
「……鍛え直さなければなりませんね」
レイモンの指導は誰よりも厳しい。先程よりも一段と騎士の表情が蒼褪めた。恐らくは、血を吐くよりも辛い訓練が身を襲うことだろう。
カシェとヴァイスハイトが「うわぁ……」と該当の騎士を憐れんでいると、レイモンが先程よりも笑みを深めてカシェに向き直った。
「さて、ファーガス司令官。何故あのとき、剣を抜かなかったのです?」
あのときとは、カシェの魔法が弾かれたときのことだろう。
「……イルヴァは我が領の領民です。守るべき者を手に掛けることはできませんでした」
カシェが俯いてそう返すと、レイモンが諭すようにカシェに語り掛けた。
「でも、彼女を手に掛けなければ被害は更に大きくなったでしょう。彼女自身が、妹君を殺めようともしました」
「それは……それでも、ソウレイはイルヴァが死ぬことは望んでいなかった……」
「それは、あの女性も同様です。妹君を殺したくはないと、助けてくれと言っていた声が聞こえませんでしたか?」
「ですが……何も、殺さなくとも……」
レイモンの言う通りだ。結果的に、イルヴァを倒さなければどうしようもなかった。これが、最善なのだとわかっている。
それでも駄々を捏ねる子どもの様に言葉を探すカシェに、レイモンは仕方のない子だと肩を竦めた。
「それができればよかったのでしょうが、我々には力が及ばなかった。貴方の魔法は弾かれ、私もまた、彼女を無力化させる程の力はなかった。……ただ、あの場で倒さなければ、彼女は妹君を失った上で殺されることとなったでしょう」
そう言うと、レイモンは遠くで介抱されているソウレイとベルナールの元へと足を向けた。そして、膝を突き、深く首を垂れる。
慌てるベルナールを手で制し、レイモンは真剣な目でソウレイとベルナールを見つめた。
「必ずや……此度の原因を調査し、彼女の無罪を証明いたします」
「騎士様……」
「それまで、どうか……彼女を我々に預けていただきたいのです」
死体検視をし、イルヴァが暴走した原因を探るためだ。ベルナールは戸惑いを示した後、ソウレイに視線を向けた。
「……それデ、お姉ちゃンが、いいナラ……」
「……そう、だな。イルヴァが報われるなら……私たちは騎士様の決定に従います。彼女は、私の娘は……こんなことを仕出かすような子じゃない」
「ええ……承知しました。ありがとうございます」
レイモンが立ち上がり、ソウレイとベルナールに背を向けて再びカシェの横に戻って来る。近くまで来ると、カシェの顔を見て「おや」と言葉を溢した。
「随分と酷い顔ですね、ファーガス司令官。少し休んだ方がいいですよ」
「……それを言うなら、酷い怪我を負った副団長のほうでしょう」
カシェがレイモンの腹部に巻かれた包帯を見る。レイモンが傷を負ったのも、カシェが弱かったせいだ。イルヴァを止めることができていれば、誰もこんな思いはしなかったのに。そんな感情が顔に出ていたのかもしれない。レイモンが苦笑した。
「貴方は私が何と言っても、自分のせいだと思うのでしょうが……貴方一人でできることは少ない。今回のことで充分わかったでしょう」
「…………」
「強くなるという想いは結構ですが、いつまでも己の力のみを考えていては何も救えませんよ」
「それは……」
カシェが何も言えないでいると、レイモンの身体が傾いた。先程までは気丈に振る舞っていたはずなのに、額には玉のような汗が噴き出ている。苦悶の滲む顔でレイモンがカシェに何かを伝えようとした。
「カシェ、貴方はもっと……」
「副団長!? レイモン副団長!!」
全てを言い切る前にレイモンの意識が途切れる。包帯には、黒血が滲み出ていた。




